NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」に、この人発達障害?という人が出てくる。


 主人公の梅ちゃんの元同僚で、梅ちゃんと過去には結婚寸前まで行った、「松岡先生」。


 イケメンなんだけど研究熱心なあまり言動が頓珍漢で微妙に可笑しい。このタイプの人が重要人物として出てくるのは珍しく、発達障害かそのボーダーラインの人が今の時代増えていて、付き合い方を模索せざるを得ないからだろう、と思ってみている。


 一部の発達障害、あまり差別的な言い方をしたくないのでここでは「超男性脳」とよぼうと思う。(これも差別的だろうか)


 このタイプの人は、松岡先生のように中には非常に仕事で有能な人もいる。一方で「感情」を感じるのが苦手。

 自分の感情のはたらきがわからない。「見合いに失敗して、ショックだから仕事のほうを頑張りすぎて暴走したのではないか」と周囲が推測しても、「いえ、そんなことはありません」とかぶりを振る。そして他人の感情のはたらきもわからない。「○×先生は、信頼する部下に裏切られてショックだったと思うわよ」と梅ちゃんに解説してもらって初めて「そうだったのか」とわかる。


 松岡先生のように、他人に説明されて「そうですか」「そうだったのか」と納得したり、少なくとも怒り出さないのはまだ非常に筋のよいほうである。多くの自覚のない「超男性脳」の人は、「感情」というものを小馬鹿にする。それは、自分の苦手科目だからである。本人に感情が「ない」わけではなく、客観的には非常に感情的に振る舞うことも多々あるのだが、そこに自分の感情が介在していることを認めたがらない。手前勝手な論理を振り回し論理の問題にすり替える。(「言ってること、めちゃくちゃ」っていうのもよくある)また「他人が悪い」と他責になる。


 多くのパワハラリーダーにはこの問題がある。超男性脳ゆえにフォロワー時代は有能なのだが、リーダーになって他人の感情に配慮しながらチームを引っ張ることができない。こういう人をコーチングで治せるかというと、非常に困難。もしどうしても治したい場合には、発達障害の治療法というか援助法のようなやり方での介入が必要になるだろう。つまり、診断を受けてもらい周囲にどんな問題が起きているか詳細な現状認識をしてもらい、そのうえで援助を受けてもらいTPOに応じた適切な行動を学んでもらう、というような。
 パワハラリーダーには酒や鬱の問題、高血圧、若年性認知症、ご家庭の問題なども複合していることが多いが、その根っこをたどるとご本人のこうした先天的な能力の偏りがからんでいる。


 かつ、恐らくIT時代には、中年期以降にITにはまり込んで後天的に「超男性脳」的になった人も少なくないだろう。
とこれはわたしのくらい予感。


 
 先日は医療機関で研修をさせていただいたが、医療機関というより悪い意味での公務員さんの集団に近かった。女性でも「超男性脳」的な人が相当数混在し、コミュニケーションについて障害に近い能力の低さがある。共感能力が低いので人の話を聴いて理解することが決定的に苦手。しかし自分のその方面の能力の低さを自覚しておらず、他責にすり替える。そうして組織全体に疲弊と悪感情が蔓延する。一部の優秀な人に負荷がかかる。


 そしてリーダーはよくあるように「ポジティブ」で、職員のそうしたソーシャルスキルの低さを障害と関連づけて考えることができておらず、コーチング研修で治ると単純に考えていた。
「いや、彼女は能力と責任感の高い人ですよ」と、ある「聴く能力」の決定的に弱い人について言った。恐らく数字の計算や書類仕事はコンピュータ並みによくできるのだろうが、何ができて何ができないのか、こうした人々には細分化した理解が要るのだ。
 (そうした他人の能力に関する細分化した理解、というのをコーチングや「承認」の応用形と考えることもできる。ただそれにはかなりの訓練期間が要り、遊び半分の2時間や3時間の研修でできることではない)


 そしてポジティブなリーダーは、よくあるように、研修の事前説明をろくにしておらず、

「組織の現状がこういうふうだからそれを直すために研修をする。このことの成否は皆さんの学習に依存する。しっかり学んでほしい」

という説明をしていなかった。そしてポジティブな人がよくやるように、冒頭あいさつで私を「先生」ではなく「さん」と呼び、「皆さん、まあ軽い気持ちで学んでください」と言ったのであった・・・


 見事に「だらっ」とした、椅子の背もたれによっかかって、よだれを垂らしかねない弛緩した表情の受講生が出来上がったのは言うまでもない。

 ―人が人を見下す表情というのは、観察していると見っともない、美しくないものなのだ―


 つい2か月ほど前にもブログに書いたが、ダメな主催者あいさつ、ダメな講師紹介をしてくれるぐらいだったら、一切その手のものなしで、私自身から話しはじめ、自己紹介もしたほうがよいのだ、オープンセミナーのように。


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 『光圀伝』(冲方丁、角川書店)。大部でしたが一晩で読めました。

 ちょうど姫路師友会でも、「大日本史」の編纂について話題になったところ。


 非常にさわやかな読後感。


 このなかには心からの賞賛がある。認める言葉がある。感謝がある。試すための問いかけがあり、認める表現としての相談がある。

 これまでの歴史小説のように、言葉をけちったりはしょったりはしない。


 そして多くの「師」や「コーチ」が出てくる。


 そして聡明な女性たちが出てくる。女性も学問をし、高度な詩や歌をつくる。男性の相談相手になり、対等に議論する。詩会は男女同席で行う。


 司馬遼らの世代の歴史小説にはなかったことなのではないか。作者は1977年生まれ。


 
 多くの中高年男性は歴史小説をモデリングする。維新の英雄や戦国武将たちの立ち居振る舞いを無意識に真似る。

 (ある、「決断依存的」で「変化が大好き」で「説明不足」のポジティブリーダーは、『竜馬がゆく』が愛読書だった)


 こうした歴史小説の登場を契機に日本の中高年男性の行動様式が変わってほしい、と願わずにはいられない。
 
 
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 ものづくり現場のかたがたから宿題が返ってきている。微笑ましい事例のかずかず。

 出来る限りすぐにコメントをしてお返事する。

 研修後1週間の今の段階では、まだ1つ1つ「微笑ましいエピソード」にとどまる。でもその集積が大ホームランになっていく。


 ある受講生さんは、宿題以外に会社に提出した「研修報告書」を参考に送ってくださった。

「今回の研修を通してコーチングの重要性、コーチングにより人材を上手活用し、企業の業績向上へとなる
よう進めて行きたいと思います。」

 という嬉しい言葉があった。


 振り返って、受講生さんたちのコミットメントの高さは、もちろんご本人様たちが元から持ち合わせていたものでもあるが、それ以外に主催者の冒頭あいさつのインパクトも大いに作用しただろうと改めて思う。

 世の中には受講生や講師をガクッとさせる冒頭あいさつもあるし、反対に奮い立たせる、追い風になる冒頭あいさつがあるのだ。
 変に「自分は賢い」と思っている人が、人をガクッとさせる冒頭あいさつをすることがある、それは言葉の中にどうしても「講師より賢い自分を見せたい」という裏の感情が入り込むからである。
 一方でそれ以上に賢い人は、自分が講師より優位かどうかなどは脇に置いて、講師に良い仕事をさせるよう場全体の空気づくりに努め、「場の目的は何か」ということから外れない。それができる人は、私がみてきた中にそうたくさんはいない。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp