このたびの表彰式での私個人の学び・・・


 同じ人でも、教育研修の場でみるその人と、職場でみるその人、あるいは上司とともにいるその人は、まったく異なる表情をみせることがある。

 どんなにしっかりした人であっても―。


 「職場」と「教育研修」では1人の人でも「モード」が異なるのだ。


 どちらが仮面、どちらが素顔ということはない、恐らくどちらも本当のその人の別の面。ただ、「モード」が大きく異なる。


 「職場」では、多くの人が「上司」という存在にものすごく大きく依存している。「依存」の良し悪しは程度問題で、良い上司―優秀な部下間でも依存は起こっている。

 一方、「教育研修」とりわけ外部セミナーだとより顕著だと思うが、人はもっとも自立した個人として振る舞う。


 その状態を基準に考えて、「はたらく人は自立した存在である」と考えて教育プログラムを組むと、それは職場に帰って実践不可能なものになる。職場では決してそれほど自立していないから。


 「自立」を前提に教育プログラムを組むと、例えばフォロワー側にキャリア教育をすれば職場の動きが良くなる、という発想になると思う。(実は大して動きはよくならない、というか、全然良くならないかてんでんばらばらな動きをして頭打ちを起こすかどちらかだ)



 当協会の提唱する「承認」あるいは「企業内コーチング」に対して、恐らく外資系(アメリカ系)コンサル会社などからは異論が出るだろう。

「そんなに部下が上司に依存している、承認されたかされないかでモチベーションが変わるような、依存的な人間関係ではグローバル時代に伍し得ない」
などと、彼らは言うだろう。


(ちなみに先日の表彰式のある出席者によれば、
「マッキンゼーやヘイといった外資系コンサル会社にとって、日本の地方の優良企業はいい”カモ”だ」。)


 しかしそれは彼らの方が間違っている。「依存」を目の敵にしても、しょうがない。人と人、リーダーと部下、先輩と後輩、年長者と年少者、がともに緊密に連携し合って働くときに、大なり小なり依存関係が生じるのは自然なことなのだ。


 武田建・関学名誉教授は、「カウンセラーはクライエントから、父、母、兄、姉、恋人、妻、夫、先生、ありとあらゆる身近なものの投影を受ける。そのことから逃れられない」と述べ、さらにアメフトのコーチも同様だ、と述べた。武田氏が論拠とするアメフトの「褒める・叱るによる成績の違い」のグラフはアメリカ人のものである。


 職場で人は上司に程度の差こそあれ大きく依存している、そのことを前提に教育プログラムを組むべきなのだ。


 一方で逆に、「承認」を上司世代に教えるうえでは外部セミナーという形式の方が有効だ、とも思う。これは、現在のところ「承認」が現状の企業風土とは真逆のことを教えることになるので、参加者に徹底して自立して思考してもらうことが必要なのだ、自社の企業風土を離れた場で。



このところブログ更新が続いて疲れた頭で大しておもしろくないことを考えている。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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