グーグルには、「邪悪になるな(Don't be evil)」という有名な教えがある。


このブログにこのところ出てくる「自己愛」が、この「邪悪(=evil)」に対応している。


自分の出世欲や名誉欲、権勢欲のために他人を陥れたりしていないか。

正しいことに背を向け、ただ勝ちたいためだけに不毛な屁理屈をこねる人になっていないか。



正田は、これもたびたびカミングアウトしていると思うけど"Controlling"(主導型)である。


自分もそこに属しているからよくわかる。"C"の人間は、「質問する」のが好きだ。

支配することが好き。指示命令大好きな人間なのだが、
それは芸がないと気づき、脱却しようと試みるとこんどは「質問」にはまる。

"C"の人がコーチングを学ぶと、「コーチング=質問するコミュニケーション」と思い込む。

「質問」も、実は場を支配する「支配のコミュニケーション」なのだ。
相手に「このことを考えよ」と強いているのだ。

(質問ずきが高じて、ジャーナリストには"C"の人も多い。
うちの山口裕史さんは違うけど)


だから、みるからにコワモテの"C"の人が、
どこで洗脳されてきたのか
「コーチングとは質問することでしょう?」
と言う、
だけではなく
「私はもっとも大事なのは”問う”ことだと思います」
などと言うと、

私などは

「それは、あなたが生理的に『質問する』ことが好きで好きでたまらないんですね」

と、言ってやりたくなる。礼儀上言わないけれど。


私もそうだが"C"の人間は傲慢不羈なので、
他人に「認めてもらった」ことが自分のモチベーションにつながった、
とはなかなか認めたがらない。
ほんとうは彼らも「認められる」ことはすごく好きなのだが、
周囲が彼らのプライドに配慮して、
言葉で褒めるのではなく仕事を与えたりポストを与えたり、
さりげない形で認めてくれているので気がつかないだけなのだ。



営業に行った席でこの手の不毛な会話が多い。


担当者が、
「自分は人とは、組織とはこういうものだと思う」
「モチベーションとはこういうものだと思う」
と、持論をぶつ、
それは多くの場合その人個人の、個体の感じ方の域を出ていない。
一般論に敷衍できるレベルのものではない。
人の多様性についてしっかり学んでいないので、
自分の個体の感じ方を普遍性があると思い込む。

でもそれを指摘すると礼を失してしまうので、
多くの場合私は黙る。
そしてその会社を出てから、
「ああ、きょうも不毛な会話だった」と思う。



”C"の人間は一般的には正義感があり裏表がなく、
人間的に好感のもてる人も多いが、
性差別的な人も多い。
これは本来ものすごい甘えん坊なので、
以前にも書いたと思うが
自分のお母さんや奥さんに対してしてきた見下しやひどいことを
慢性的に後ろめたく感じており、
目の前の女の人を認めてしまうと、
過去に自分が女性に対してしてきたことをすべて懺悔しないといけないので、
意地でも目の前の女の人を認めないのである。

おもしろいことに、
女性に対する悪行のあまりひどくなかった"C"の男性や、
比較的大きい娘さんのいる"C"の男性は
正義感をもって、働く女性の味方になることも多い。


あと、"C"の人間といえど、
ある程度地位が高くなったり購買担当になってナルシになると、
どうしようもなく鼻持ちならない人間になることがある。
「邪悪」になることがある。

それはその人間の脇の甘さ、内省の習慣の有無によるのだと思う。


実るほど頭を垂れる稲穂かな。
地位が高くなったら、だれもまともに自分に反論してくれなくなる。
そのことをちゃんとわかっている人だったら、
他人においそれと議論をふっかけたりできなくなるはずだ。
偽の勝利体験ばかり積み重ね、判断を誤ってしまうはずだからだ。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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