『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(レイチェル・ハーツ著、原書房、2012年10月15日)という本を読みました。

 
 「嫌い」という感情は、なぜ起こるのか。

 って、考えたことはありませんか。何かを強烈に「嫌い」「受け付けない」と感じるとき。何が作用しているんでしょう。

「異国の発酵食品、昆虫食」
「死を想起させる現象、病気」
「ホラー映画、スプラッター映画」
「他人が汚した痕跡」

・・・

「嫌悪の感情は、人間の中枢神経システムを支配し、血圧を下げる。そのせいで発汗量が減り、失神、悪心、吐き気などが引き起こされる。外見上、手足や身体が震え、萎縮し、口からは「うぅ・・・」とか、「うわっ」という声が洩れることもある。嫌悪感情からは、やんわりとした反感から抑えきれない憎悪まで、さまざまな精神状態が引き出されるが、これらにはすべて、その嫌悪感情の原因に対して、そこから逃れようとしたり、排除しようとしたり、そして多くの場合、避けようとする衝動が中核にある。」(p.43)


 私が「嫌悪」という感情に興味をもったのは、たとえば2ちゃんねるのような場で何かに対して(対象は犯罪者でも、時の政治家でも、あるいはリアルのより身近な誰かや同じ掲示板に書き込む誰かに対して)むきだしの嫌悪を表出する人がいる、するとそれを見ているだけで嫌悪の感情は自分にも何となく伝染ってくるのがわかる、からです。


 過去にネット上のコミュニティに参加したり運営したりしても「嫌悪(憎悪や反感をふくむ)」の感染しやすさは特筆もので、またネット上に関するかぎり感染すると不治の病のようなもので、それは一度蔓延すると感染者に全員「お引き取りいただく」しか手がありませんでした。ポジティブな感情で浄化しようとしても、非常に時間も手間もかかりました。
 
 
 本書によると、「嫌悪」の感じやすさ敏感さには個人差があるそうで、「嫌悪に対する感度(disgust sensitivity)」を測る質問紙も載っています。これで高得点の人はまあ神経質というか、いろんなことに「嫌い」という感情をもつことが多いといえそうです。(ネットにだれかの悪口をわざわざ書き込むような人はその傾向がある人なのかもしれません。ただ多くの人の目に触れることによりそれは普通の感性のもちぬしにも感染する可能性はあります)

 
 最も原始的な嫌悪感は、身体にまつわる嫌悪感だ、と本書はいいます。食べ物や飲み物、排泄された尿、おう吐物、痰、唾液、汗、血液、膿や便、身体の変形に関するものです。これらは直接的には「病気」を連想するからですが、より深層心理的に究極には、「死」を連想するからだ、とも。

 また道徳的な堕落や獣性にかかわることも嫌悪をよびおこします。本書ではホモセクシュアルや外国人に対する嫌悪にみるアメリカの保守とリベラルの態度の違い(保守はこれらに不寛容でありリベラルは寛容)をとりあげていますが、わたしはつい「アメリカにおけるホモセクシュアル嫌い」を、「わが国における働く女性嫌い」をくらべてしまいました。―「日本人は『女性嫌い』だ」と言ったのは上野千鶴子だったとおもいますがあんまりフェミニズム寄りにならないようにしているのですがこの意見にはちょっと賛同したくなりました―日本ではそれぐらい、「働く女性」というのはまだ「異形の人」「異端」「不道徳な人」です。


 ある種の病的に「嫌悪感」が強い人は、「強迫神経症(OCD」といい、人口の2〜3%がかかる病気です。レオナルド・ディカプリオもその一人。OCDの人は何にでも嫌悪感を抱き、とくに不潔を嫌う人は1日中でも手を洗い続ける不潔恐怖症になります。嫌悪感は脳の「島皮質」という部位がかかわっていますがOCDの患者は、嫌悪を催すもの(たとえば不潔なもの)を見せられたときに健常者と比べて島皮質の活性化が大きいようです。一方、自分は何にでも嫌悪感を抱くわりに他人の抱く嫌悪感には鈍感、という傾向があります(すべてのOCDではなく、重症の人)。
 また病的な犯罪者傾向のある人、いわゆる「サイコパス」は、他人の恐れと嫌悪の表情がうまく見分けられない。さらに、おもしろいことに、というか困ったことに、東アジア人(中国人と日本人)は、嫌悪と恐れを分類する際にヨーロッパ人より間違えることが多いという実験結果もあるそうで、「思いやりの日本人」のはずが実は他人の不快感に対して鈍感かもしれません。

(これに似ているかもしれない調査結果が共感ホルモンの「オキシトシン」についてもあります)

