以前『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一)を読んだとき、本の主題である「動的平衡」という概念よりも深く印象に残った登場人物がいました。


 ロザリンド・フランクリン。DNAの「二重らせんの発見者」とされノーベル賞を受賞したワトソンとクリックによる歴史的なデータ盗用事件の被害者である、女性分子生物学者。地道な基礎研究を積み上げた成果をワトソンとクリックに奪われ、37歳でがんで死去。


 このフランクリン女史の名前に再び出会いました。この歴史的盗用事件の”主犯”は”ロージー”ことフランクリンの元上司の教授でした。上司はロージーが嫌いで、のちに手記でフランクリンをケチョンケチョンにけなしています。この上司がワトソンとクリックを研究室に招き入れ、ロージーの撮った二重らせんを示す写真を2人に見せたのでした。


 2人の研究が盗用の結果だったことは、後の研究者や、「ネイチャー」の名物編集長の調査によりわかりました。しかしロージーは若くして死に、二重らせん発見者の栄誉は表向きワトソンとクリックのものになりました。


 世紀の発見を奪われ上司に欺かれ、37歳で病死。なんとも魅力的な生き方ではありませんか。男性研究者3人が優秀な女性の同僚の悪口・陰口で盛り上がっている図が浮かびます。1960年代のアメリカの学界は、まだ、そんな感じだったのでしょうか。


 今はどうなのでしょう。表面的には、例えば「白熱教室」のコミュニタリアン哲学者、マイケル・サンデル教授は挙手した学生を男女隔てなく指名し、回答に隔てなくうなずいているようにみえます。でもパフォーマンスとして行うのは易しいことです。


 日本では、もちろん、・・・。
 
 
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 先日このブログで触れた『福澤諭吉と女性』(西澤直子、慶應義塾大学出版会)が届きました。


 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の福澤諭吉は、また生涯にわたり「男女平等」を唱えた人でもありました。


 かれが繰り返し攻撃するのは明治期に広く流布した『女大学』という本。

 貝原益軒が江戸時代に著し明治期の女性たちに読まれたという『女大学』は、儒教の陰陽の観念に基づき、


女性は陰性であるゆえ男性に比べて愚かで、自分のすべきことがわからず、人を妬んだり憎んだりして、自分だけよくなろうとして浅ましい。女性は常に自分は男性より劣った存在であると意識し、男性のいう通りに行動すべきである。たとえ男性が間違っていると思ったとしても、女性にとって男性は主君に代わる者で天ですらあるので、自分の意見を強く主張することがあってはならない。生まれながらに悪く愚かであるがゆえに、何事も我が身を遜って夫に従うべきである。(pp.190-191)



・・・と、いうことを主張していたようです。


 どうでしょうね、上の文章。一見笑えるようでもあるけれど、これに似たことを私たちは今も日常的に刷り込まれていないだろうか。例えば女性作家が女性誌に連載する小説のようなところで、自らを戒めるような文脈で。


 この『女大学』はその後延々と受け継がれ、大正期の『女大学』など読んだこともない、と言う女性の中にも『女大学』の思考が抜きがたくある、という記述があります。そして男女同権を主張する人々を揶揄する言説にとっては、拠りどころとなりました。


 某大新聞解説委員のH・G氏が夢想する「明治の女性の無私の心』なるものの実体は、『女大学思想』である、というべきでしょう。文学的なロマンティックな言葉で言ってもだめです。ぼかさずにこれぐらい徹底して言語化すると、やっとロマンティックな幻想を相対化し笑ったりあきれたりすることができます。それは非科学的な、その時代に特徴的だった新興宗教やイデオロギーのたぐいのものです。


(補足すると、「女言葉」というものも、そんなに歴史の古いものではなく、江戸末期〜維新期に宮中や花柳界の女性言葉がやんごとなき言葉として庶民に広まったらしい。ジブリ映画で昔の女性がよく「オレ」と言いますが、江戸期まではあれがふつうだったようなのです。この時代(明治)は、男女の別の思想が急に強まった時代のようです)

 
 その後「女性の自己犠牲の精神」を美化する風潮は、太平洋戦争期に最も強くなり、このころが福澤諭吉の女性観が一番批判された時期でもありました。

 
 「女性の自己犠牲」ねえ・・・。

 どうでしょう、このブログの読者の方は、これは奥深くの美意識に訴える価値あるものなのでしょうか。

 私などは、頭の中に「変態性欲」という言葉が渦巻きます。どこかの国の纏足の風習をわらえません。


 H・G氏などは、大新聞の解説委員の地位を返上して「変態性欲(ついでにマザコン)親父」であることを自ら認めるべきでしょう。

 いや、このままでは日本中の男性がそれに染まります。そして国際的な恥さらしになります。


 サムスンのイ・ゴンヒ会長の以前の著書の中に「女性の愛情深さからくる責任感の高さは想像を絶する」という言葉が、だから女性は優秀な働き手だ、という文脈で使われていたのは大いに納得でき、我が国ジャーナリストの「明治の女性の無私の心」という妄想たくましき卑猥な言葉よりはるかに高尚だ、と思ったものです。


 
 さて、本題の福澤諭吉に戻ると・・・。


 福澤諭吉の「男女平等思想」はこの時代の人に似ず、筋金入りのものだったようです。


 かれの主張はまず、「一身独立」を説き、また中国や日本になかったものとして「自主自由」や「自由独立」がいかに重要であるかを説きます。


  次に主張したのは、男女の平等で、人間関係の基本に夫婦を置き、男女は天地間において軽重なく等しい存在であると述べ、その証拠として開闢以来男女の生まれてくる数に差がないことを指摘します。



 さらに『日本婦人論後編』では、

 
男女は「平等一様」で能力に差がないことを述べ、「人は万物の霊なりと云えば、男女共に万物の霊なり」という。夫婦間は「お互いに親愛し相互に尊敬するこそ人間の本分なるべし」と、愛だけではなく互いに敬意を持つことが重要であり、敬意とは妻を一人前の人として同等に扱い、話し合い相談し合うことであると述べている。女性を家の跡継ぎを生む道具のように考える、もともとは武家の家風であったはずの風習が広まっているが、それをなくさなければいけない。さらに夫婦は愛と敬に加え、「恕」の気持ちも持つべきであると説く。(pp.15-16)



 女性の地位を引き上げるのは、男性のためでもあり、そして一国のためである。日本は「男女共有寄合の国」であり、女性を一人前に扱わなければ、国を支える力は半分になってしまう。また日本は「日本国民惣体持の国」であり、女性も一人前の人となり「立派に国の政事の相談相手」となるべきであると考える。(p.16)



 さすがに教育者らしく、

「男子の口にも婦人の口にも芥子は辛くして砂糖は甘し」
「男子に不自由なるものは婦人にも不自由ならざるを得ず、男子に内証あれば婦人にも内証あるべし」

と、わかりやすい表現で男女は同じであることを言っています。


 このような当時としては驚くべき開明な男女平等思想を、福澤はどうして持つにいたったのでしょうか。


 咸臨丸に乗り込み渡米して当時のアメリカ式男女平等をみて驚いたという福澤諭吉ですが、同じ光景をみた別の男性には「あれは女尊男卑だ。けしからん。胸糞が悪い」と言う感性もあったわけで、受容する前からの感性の違いもあったことでしょう。


 本書では、下級武士の子として生まれた諭吉が幼くして父を亡くし苦労して子育てした母、3人の姉をみて育ち、とりわけ3人の姉とは頻繁に手紙を交わした、仲睦まじい姉弟だったことが記されています。姉たちは他家に嫁いだあと若くして夫を失うなど不幸な結婚生活を送り、また福澤が「女も手に職を」と望んでいたにもかかわらず、姉たちはついに職を持たず嫁ぎ先と夫に従属する人生を送りました。


 あくまで私の想像ではありますが。優れた教育者であった福澤は、姉たちとのやりとりから、彼女らの中に普通の男性にまさるとも劣らない知性があることを見出し、それが女性であるがゆえにまったく活用されず、彼女らの地位向上に役立たなかったことを惜しんだのではないでしょうか。


 少し前の時代の吉田松陰もまた、優れた教育者でありまた女性や弱者に思いを寄せ(松陰の弟が聾唖だったという)、獄中で出会った女性との交流を楽しんだ人でした。もう少し遡ると僧として初めて妻帯した「親鸞」などもまた・・・。



 福澤諭吉はまた『日本男子論』を執筆し、「ヂグニチー(dignity)」という概念、また「男子」らしさにこだわりました。

 女性の地位向上のためには思い切って男性を引き下げることもまた必要で、

 ―「引き下げる」というと語弊がありますが、「あえて既得権益を手放す」「特権階級から下りる」といったことで(あまり変わらないか)


 ―より具体的に例えていうなら、男性だからといって自動的に優先的に昇進させる、という慣行をなくす、ということです。能力によっては女性を先に登用することもあり得る、ということです。それをあえて行えるのは今でも多くの場合、現在人事権をもつ、あるいは人事評価をできる「男性」しかいないのです。


 そのためには男性側の気品、智徳の向上が必要でした。卑怯ではない、正々堂々としている、決断力がある、男性陣がそのようになることで、女性ははじめて引き上げられるのです。

 「女性の自己犠牲」といった、実は幼稚な甘えにすぎないレベルから脱して大人の男性になることを求めたわけです。

(だから、過日このブログで「この恥ずかしい卑怯もん」と某氏のことを罵ったのも、わかるでしょ。)



 私の恩師もまた、女性の門下生たちが世界をまたに活躍することを心から喜んだ人でした。

 残念ながら私は彼をがっかりさせた方の1人です。



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 福澤諭吉が見事に看破したように、性差別は制度でなく偏見です。頭、心、身体の中に根強く残る潜在意識です。


 例えば「ロージー」ことロザリンド・フランクリンが上司たちから受けた仕打ちに対して、あなたは何と思うか。

「やっぱりねえ、女は下手に自分は優秀だとか主張しないほうがいいのよ」

「いるいる、うちの会社にも。あたし優秀なのよって高慢ちきな女。俺らみんな奴のこと嫌いだよ」


 そういった潜在意識は、言葉にしてみることで初めてあらわになります。科学的にはまったく根拠のない『女大学』と同様の思考回路をもっていることが。


 私は例えば「セロトニントランスポーター」などを持ち出して日本人の特異性を言いますが、一方で日本女性が能力的に劣った存在であるという根拠はまったくありません。このところスポーツ、芸術などの分野で日本人女性の活躍が目覚ましいのはご存知の通りです。


 差別が温存されていることの原因として1つの仮説は、日本人が「不安感が強く」、「安心感を求める気持ちが強い」がゆえに、女性に癒しの機能を求めたがることではないかと思います。癒しの存在であるためには、女性は教育レベルが低く、知識も判断力も持たずただ身を着飾るいきものでなければなりません。

 ―現代の20代女性の「婚活ファッション」がどんどんセクシュアルに、あるいはロリコン的になっているのもむべなるかなです―

 ただもちろん、性差別は日本人全体としての弱体化につながります。「真の実力主義」が徹底されないところでは、男もまたそれなりのレベルにしか成長しないでしょう。


 福澤はその「女性論」「男性論」のために、批判を受けることもすくなくなかったそうですが、彼が当時男性陣の1人として奮い起こした勇気の大きさについて思いをいたせるでしょうか。


 日本の歴史上、時折あらわれる、知性高く勇気ある良心的な男性。しかしそれは歴史を大きく動かす力には、まだなっているとはいえません。


 そしてはるかに軽々しい「明治の女性の無私の心」といったフレーズが奇妙にはびこるのが2012年の日本です。


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 長女が志望の大学に合格しました。

 
 よしよし。性差別のない国に行けよ。



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