実家の母の見舞いに行った。


 認知症の母は今年79歳、5月以来10人規模のグループホームで暮らしている。3月に転倒して入院し、一時期老人精神病院に入り、拘束もされ重い幻覚症状が出ていた。その当時は真っ白な痩せ衰えた顔で、死期が近いことを覚悟したものだった。


 兄夫婦のはからいで今のグループホームに入所したところ、幻覚は皆無ではないものの軽減し、周囲への感謝の言葉を口にするようになったという。若いころから否定的な言葉が多かった母にして、感謝を口にできるようになるとは、とその変化ぶりをきいて驚いた。そういうことは、母のような年齢、症状の人には、強要してさせられるものではないだろうと思った。


 そのグループホームは千葉の私鉄沿線にあり、お寿司屋さんを改装したという3階建ての建物。見舞いに行くと元看護師の女性社長さんが温かく迎えてくださった。

 スタッフの方にとお土産の菓子折りをお渡しすると、最初きっぱりと断られ、金品の授受を断るむねのミッションステートメントを示されるも、「でも持ってきてしまったから」と無理に受け取ってもらう。


 母は、穏やかな表情で座っていた。「この椅子の下に○○があるのよ」など、現実でないことも多少は言うものの、病院でのような被害妄想はなかった。そして、京都で買ったちりめんの巾着などを渡すと、「こういうの好き?」「うん、好き」という答えが返ってきた。「うん、好き」などという素直な反応も、以前の健常な時でも考えられなかったこと。以前は何をプレゼントしても、こちらががっかりするような反応しかしなかったものだ。


 ケアホームの社長さんとお話。母より10歳若い社長さんは、病院看護師で医師とともに学会にも出席するなど、バリバリに働いていたが、ご主人の急死をきっかけに、


「自分は本当に患者さん本位の仕事をしていただろうか」

と考えるように。そして貯金をはたいてこの道で起業してしまう。


 お年寄りの尊厳を守り、全室個室、手がかかるだろうに皆さんが喜ぶからと畳の部屋。


 母は、今年の年明けから極端に食欲が落ちていた。病院入院中もそうだったが、グループホーム入所後、社長さんが嚥下のようすなどを観察すると入れ歯が合ってなかった。歯医者さんをよんで入れ歯を調整すると、ある程度形のあるものを食べられるようになった。そこで、かめる固さのものを、色形がわかるように調理して出すと最近は全量たべられるように。


 丁寧にお年寄りの話を聴く。認知症の人は、時間感覚がなくなり、若いころのある時期を生きているつもりになっている。子ども時代、娘時代になったり、新婚時代になったりしている。相手の今みている世界を一緒に感じ取るように話を聴く。決して否定しない。母の場合は「学校の先生として仕事をしていた頃」によく戻っているのだそうで、「明日学校に行くからスーツを着なくちゃ」と騒ぎだし、兄夫婦のところへ連絡して家からスーツを持ってきてもらったこともあったという。


 娘の私のこともよく話すそうで、私の著書を社長さんは読んでいてくださった。そして「ケアマネージャーに絶対必要な、基本のスキルですから」と、その場でコーチング研修の依頼をいただいた。


 ・・・というのは自慢話のようだけど、結局仕事をご依頼いただくのはもともとの基本思想の合うお客様なのだと思う。


「ありがとうございます。自画自賛のようですが、承認中心のコーチングをしているので、介護職の方にも非常に使い勝手がいいと喜んでいただいています」

と、頭を下げた。

 偶然だが『痴呆老人は何をみているのか』の著書のある大井玄氏の別の著書からの引用もあるし、武田建氏の「無条件の畏敬と尊重」という精神も受け継いでいるつもりである。


(とはいえ、このところ記事に書いていることはいささか「無条件の畏敬と尊重」からは離れているのだが。ふだん「聴く」ことを重んじない風土の組織に属する人は、たまに「聴く」人に出会うと甘えてしまって度が過ぎる現象なのだと思う。相手の健康を害するところまで)


 社長さんとの話は、やはり社会福祉の制度上の不備の話になったり、役人組織の無理解の話になったり…、


 10月に「日本はスウェーデンを目指すべきか?福祉編」をやるんです、とお話したら、これも喜んでいただいた。


 貴重な学びをくれる人はそこここにいる。無私の仕事をする人と話すことは楽しい。



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