ふとしたきっかけで『報酬主義をこえて』(アルフィ コーン著、法政大学出版)という本が新装本で出版されたことを知り、アマゾンのページに珍しく書評を書きこんだ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4588007041/


 読者の皆様、よろしければ上記のページで書評に対する評価をお願いします。


 褒めて伸ばすことを言った「行動主義」という心理学の理論を批判し、褒めることに意味はないとする本。


 一見、良識ある知識人の議論に見える。


 ところが、ほとんどの人は気がつかないと思うが、「行動主義」という理論は正田らが根拠にする「行動理論」「行動療法」とは微妙に異なる。


 Wikipediaの「行動主義心理学」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6


 同、「行動理論」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%90%86%E8%AB%96


 同、「行動療法」のページ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%82%E6%B3%95


 
 簡単に言うと、「行動主義」にはいささか過激な議論が含まれ、実際に20世紀前半の一時期に勃興したあと下火になったのだが、「行動理論」「行動療法」はごく常識的な主張であり、心理学にとどまらず教育・技能訓練のさまざまな場面に応用可能なものだ、というお話。現実にカウンセラーさんで行動療法で鬱を治した人はいっぱいいますし、鬱の家族をもつ人、はおろか普通の学校の先生、会社の上司、などが知っておいて全然損はない知識です。


 一見似たような言葉なので素人だと混同してしまいますが、専門家は混同してはいけません。


 で、先ほどの本『報酬主義をこえて』は、「行動主義批判」をすることで、「行動理論」「行動療法」の主張までもひっくるめて否定してしまおう、という、タチの悪い揚げ足取り言いがかりの本です。いくら、自分の主張する「内発」「自律」のよさを訴えたいからとはいえ。

 
 この本は2001年に一度出て絶版になったのだと思うけど今年秋になってなぜか新装本で再版された。

 
 どういう意図があるんだろうか法政大学出版。


 ともあれ、研修プログラムの中に「行動理論」の紹介が入っている当協会としても看過できず、申し訳ないが批判的な書評を書かせていただいた。

 態度表明しておかないと、研修で揚げ足取りされても困りますもんね。



 さて、「外発」「内発」の違いということで言えば、思い出す映画は、C・イーストウッドの『グラン・トリノ』です。


 このブログではこちらで映画評を載せています。

「『グラン・トリノ』からキャリア教育、『育てなおし』へ…」 


 端的に言うと、「セールスでもしたい」という少年に、イーストウッド扮する元自動車工のお爺さんが「建設現場で働いてみるか?」と言った。少年は当初あまり乗り気そうではなかったが、イーストウッドに紹介され上司にあいさつし、腰にカッコイイ工具をつけて街を歩く。すると少年の背がしゃんと伸び、表情が生き生きとしてくる。


 「セールス」がどの程度少年の心からの願望だったのかわかりませんが、外から押し付けられた仕事であっても、その仕事を通じて一人前の働く人間として認められることが、その少年の誇りにつながった、というお話。


 ラスト、老人の遺品「グラン・トリノ」のハンドルを握って疾走する彼は、ひょっとするとセールスマンになっていたのかもしれませんが…、


 この「願望」と「認められる」ということの関係性がシナリオに織り込まれていることに、そうそう、と膝を打ったのでした。イーストウッドって、「承認論」を知ってるんじゃないだろうか。あるいは、2000年前後に「内発がすべてに優越する」みたいな議論が全盛になったことに疑問を持ったんじゃないだろうか。

 
 実は、私は「どちらが強い」というつもりもないのです。

 どちらも同じ「報酬系」の働きだ、ということです。内発的願望をかなえることも、外から与えられた仕事を通じて「認められる」ことも。


 そしてどちらが強い弱いは、おそらくその人の置かれた状況や、もって生まれた性格、(他者との関係性を重視する性格か否か、とか)によって異なるのでしょう。


 今の脳科学の画像診断では、ある人が外から動機づけられたとき、あるいは自分のアイデアが採用されたとき、自分の企てたこころみが成功したとき、ほめられたとき、お金が儲かったとき、に脳の同じ部位が活性化するのをみることができます。画像診断にもまだまだ限界はありますが、変な二元論とかイデオロギー的仮説が入る余地は少なくなってきているのです。
 
 『報酬主義をこえて』は、意地の悪い見方をすると、「内発」「自律」という当時最先端の新たな商材を得た(と思った)学者さんが、他流派をこきおろして目立とうとした、「悪意の書」ではないかと私は思います。「内発」「自律」が大事なものだからといって、すべての教育や指導にかかわる人が行動理論的素養を持っておく(つまり、良い行動を褒めて伸ばすアプローチが出来るようにしておく。人は他人の報酬系を刺激する存在になることができるのです)ことについての免罪符にはなりません。そちらはそちらで、やっておいたらいいのです。

 もうひとついうと「内発」「自律」の過度な賛美は、現在のキャリアカウンセリングの隆盛を招き、企業の人材育成のあり方にも影を落としているのではないか、と私はみています。現実の職場の人は、学者さんが想定するよりずっと、上司に依存する存在です。若い人のほうが可愛らしいし教育への感受性が高いですが、上司教育をきちっとやるほうが現実にははるかに効果的なのです。


 しかし、こうした「学術論争」―先方のほうが「学者」のくせに思考プロセスが全然「学問的」じゃないのだが―は、現実の企業である教育研修を採用するか否か、の議論の中では残念ながら俎上に上げている暇はなく、そして間違った「学問」が信じられているのが普通なのであります。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp