「断言する人は信用しないほうがいい」

―たとえそれが名の通った専門家でも。


 と、いうことについての本が『専門家の予測はサルにも劣る』(ダン・ガードナー、飛鳥新社、2012年5月)。


 正田が「歯切れのわるい女」であることへの言い訳として丁度よかったです。


 この本の中核をなすのがカリフォルニア大学の社会科学者、フィリップ・テトロックの実験。

 多くの専門分野にわたる284人の専門家を集め、かれらの予測を集めました。テトロックとそのチームが長年にわたって専門家たちに質問を浴びせ、集めた予測は合計2万7450。


 興味深いその結果とは。


 専門家たちの予測の精度は、あてずっぽうの予測と大して変わりませんでした。ただその予測能力には幅がありました。


 比較的成績のよい専門家は「キツネ型」。謙虚で疑い深い。断言口調でものを言わない。

 結果の悪かった専門家は、いわば「ハリネズミ型」。複雑性や不確実性に不安を感じ、ひとつの仮説をつねに当てはめようとする。おもしろいことにこの人たちのほうが、予測が正確だった人たちよりも自信にあふれているます。テトロックの実験によれば、メディアで有名な専門家の予測ほど「当たらなかった」。


 成績のよかった専門家の「思考法」とは、どんなものでしょうか。

「テンプレートを持たずに、いろいろなところから情報やアイデアを収集してまとめあげようとする。常に自己批判をして、自分が信じているものが本当に正しいか問いかけている。もし間違っていたことを示されたら、その間違いを過小評価したり、見て見ないふりをしたりはしない。ただ間違っていたことを受け入れ、自分の考え方を修正しようとする。

 こういう専門家は、世界を複雑で不確実なものとして見ることに違和感を覚えないので、そもそも将来を予測する能力というものに、疑念を抱く傾向がある。結果としてパラドックスが生じる。他の人より正確に将来を予測した専門家は、自分が正しいことに自信が持てない人たちなのである。」(pp.49-50)



 よしよし。こういう自分に都合のよいことはブログに書いておこう。


本書によれば、完璧な予測というものは存在しません。気象予報などは、「あすの天気」ぐらいまではある程度の精度で予測できるが、7−8日後となると際限なく不確定な要素が入ってくる。わずかでも想定外な現象が入ることによって予測不能になることを「カオス理論」とか「バタフライ効果」(ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすかもしれない)とよぶ。


 「残念な予測」の例として、トインビーの大部の著作『歴史の研究』や、ピラミッド学、カーターの演説、日本脅威論、などが挙げられます。


 なぜ、こんな「残念な予測」がはびこるのか。そしてメディアを含め一般大衆は、当たりもしないのに「専門家の予測」を求めるのか。
 
 「わたしたちは情報化時代に生きているが、頭の中は石器時代のままである」

と著者。

 ランダムなものをランダムなままに認識しない、パターンを見出そうとする脳の構造(左脳がこうした「物語をつくる」役割を担っているそうだ)

 コントロールできない、予測できないことを恐れる脳のはたらき。一番残酷な拷問とは、いつ拷問がはじまり、どんな内容の拷問をどれぐらいの時間持続させるかまったく予測できないようにランダムに行う、というものだそうだ。
(それでいうと、「上」の人が確固たる方針を示さない、次々新しい決断をして振り回し先の見通しが持てない、というのも一種の拷問なのだ)


 確証バイアス。自分の仮説に合う事実を拾い、合わない事実を捨象する、評価しない。(このあたりは正田もちょっとあやしい)

 ネガティブバイアス。生存にかかわる危険情報は強く印象に刻まれる。だから新聞やTVには悲惨な事件事故のニュースが溢れる。(これは「承認研修」の中でもよく言いますね。)


 ・・・とこういう脳のはたらきがあるから、予測できないことを予測してもらいたがる。



  そして、「肩書の威光」というおもしろい実験があったそうです。


 1970年代に南カリフォルニア大学の心理学者が、「マイロン・L・フォックス博士」という実在しない有名教授をつくりあげました。

 フォックス博士を演じるために、みなが思う有名教授のイメージにあう役者が雇われ、そして、この役者に「医師教育に適した数学的なゲーム理論」という、まったく意味のない1時間の講義をさせました。それにあたり、役者にはテーマの話し方を教え、また質疑応答の時間用に、あいまいな言葉、新しい用語、無関係なことや矛盾することを言って煙に巻く方法を教えた。こうしてユーモアや、テーマに関係ないことをちりばめた講義にしました。

 フォックス博士ははっきりと自信を持って、大家らしく話し、そして精神科医、心理学者、ソーシャル・ワーカーの教育者らを前に講義をしたところ、全員から高い評価を得た。

 高度な知識を持ったはずの人々が、何ら知識のない役者が行う自信満々の講義にだまされてしまった、というお話。


 これは「プレゼン技術」というものについて興味深い示唆をあたえてくれます。とくに、わたしが思うのにこの講義を「すばらしい」と評価した人たちは、高度な知識を持っているが、「現場を知らない」人たちだったのではないかと思う。この自称学者の言うことを現場に当てはめたら何が起こるか、想像力を働かせないまま、プレゼン技術のみに騙されたのではないでしょうか。

 ひょっとしたらこのプレゼンの効用というのは、これら日頃自分自身が「プレゼン技術」で悩んでいて、人からバカにされるんじゃないかとおどおどしている人々の劣等感を刺激し、彼らの欲しいものを与えてあげる役割を果たしたんじゃないか?とすら思います。

 かつ、「プレゼンセミナー」というものが持つナルシスティックな性質、というのも思います。私自身足を運んだそれらのセミナーでは、「自分を全面肯定せよ、自分を疑うな」と教えられるのです。
 このブログ的には、これは危険思想なんです。

 さらに以前の記憶をまさぐると、一緒に仕事をしたある女性コンサルの先生が、質疑の時間に、聴衆からの質問とはまったくかみ合っていない、どうみても求められた内容の答えではないすりかえた答えを、早口でしゃべりまくるのをきいてのけぞった。もちろんその人とはその後一緒に仕事してないけれど。一般的なコンサルの「質疑に答える技術」とはこういうものか、と舌を巻いたのでした。
 

 
 さて、本書が勧める思考スタイルは、上記でいう「キツネ」方式です。

 それによると、

 1つは「集合知」。多種多様な情報を組み合わせた方が、1つの情報を使うより、いい結果が出るということがわかっている。

 しかし、ただ人が集まっただけでは賢明な判断にならない。人が集まると、まわりにあわせた集団思考におちいる傾向がある。


 
賢い決断というものは、大勢の人が、それぞれ独立して考えて判断したものを持ち寄って判断した結果だ。そのような環境だと、ある人の間違いは他の人によって消し去られ、各人の確かな情報が結びつくことになる。その結果、1人の判断よりずっと適切な判断ができあがる。

 さらに言うなら、一般の人たちの判断を集めただけでも、1人の専門家よりいい判断になるというのも、予測市場の基本的な事実である。

 キツネは情報源を問わず、利用できる情報は全て入手し、まとめる。そしてそれにより、1つの大きなことを知っていて、それ以外には興味がないハリネズミより、優れた判断を下す。

 ・・・つまり、最終結論は幅広いデータの産物であり、いうなれば、集団知の産物だ。(p.331)
 


2つ目は「メタ認知」。思考について再考する、自分のバイアスを発見し打破する。

 3つめは「謙虚さ」。断定しない。予測を聞く人がもっと断定的な言葉を聞きたいと思っていても。


 ・・・なんだかふだんからこのブログに書いていることと同じになってきました。


 さて、正田は、メディアを通じてしか社会現象を実感できない人(たとえば、本気で子どもを育てたことないくせに「いじめはいじめられる子のほうが悪い」とか言っちゃう人々)向けに仕事をしているわけではなく、また理論家のための仕事でもなく、現場で日々仕事に明け暮れている人たち、いわば実務家のための仕事をしています。 

 なので「実務家のための思考法」を推奨したい、というとき、やはり上記の「キツネの思考法」を推奨したいと思います。わたし自身それを実践する人でありたいと思います。

 たとえ地元神戸であまり流行らなくても、ですね。



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