1日、第32回よのなかカフェ「『想定外』について、考えてますか?」を三宮・アロアロにて開催。


 
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 お客様・スタッフ計11名で「想定外」「失敗学」について議論しました。フリーライター、大学教授、高校教諭、ミュージシャン、大学生と多士済々な顔ぶれ。

 ときに鋭くときにしみじみ、非常にいい議論になりました。


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 今回のファシリテーターは、史上最年少・ハルカ19歳。

 隣で「ささやき女将」になっている私。



 
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 冒頭、問題提起者のフリージャーナリスト、山口裕史氏から発表。

 山口氏は神戸新聞記者時代、阪神淡路大震災を経験し、そのとき明らかになった問題点を踏まえ昨年の「3・11」後の福島第一原発事故の経緯にも関心をもったそうです。


 同事故を受けた事故調査委(座長・畑村洋太郎氏)による中間報告書を題材に。


「日本社会には、失敗を恐れ、失敗を恥じ、失敗を隠そうとし、失敗から学ばない。明治以来欧米の真似をすることで失敗を避け、効率よくキャッチアップしようとしたため。」

「なぜ対策が不十分だったか。民間企業による自主保安だと、経済性と安全性のせめぎあい。専門分化・分業の弊害。」

「なぜ自主保安に任せたか。油断。周辺住民からの訴訟を起こされたときに安全ですと言ってしまっている。安全性を高めるために改良を加えようとするとこれまでの過去を否定することになる 」

 事故の発生とそれを初期鎮圧できず拡大してしまった経過を振り返り、

「なぜ、SA(シビアアクシデント)を想定したAM(アクシデントマネジメント)ができなかったか?」を問います。

「人は、物事を考えるときに『ここまでを考える』と、考える範囲を決める。そしてその範囲内のことをじっくりと考えるが、範囲外となったことは考えなくなる。」

――それが、事故拡大を招いてしまったのだと。


 早速会場では活発な議論。


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「自分の言葉にぼくも縛られていると感じる。こうあってほしいという願望。それを皆さんに納得してもらうには。」

と、高校の先生。


「権威者の言葉がひとり歩きする。みんな納得する。そして何か起こったとき想定外ですとなる。それは学校でも大いに起きる。いったい誰がどうして責任をとっていけるんですか。」


「ポジティブな予測と権威者の言葉が結びついたときに『想定外』が起きる、ということでしょうか?」


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「大学で『想定外』といえば、学校に行ってから休講になってたとか(笑)PHSを使っていたら電池がなくなったとか、連絡手段を確保することは大事だと思う」


と、就活中の大学生さん。


「身につまされることがある。専門のことをやっていると案外横の連絡がとれなかったり自分の専門に埋没したりする。世界的にそう、専門ばか。それに休講の話も身につまされます。英国では授業料がただだったときは休講にクレームはなかった。授業料20%負担とすると、休講のたびクレームの山。」

「日本がこんなに危ないところだと思わなかった。ヨーロッパ全体で自然災害が少ない。津波が10Mもあるとだれが想定したでしょうか。防波堤を築いたら海がまったく見えなくなるし地元に反対が起きるでしょう。」


日本の場合は反省がすごく長い。そして責任問題にしやすい。ヨーロッパは自己主張が強いです。日本は責任社会です。」


「日本は責任社会、というところが大変印象的です。昨年10月によのなかカフェへ来られたスウェーデン人研究者のアンベッケン女史も同じことを言われていました。スウェーデンでは日本のように政治家個人の責任を問うことはない、よほど悪ければ政党が交代するけれども政治家個人の攻撃にはならない、同じ人間なんだから、と。やはり日本の特徴的な現象なんでしょうか」


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「責任に関して思い出した。最近売っている商品にも注意書きがすごく多い。責任をメーカー側にあるという流れがあるからか。」


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私は昔から責任をだれかのせいにするって大嫌いだったんです。この原発事故について調査して責任を明らかにするのは大事なことですが、友達が南相馬市にいて、そこに生活している人達のことを考えたら、責任がだれにあるかなんてどうでもいい。生活の問題を解決してほしい」


「日本が責任社会だというのは違和感がある。責任逃れをする人が多いから。本質を見ようとしないのが本当ではないか。二元論で何か語って理想像を真摯に語ると言う風潮が欠落しているのではないか


「想定外についてもっと単純に考えられないか。10Mの防波堤を超えてきたらどうしたらいいの?それを考えていれば今回のことは起きなかったんじゃないの。日本の象徴天皇制は責任を負わされるためのお飾りでしょう」


「TVからの情報しか得られないが4−5年先に東京で地震が起きるということも想定内にするためだと思うが、きちっと想定してるのか、どうなんだろう」


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「結局責任逃れのために数字を入れているとしか思えない 想定外ってなくならないと思う どこかで線引きしないといけない その代りきちっと説明する 防波堤のために景色を犠牲にしていいか 模索しないといけない 想定の範囲内でしかないものを絶対と言っちゃうから想定外になるわけで。何か起きたとき 自分の責任範囲もあるということを 考えて生活せざるを得ないのじゃないか」


 ここで神戸新聞の松井記者登場。


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「最近の天気予報頭いいなーと思うのは 降水確率30%だとか 間違ってると言えない あれは賢いような気もします」

「パーセンテージで出すことは教育の世界でもすごく多いんです 偏差値 大学入学時は出すんですが卒業時は出さない あれば便利なのは確か あれも英国にはないんです 日本って便利な国で。日本人は理数系が得意なんで パーセンテージを出すというのは うまいですね」


「データというのを出すから想定外ということが出てくるんじゃないか」


「そうだろうか?私は絶対安全と言われるよりは、安全確率80%と言われたほうがそうかと思って多少用心する。」


「ヨーロッパは地震がないのですが テロというのはものすごくあります あれは全部想定外です テロに関しては非常に警戒を持ってます 地震については全然想定してないので 何かあったら崩れると思います」


「リスクを想定できるかできないかは コストの問題が大きくて 今日も安い飛行機が飛んだというニュースがありましたがあれもコストを抑えているのでリスクマネジメントおろそかにならないかなと」


「コストというのが際限なくあれば巨大な岸壁をつくればいいが 境界をどこかで作らなきゃいけない コストは境界を考えるときの大きな要素


想定外の問題には人的問題が入ってくる。例えば貞観年間に15Mの津波が来たことを指摘した人がいたが、黙殺した。それは絶対安全と言った過去を否定するというか、過去に意思決定した上司や先輩を否定することになってしまうから


「その通りで、報告書では経済的制約で境界が設定されるが 明示的ではなく関係者間の暗黙の前提もまた境界をつくる」 


「リスクがあるうえでいかに最大公約数的な合意形成をいかにできるかなんですけど リスク、メリットデメリット、きちんと整理したうえで合意形成すればいいのに、暗黙の前提なんかを作っちゃう。日本は同質化が顕著で違うということを受け止め合う教育をしていない 今度の原発の問題を機に いかに違いを受け止めて 質の高い合意形成をできるかだと思う


「以前(3年前)のよのなかカフェで 新インフルエンザの時 想定外というより オーバーリアクションという問題だった。コスト的にあらゆることを想定してやっていくのは恐らく無理。あらゆる部分で想定外はなくならないだろう。ただ慣れてるか慣れてないかだけで。慣れてないことに対してはオーバーリアクションになる


「想定を超えるリスクというものはあるものだ、ということを認識しておくような教育をしていくことが必要だと思う」


「英国でも専門家は凝り固まって外をみない。ただ日本と違って外部検査が頻繁にある。日本にはそれがほとんどない。原発もいわば身内検査なので、どうしても甘くなる。僕らも3年に1回外部検査を受けるがものすごくしんどい。大学の検査はまったくの外部です。文科省でもない。日本では外部検査は?兵庫県には公立高校には入ってる 私学にも2年後には入る」


「松井記者自己紹介 想定外は 折り合いをつけるということが必要なのかな 原発でも折り合いをつけることがひとつの落としどころで想定 折り合いだから絶対ではないので」


「外部検査ということについて、国家権力の横暴とかみてても外部から検査する誰かが必要だと思うがそれもたぶん癒着しちゃう。格付け会社なんかもうさんくさいし。結局個人が指標に対してリテラシーを持ってするしかないと思う」


「外部検査は3年ごとにエグザミナーが変わっていくんです。そして結果をすべて公表する。癒着をなくすために外部エグザミナーを選べないんです。そこまでのは日本にはないと思います」

「日本の場合外部検査と言わないですね。第三者評価といいます。公表はしていますが、公表したものを日本人はみないんじゃないですか」 

「原発の問題に戻りますと、保安委員会がもし完全な外部で3年に1回なり結果を完全に公表するとかすればかなりのインパクトがあると思います。大学の外部検査は他の大学の哲学の教授です。負担は大きいです。書類作成がすごく多くて。でももう100年それが続いています それがなかったら英国の大学はダメになっていただろう」


 そろそろお時間になり、「最後に皆さんから一言ずつ」お願いしました・・・


「私の最大の想定外は27歳で難病になって フルートの仕事を一時期やめていました 私自身にとっては明日が普通にやってくるということが幸せ ミュージシャンの世界はどんどん厳しくなっていく みんなそこで何とか生き残る。不安定な中でみんな頑張っているので 毎日が私達想定外 大阪市の交響楽団がこんどなくなるし、友達がそこにいます 」


「ボーイスカウトの中で「備えよ、常に」という言葉があります」

「この問題は今日すごく考えさせられました もし今福島第二原発でテロが来たらまた想定外なんじゃないか」

 
「私にとって線引きするっていうこと自体が考え方を固めてしまうことにつながるんじゃないか。それはお話を聴いたあとも私には理解できない」


「インフルエンザのときのオーバーリアクションの話。何か起きた時リアクションをしてしまい、それがオーバーになったときまたそれを修正する 融通がきくということが大事なのかなと思った」


「自分が地震がきたときやはり備えられていないな、ということに気づきました」


本日の発表者の山口さんは:

「言葉を使う仕事なので繰り返し考えたい。最近きいたことで、除染という言葉を使うとそこに汚染がなくなるような気がするが、移染といってどこかへ移すだけだということがわかるようにしたい。言葉ひとつとっても 境界を皆さんに作ってしまう


正田から

「本日は皆さん素晴らしい議論をしてくださいました。1つ付け加えたいのは、失敗から学ぶということについてこの報告書のようではなく、切実に実践している会社は少なくない、先日も工場見学に行きましたが、つねに失敗しそこから学んでいます、と言われます。そうしなかったらその人たちは死ぬんです。そういう産業界でプラスの努力をしている人のお声も聴けたら良かったと思います。この報告書は、やっぱりT電さん独特の甘さもあると思います」


一同、重厚な発表をしてくださった問題提起者の山口裕史さんに拍手。そして自分の言葉で議論に参加してくださった皆さん、100枚余りの写真を撮ってくださったカメラマン山口元子さん、そして会場のアロアロさん、ありがとうございました。


19歳ファシリのハルカも皆さんに支えられ、無事大役を終えました。


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れいによって正田の後出しジャンケン的感慨・・・


何度か「納得できる合意形成」という言葉が出ました。
正田ももちろんそれに賛成ですが、カフェの中でもお話ししたように、そこに私たちを合理的でなくする、人的要素が非常に大きく入ってきます。公開のカフェは組織っぽくない場なので、その人的要素があたかもないもののように発想することができます。でも現実の組織はそうではありません。

それは「人的要素が入るから、だから無理だ」ということを言っているのではなくて・・・

「人的要素」を、努力して小さくする、それによって「科学的・合理的判断」に近づけることが大事なのだと思います。


努力して小さくするにはわたしたちが賢くならなければなりません。

具体的には変な「面子」でものごとを考えないとか、
人間関係の摩擦を最小化するとか
(・・・そのために必要な教育研修とは、何でしょうか・・・)


「想定外」の反対は「オーバーリアクション」だ、という指摘もまた、新たな重要な気づきでした。
新型インフルエンザについてはよのなかカフェ発足間もない2009年5月に急遽取り上げ、そこに北中教授が足を運んで英国からの視点で発言されました。英国では患者発生後もすぐに平静を取り戻し報道も小さくなり、ジェル状の手消毒液が出回りました。日本の騒ぎが異常に見えた、「ケガレ」の発想にみえた、というお話。このときも非常に有意義でした。



今回のカフェはUstream配信をしました。こちらから録画を視聴していただけます:

http://www.ustream.tv/channel/%E6%83%B3%E5%AE%9A%E5%A4%96-%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B


(注:番組冒頭部ではマイクを使用するのを忘れたため、音声が入っておりません。開始10分後より音声が入っています)


よのなかカフェ次回は5月13日(日)、15:00〜17:00、
テーマは「子供たちが危ない!」です。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp