このたびの「理事不在問題」について、
ぶじNPO臨時総会を終わり、理事会も終わりました。


 ご協力くださった社員(正会員)の皆様、ならびに理事の山口さん、大前さん、ありがとうございます。


 早速法務局に行って登記の手続きをした。

 窓口で大量の法人印を書類に追加で押すよう指示された。

 (良くしたもので、不思議と法務局窓口にある朱肉はきれいに印影が出るようになっているのだ)


 
 理事会で、会社役員で元コンサルだった大前さん-この人ももう不惑になる-などは


「これ(改選忘れ)、普通の法人でもよくあることですよ。書類にちゃちゃっとハンコついて、外に公表なんかしないで終わりにしますよ」


と笑われたが、


私:「コソコソするのって嫌なんですよね。社員さんの中にもお客さんがいますし、変なルートで耳に入った時嫌〜な気持ちになる、それぐらいだったらこちらから公表しちゃったほうがいいと思う。それに隠し事していると、ほかのコミュニケーションも全部おかしくなる気がするし」


 本当はほかにも理由があって、

 どこで読んだか忘れたが


「『自己愛』は『ありがとう』と『ごめんなさい』が言えない」


(今年初めから自己愛性人格障害関連の文献を読みまくっているので正確にどこで読んだか定かでないのだ)


 プライドが高すぎる「自己愛」の人は、プライドが邪魔して他人に感謝することもできないし、自分の非を認めて謝るということもできない。


 研修講師という職業は、ナルシシストになりやすい。人前でしゃべるという行為は、ナルシだと比較的容易にできるし、元々そうでなかった人でも自分の心をナルシ気味のモードにすると、迷ったときでもそれを隠して鉄面皮に言い切りの口調でしゃべったりしやすい。


 そうなるのが嫌なので、


「自己顕示欲から発してものを言ってはいけません」

と、かねがね言ってるわけであるが、

さて私自身が本当にそうなっていないか?はなはだ疑問だ。最近よく自分の写真を人に撮ってもらったりもしているし。


 さらに、よくこのブログにも書く文言、


「教育は間違っても人は死なない・・・」

 これはもちろん反語で、実際に間違った教育で回りまわって人を死なせてしまっているケースもあるのではないかと思う。教育によってつくられた頭の中のおかしな固定観念のせいで目の前の現実を正しく評価することができなくて。


 しかしそこに因果関係がある、という指摘はほとんどの場合出てこない。

「あなたのしたおかしな教育のせいで人が死にました」

とクレームを浴びることなどほとんどない。


 いい加減な教育は溢れている。本気のクレームを突き付けられるなんてことはない。製造物責任を問われるなんてことはない。

 
 だから、研修講師はめったに「謝る」ことのない職業だ。


 だから、今回の場合はあえて謝りたかった。
 自分の48歳のくだらない面子をへし折りたかった。


 おおむね、お電話した先のお客様方は笑って許してくださって、有難いことです。



 なお「隠し事」を好んでする心理、というのは女性より男性のほうに多くあって、デボラ・タネンなどによれば男性は自分が情報を人より多く持つことで優位に立てるかどうかに関心がある。優位に立つためにはくだらない隠し事を喜んでする。

 自分の中の「隠し事をして、優位に立ちたい」という心理に気づいたら、そのくだらなさ浅はかさに気づき、なるべく捨てていきましょう。それは「承認」―ここでは他者をリスペクトする、謙虚である―に反すること。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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