きのうの記事から少しまた頭が前に進んだ。


(一人オートクライン、一人ブレスト。本来それは、こういう自分のメディアを使って、人に迷惑を掛けずにやるべきものだ)


 私との会食で、ろくに食事に手もつけずに(私にも食事する暇を与えずに)3時間も4時間もしゃべりまくる人々をみていると、


―はっきり言ってそのさまは病的なのだが―


「人に自分の話を聴いてもらいたい」

というのは、おそらくご飯を食べる、呼吸をするのと同じくらい、根源的欲求なのだ。


 節電で勤務時間が短くなり、ただでさえ減っている職場の会話時間が余計に減り、みんなが黙々とディスプレイに向かって仕事して帰る。

 時短で残業代も削減できたかもしれないが、人の欲求としては決定的に満たされないものが残る。


 だから、私のようなプロにプライベートな会話と称して湯水のように話を垂れ流して聴いてもらう。


 ご飯を食べるような根源的な欲求を満たしている以上、話を聴いてもらうことにはお金を払うべきだ。


 ほんとうは、それらは日常の職場や家庭などのコミュニティーの中で満たされればいいもののはずだ。しかしそれらがそういう機能を今、持っていない。



 そして、ソーシャルメディア(SNS)全盛の世の中であっても、それらは

「人に自分の話を聴いてほしい、共感的に」

という欲求を満たしてはいない。

 SNSを使いこなして頻繁に発信している人であっても、

「私に会うと湯水のようにしゃべりまくる」

のは、同じだから。

 むしろ、SNSのセオリーとして「ポジティブなことだけ発信する。そのほうがフォロワーやお友達が増える」というのがあるので、そこでは無理して仮面をかぶっていることも多いのだ。




 すべての人が聴くスキルを学び、仕事でも家庭でも友人同士でも、きちんと時間をとって互いに聴きあうよう習慣づけるべきなのだ。


 私はといえば、こういう一連の記事を書く可愛げのない人間である以上、私に今後料金を払って話を聴いてほしいと来る人が出るとも思えないが、

 むしろ「同じ料金を払うのでもあの人だけは避けたい」と思うほうがありそうだが、


 私の宣言として今後プライベートで人の話を聴かない。名刺入れにイエローカードをしのばせ、話しすぎる人には渡す。

 そのカードには

「注意!!話しすぎは人間関係を損なうもと」

「自分ばかり話す人は、採用面接を通れません」

「話しすぎはストレスか老化のサイン」

 などと書いてある。



 たとえ有料でも、人に話を聴いてもらう肉体的快感に溺れて切れ目なくしゃべりまくる、気色の悪い話し方の人の話は聴きたくない。


 (私の場合、相手の病的なエネルギーが聴いているうちに自分に伝染してきて、そのあと体調を崩してしまう)


 そういう人は、自分が半ば病気だということを大人しく認めて、カウンセラーさんのところに行ってください。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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