子どもの行っている学校でもよく先生方が「目標を持て!夢を持て!」と言われる。

私は、「目標」「夢」なるものをあまり信じてない人間で、

「そんなものは出会い次第だ」

と思っている。

自分の高校時代はその手の「目標をもて夢をもて」的なことを先生から言われたことがなかったように思う。


最近の先生方はNLP寄りのコーチング研修を受けてくるので、「目標達成はすばらしい。目標は人に力を与える」という発想になるのだろうか。


確かに、上の娘たちについては志望高校、志望大学が決まったときにガーッと勉強して、そのためには自分の苦手科目でさえ克服してしまったので、

「目標が定まったときに発揮する力はすごい」

というのは、知っているつもりである。


しかし、彼女らは「目標をもて夢をもて」と言われたからそうなったというわけではない。たまたま、ある大学や高校の校風や学風がすごくいいと思ってほれこんで、
(そのプロセスには一部親も裏で糸を引いたふしがあるが)

そうしてその学校の一員に自分もなりたいと思って、

そうしてその学校に受かることがその時点の目標になったのだ。


いつも言うのは、何の根拠もなく自然に目標や夢やビジョンを持てる人は日本人ではそう多くない。大半は、「今やってることを一生懸命やれればいい」という価値観型である。

「自分は目標を持ったからやってこれた」

という人に詳しい話をきくと、そもそもは学校の先生が自分のある分野の才能を認めてくれたからその才能の延長線上の目標を持った、という。

じゃあ、やっぱり人が人を認める力って大事ですね、とそういう話になる。


よく引き合いに出される、

「イチローは小学校の卒業文集に『自分はメジャーに行く』と書いた」

だから目標を持つことは大事だ、という話。

私なりの解釈は、

「イチローはもっと小さいころから野球を練習して自分を磨きあげてきて、お父さんも喜んで全面的に応援してくれていた。既に自分を磨きこんできたからこそその延長線上に目標を立てられたのだろう」

というものである。なんという天の邪鬼。

もちろん、目標を立てた後のイチローにとってはその目標は心の支えになっただろう。
だから、立てた後の人にはいいものなのだ、目標は。


あ、あとよく引用される、イリノイ大学かイエール大学かの卒業生が、
目標をもっていた人の方が年収が高かった、という調査。
あれは実在しないでっちあげ調査らしいです。
真実はむしろ逆で、目標をもった人がむしろ挫折している率が高いという調査結果があるそうです。

『その科学が成功を決める』という本だったと思います。



もともと目標や夢をもつ才能にめぐまれていない日本人が、

「目標を持て。夢を持て」

と言われても、嫌気がさすのではないかとおもう。自分の苦手なことを押しつけられるわけだから。


そう言う前に、

「君はこれこれが良くできるね」

「君はこの分野ではだれにも負けないね」

「君はこのことについて凄い努力をしているね」

そういう言葉を、変に打算をもたず事実として認識したとおり虚心坦懐に言ってあげたらどうだろうか。


まだあんまりまとまっていない項目です。
今後逆のことを言いだすかもしれません。

(でも、数年来同じようなことを言ってますね)



P.S.

ちなみに私自身が何に動機づけられているのかというと、
「夢」「希望」「目標」といった明るいものではありません。
名づけるなら、「暗い意志」とでもよぶものです。

「とにかくここまでやったんだから、前へ進むしかないか」
というような感覚です。


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