「今の子は、自分を認めてくれる人が欲しいんですねえ。
そのままの自分、今の自分を認めてくれる場や人が欲しい」
そう話すのは、神戸市青少年補導センター指導主事の井上顕(あきら)先生(52)。
井上先生は市内のいくつかの小学校で教頭を経験されたあと現職。街で補導活動をしたり、不登校の生徒をセンターで預かって指導したり、ということをされています。
「今の思春期の子はストレスが多い。それは、小学校にも素地があります。
今の子は、環境がまず違う。核家族で、親御さんが1人1人連帯感がない。近所の親御さんと関係が薄い。相談できず、孤立している。
昔だったら三世代同居で、おじいちゃんおばあちゃんも家にいたところ。
共働きも多く、十分大人と関わってこなかった。
そして子どもは、インターネットもある便利な時代。体験が少ない。自分でやって、失敗して、試行錯誤する機会が奪われている気がする。
体験して大人たちとからみあって、人間関係を築いている。
大人社会の変化、身の回りの便利さ。それにより力不足のまま思春期に入ってきている。どのお子さんも、そう。
便利、裕福だが、機械に振り回されているような気がする。
不登校の件数は、神戸市では10年前をピークに横ばい〜減っている。
2000年前後までは、「登校拒否」といってたんですが。今の時代、だれにでも起こり得る。
今の子は、目先には自分を認めてくれる場や人が欲しい。
そのままの自分、今の自分を認められたい。
中学生になると、将来への不安感がある。今、だれでも先が見えないでしょう。わからないから不安。そのために勉強しておこうか、学力をつけておこうか、となるのだが。
将来の見通しがちょっとでもみえてきたら、安心。
不登校の子にとっては、高校にいくことがまず目先のこと。高校に行けるだろうか、その先、社会に出てやっていけるんだろうか。
一番つかんでほしいのは、自信。
どんな自信かは、子どもたち1人1人違う。
不登校になる子はいい子たちが多い。まじめ、やさしい、きちょうめん、頑張り屋。
不登校になる子は、それが過度になりすぎる。まじめすぎる、やさしすぎる、きちょうめんすぎる。
他の人と折り合いがつかなくて疲れてしまう。
自信をもってほしい。
大体、「挫折した、自分はダメな人間なんだ」と思う。
しかしその子が不登校になった原因自体が長所なんですよ。
ここ(センター)では、カードゲームや体験活動をしながら、「あなたこんないい面があるねえ」と教えてあげる。
今の自分で持ってるんですよ。
体験活動は、市の他の施設と連携してやります。市立博物館ですとか、西区神出教育園で農作業をしたり、田植えをしたり。このセンターの上にも卓球台があります。
適度、ほどほど、ちゃらんぽらんというのが、人間関係をつくるうえで大切なことです。さじ加減をおぼえる。今の時代はTVゲームや一人遊びで、さじ加減を十分につくれないまま大きくなる子どもが増えている。
正義感がつよすぎると衝突する。
一方で器用につかいわけすぎるとあまり気持ちよくない。
正田さんの著書『認めるミドルが会社を変える』の中に、『公平』という言葉が出てきましたが、大事なことですね。(注:書籍の中では『公正』という言葉) 公平は、ものすごくむずかしい。労力が要る。実は1人1人対応が違う。言い方が違う。
公平は絶対大事です。1本筋が通っていること。(私、井上がそれができていた、と言われるのは)子どもが正直だからです。おかしかったらおかしい、うれしかったらうれしいと言ってくれる。
もう教員生活30年になります。若いときは体を動かして走り回ってぶつかって反省して、だんだん考えることが多くなった。落ち着きが出てきたのかなあ」
井上先生は、実は正田の上記の著書に仮名で登場されています。うちの上の娘達が小学校で担任していただいた、厳しいけれども子どもたちに人気のある、力量のある先生として。
よく褒め、冗談を言って笑わす一方で、
「廊下を走ったら危ないやないか!」
カーン、と叱る技をもった先生でもあります。
「叱れない風潮」について、井上先生におききしました:
「先生方に関しては、経験を積んでもらうしかないですね。
親御さんも同じ。子どもが納得するかどうか。納得すれば、自分で考えてくれる。対話が必要。叱る前から。その素地があってこその『叱る』。
関係というものができていれば。
半分位は、叱る前の段階でできている。
若いころは、『こんなふうに叱ったらいいか、あんなふうに叱ったらいいか』と試行錯誤していました。
六アイ(小)でやっていたのは、クドクドは言わなかった。自分でわるいとわかっていたら、一言二言でわかる。でもわからない子もいる。そのときは『わからへんようやからわかるように話すね』と言う。」
「ぼく、軽く叱っていただけなんですが」
という井上先生に、
「いや〜、先生の『軽く』は普通の子にはインパクトがあったようですよ」
と、笑って差し上げました。
若い先生にそうした呼吸をどう伝承するかというお話にはなりませんでした。
なんかそこで、「共有」「標準化」という作業をしてほしい、と思ったのは私のわがままでしょうか。
久しぶりにお会いする井上先生はあくまで快活な笑顔で、また「公平」という話題でみせた食い入るような真摯さをみるとき、
「このひとは『個別化』という資質のある人かもしれないな」
とふと、思いました。
1人1人の個性を素早く見抜き、対応を変えてしまう。こういう才能のある人がいう「公平」は、ない人の言う「公平」とは、少し種類の違うものです。
でも結局それで子どもたちには納得感のある「公平」になるのです。
さて、井上先生は残念ながら、13日の「よのなかカフェ」にはおいでになれないようです。
代わりに、というか大物登場。
姫路の「学級崩壊お助けマン」こと、間森誉司(まもり・たかし)先生が、よのなかカフェに出席していただけることになりました!
間森先生は62歳、社会科の教育実践で有名な先生でもう定年ですが、今は和歌山大講師のかたわら、姫路市の「臨時教諭」として、学級崩壊に陥ったあちこちの小学校に入って立て直しをされているのだそうです。
そのノウハウも知りたいし、それを通じて、今の子どもたちが心の奥底で何を求めているか?が、わかってくるのではないかと、正田は超・期待しています。
連休の次の日曜、13日15-17時、三宮のカフェ「アロアロ」にて。「今」を見据える教育者たちと対話してみませんか。親御さん方のご参加、大歓迎。
参加費2000円、お茶・ケーキ付です。
詳細とお申込みは よのなかカフェページ にて。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
そのままの自分、今の自分を認めてくれる場や人が欲しい」
そう話すのは、神戸市青少年補導センター指導主事の井上顕(あきら)先生(52)。
井上先生は市内のいくつかの小学校で教頭を経験されたあと現職。街で補導活動をしたり、不登校の生徒をセンターで預かって指導したり、ということをされています。
「今の思春期の子はストレスが多い。それは、小学校にも素地があります。
今の子は、環境がまず違う。核家族で、親御さんが1人1人連帯感がない。近所の親御さんと関係が薄い。相談できず、孤立している。
昔だったら三世代同居で、おじいちゃんおばあちゃんも家にいたところ。
共働きも多く、十分大人と関わってこなかった。
そして子どもは、インターネットもある便利な時代。体験が少ない。自分でやって、失敗して、試行錯誤する機会が奪われている気がする。
体験して大人たちとからみあって、人間関係を築いている。
大人社会の変化、身の回りの便利さ。それにより力不足のまま思春期に入ってきている。どのお子さんも、そう。
便利、裕福だが、機械に振り回されているような気がする。
不登校の件数は、神戸市では10年前をピークに横ばい〜減っている。
2000年前後までは、「登校拒否」といってたんですが。今の時代、だれにでも起こり得る。
今の子は、目先には自分を認めてくれる場や人が欲しい。
そのままの自分、今の自分を認められたい。
中学生になると、将来への不安感がある。今、だれでも先が見えないでしょう。わからないから不安。そのために勉強しておこうか、学力をつけておこうか、となるのだが。
将来の見通しがちょっとでもみえてきたら、安心。
不登校の子にとっては、高校にいくことがまず目先のこと。高校に行けるだろうか、その先、社会に出てやっていけるんだろうか。
一番つかんでほしいのは、自信。
どんな自信かは、子どもたち1人1人違う。
不登校になる子はいい子たちが多い。まじめ、やさしい、きちょうめん、頑張り屋。
不登校になる子は、それが過度になりすぎる。まじめすぎる、やさしすぎる、きちょうめんすぎる。
他の人と折り合いがつかなくて疲れてしまう。
自信をもってほしい。
大体、「挫折した、自分はダメな人間なんだ」と思う。
しかしその子が不登校になった原因自体が長所なんですよ。
ここ(センター)では、カードゲームや体験活動をしながら、「あなたこんないい面があるねえ」と教えてあげる。
今の自分で持ってるんですよ。
体験活動は、市の他の施設と連携してやります。市立博物館ですとか、西区神出教育園で農作業をしたり、田植えをしたり。このセンターの上にも卓球台があります。
適度、ほどほど、ちゃらんぽらんというのが、人間関係をつくるうえで大切なことです。さじ加減をおぼえる。今の時代はTVゲームや一人遊びで、さじ加減を十分につくれないまま大きくなる子どもが増えている。
正義感がつよすぎると衝突する。
一方で器用につかいわけすぎるとあまり気持ちよくない。
正田さんの著書『認めるミドルが会社を変える』の中に、『公平』という言葉が出てきましたが、大事なことですね。(注:書籍の中では『公正』という言葉) 公平は、ものすごくむずかしい。労力が要る。実は1人1人対応が違う。言い方が違う。
公平は絶対大事です。1本筋が通っていること。(私、井上がそれができていた、と言われるのは)子どもが正直だからです。おかしかったらおかしい、うれしかったらうれしいと言ってくれる。
もう教員生活30年になります。若いときは体を動かして走り回ってぶつかって反省して、だんだん考えることが多くなった。落ち着きが出てきたのかなあ」
井上先生は、実は正田の上記の著書に仮名で登場されています。うちの上の娘達が小学校で担任していただいた、厳しいけれども子どもたちに人気のある、力量のある先生として。
よく褒め、冗談を言って笑わす一方で、
「廊下を走ったら危ないやないか!」
カーン、と叱る技をもった先生でもあります。
「叱れない風潮」について、井上先生におききしました:
「先生方に関しては、経験を積んでもらうしかないですね。
親御さんも同じ。子どもが納得するかどうか。納得すれば、自分で考えてくれる。対話が必要。叱る前から。その素地があってこその『叱る』。
関係というものができていれば。
半分位は、叱る前の段階でできている。
若いころは、『こんなふうに叱ったらいいか、あんなふうに叱ったらいいか』と試行錯誤していました。
六アイ(小)でやっていたのは、クドクドは言わなかった。自分でわるいとわかっていたら、一言二言でわかる。でもわからない子もいる。そのときは『わからへんようやからわかるように話すね』と言う。」
「ぼく、軽く叱っていただけなんですが」
という井上先生に、
「いや〜、先生の『軽く』は普通の子にはインパクトがあったようですよ」
と、笑って差し上げました。
若い先生にそうした呼吸をどう伝承するかというお話にはなりませんでした。
なんかそこで、「共有」「標準化」という作業をしてほしい、と思ったのは私のわがままでしょうか。
久しぶりにお会いする井上先生はあくまで快活な笑顔で、また「公平」という話題でみせた食い入るような真摯さをみるとき、
「このひとは『個別化』という資質のある人かもしれないな」
とふと、思いました。
1人1人の個性を素早く見抜き、対応を変えてしまう。こういう才能のある人がいう「公平」は、ない人の言う「公平」とは、少し種類の違うものです。
でも結局それで子どもたちには納得感のある「公平」になるのです。
さて、井上先生は残念ながら、13日の「よのなかカフェ」にはおいでになれないようです。
代わりに、というか大物登場。
姫路の「学級崩壊お助けマン」こと、間森誉司(まもり・たかし)先生が、よのなかカフェに出席していただけることになりました!
間森先生は62歳、社会科の教育実践で有名な先生でもう定年ですが、今は和歌山大講師のかたわら、姫路市の「臨時教諭」として、学級崩壊に陥ったあちこちの小学校に入って立て直しをされているのだそうです。
そのノウハウも知りたいし、それを通じて、今の子どもたちが心の奥底で何を求めているか?が、わかってくるのではないかと、正田は超・期待しています。
連休の次の日曜、13日15-17時、三宮のカフェ「アロアロ」にて。「今」を見据える教育者たちと対話してみませんか。親御さん方のご参加、大歓迎。
参加費2000円、お茶・ケーキ付です。
詳細とお申込みは よのなかカフェページ にて。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
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