 
 いずれにしても、「嫌悪」は最終的には「死」を連想させるものに対してはたらきます。

 さきほどの嫌悪感受性の調査で、嫌悪感受性の高い人ほど死を恐れているといえます。

 色々な実験が紹介されますが、ある実験では、「死を想起した後では身内びいきになる」傾向が顕著になったのでした。

「・・・そこでわかったのは、白人の学生が、誰もがやがては死ぬ運命であることを考えるように前もっていわれた場合、まず人種による顔の分類をすることで脳の活動が強まり、白人男性の怒った顔に対してはやや恐ろしいと感じる程度が減少した。言い換えると、死を想起した後には、身内であるか(白人)または身内でないのか(黒人)による識別がより顕著になり、身内の一員からの脅威(怒れる白人)はあまり重要視されなかったのである。人間は死の脅威にさらされたら、自分の殻から出ようとせず、同じ仲間に囲まれ、多くの安全を得ようとするのである。」(p.182)


 (正田注:このあたり「社会」や「組織」を考えるうえでおもしろいと思うのは、例えば「倒産の危機」「国家存亡の危機」といった、自分たちの生存が脅かされる局面になったとき、外国人や女性、障害者といった「異形の者」への違和感が拡大し、差別がエスカレートする可能性がある、ということです。

  また、この実験はアメリカですが、不安感の強い日本人のばあい死への恐怖も強いはずなので、差別的によりなりやすいといえるかもしれません)


 「人類は、肉体的にも心理的にも死の問題から我が身を守るために、何かを苦手に思う感情を生み出したのである。そのせいで私たちは、かさぶたに覆われた傷やブタに似た食べ方や自分の生活を脅かす人々を避けようとする。誰かに嫌悪感を催すとその人を蔑んだ態度をとる。こうした人々によって免れられない死を思い起こさせられたり、いつか死ぬという真理を寄せつけずにいてくれる社会構造や幻想が脅かされると、反発心が生じる。嫌悪感は死に対する拒絶反応だといわれてきた。嫌悪感こそが「今、目の前にあるこれを拒絶する」。あるいは「あなたを拒絶する」と訴える。そうすることによって、拒絶された「これ」が象徴的にも実際にも予感させる、破滅の道に向かう可能性から私たちは守られる。拒絶とは、すべての嫌悪感の裏に隠れている原則的な姿勢なのである。」(p,.184)


 この文章のいう、「拒絶される」という現象もよく経験してきました。「嫌女性」と「嫌コーチング」の両方をみてきたわたしであります。

 後者の「嫌コーチング」に関しては、どこか「近づきたいのに近づけない」アンビバレンツな感情を経営者コミュニティなどで感じてきました。
 それは、「やらないと死にますよ」(私自身はそういう言葉を言ってないけれどそういう匂いを発散しているかもしれない)というメッセージが「死」を連想させているのか、それはもちろん不合理きわまる感情なのだけど、あり得ないことはない。それとも「やっていないリーダーは怪しからん」というメッセージ(これも言ってないけど)が会社というより自分個人の「死」を連想させているのか―。
 それにしても「コーチング」はともかく「承認」を嫌いになってしまうというのは、一生ものの気の毒なことです。


 身体的なことに関する「嫌悪感」は政治的に利用されることもあります。ナチスは、ユダヤ人を病原菌のように表現してドイツ国民の嫌悪をあおりました。こうした手法は大量虐殺のときによく見られるようです。


 最後に、「嫌悪感をコントロールしよう」と呼びかける本書は次のようにしめくくります。

 「人間の嫌悪感情体験は一種の贅沢であることが明らかになった。・・・嫌悪感を催せる特権があるのは、恵まれていることを示すサインだ。・・・生と死の分かれ目が眼前にあったら、嫌悪感にひるんで手をこまねいて滅亡を迎えるよりも、生存のチャンスに賭けるだろう」(pp.328-329)



わたしは上記のフレーズ、好きです。「やらなければ死ぬ」と思ったら、なりふり構わず、汚いものでも食べるでしょう(カニバリズムまで行くかどうかは別として)。わたしは1980年代に1年半ほど、まだ途上国だった中国で貧乏留学生として暮らしたことは自分に役に立ったと思っています。お蔭で(阪神大)震災後に水の入ったポリタンクを運ぶ作業もとくに被害者になることなく淡々とやっていました。女性という「異形」にうまれたことも、きっと何かの役に立っているでしょう。


 本書の読後感としては、当然、今年クローズアップされた「いじめ」の問題も想起します。「キモイ」「汚い」「臭い」と、いじめには嫌悪感を煽るようなフレーズが使われます。嫌悪感が共感をよぶ、それは有害なものを食べたり触れたりすることは死につながるから、と生存本能にもとづいたものではありますが、ナチスと同じ手法を子どもたちが無意識に使用するということを思います。


 なお、本書の中にある有名な実験で、「歯ブラシを共有したくない人」の筆頭は、例示された中では「1位郵便配達夫、2位上司」でした。上司は嫌われる。以前「おいでよ動物の森」の例を引いて「上司は特に悪いことをしなくても嫌われる運命にある」というお話をしましたが、気の毒なことです。そのことがストレスで当り散らす人も中にはいるかもしれません。昇進にともなうお給料のアップはそのことの慰謝料かもしれません。




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