22日、第10回播磨人間フォーラム講演会「今求められる論語のこころ」に参加。

 
 姫路師友会や木鶏クラブほか、姫路の5団体の共催。安岡正篤師のお孫さん(河田尚子先生のいとこ)の安岡貞子先生が東京から来られました。


 冒頭、姫路の「子ども論語」でそらんじてきた幼稚園から中学生のお子さん方10数人が、論語の一節を暗誦。


 お子さん方の甲高い声が「子曰(のたまは)く・・・」と揃って響くと、会場の空気が一気に澄み渡ります。


 そして安岡定子先生の講演。

 論語の中のなじみ深いフレーズについて、「孔子先生」の生き方と人となり、そして弟子に対して語ったその場面についてわかりやすく解説してくださいました。


 大変有意義な講演でした。


 「仁」とは思いやり。人は褒めて認められることで育つ。

 あらためて、その当たり前がいかに「ない」かを思い知らされるのでした。


 わたしが姫路にこのところ足しげく通うのは、「いじめはいじめられる方がわるい」といった、善悪逆転したようなロジックが蔓延していることにへきえきしているかもしれません。



 また「いじめ」の話題になってしまいますが、

 川西市の高校でいじめられ自殺した高2生は、中学のとき「いじめ防止」の標語で表彰されていたことが、今日の新聞で紹介されていました。

 やはり、と思います。

 最近もあるところで言ったことですが、今どきのいじめは理由もなく標的がころころ入れ替わる。そのうち、自分がいじめられたくないばかりに他人をいじめの標的にすり替えることのできない、心優しい子、

「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」が躾としてちゃんと浸透している子は、最終的ないじめのターゲットになってしまう。

 というのは、うちの二女がいじめられるに至った過程を紹介した記事を読まれたかたはご存知と思います。

 
 「いじめは家庭の躾の問題」などと言っていると、しっかり躾けた家庭のお子さんが一番損をする、ということになりかねないのです。

 幸い学校の注意義務がこのところ強化されているようであり、

「いじめられる子のほうが悪い」

といった不適切な論調も、いずれ消えていくことでしょう。ただ私の住む界隈ではいまだに時々きく、ということです。


 講演会の会場で購入した『子や孫に読み聞かせたい論語』(安岡定子、幻冬舎)を読みました。


 字が大きくて読みやすく(たぶんそらんじやすい。でもそらんじるかどうかは謎)、かつ、女性の定子氏の筆致で背景を人間味豊かに書いている。こういう記述の論語の本は、もちろん、過去読んだことがありません。

 「女性」と決めつけると失礼なようだけれど、やはり背景説明などをすると女性は上手い。同じことを書いても男性よりはるかにわかりやすい。EU危機やソブリンリスクの背景について各当事者の文脈(要するに「きもち」)を解説した同志社大学教授・浜矩子氏の筆致もそう。
 
 これはデボラ・タネンらの言うように、男性が発話する目的は自分の優秀さを示すことであり、女性が発話する目的は相手にわからせ共有することにあるからだろうか。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp