『思い違いの法則―じぶんの脳にだまされない20の法則』(レイ・ハーバート著、インターシフト、2012年4月20日)を読みました。


 このブログにもたびたび出てくる「バイアス」というもの、わたしたちの錯覚をもたらすその代表的なものをまとめた本です。

 ここでは、わたしたち自身が日常的におこなっている「ヒューリスティック」という思考法をその「バイアス」をもたらすものとして挙げます。なのでここでは、バイアスの種類を「〇×ヒューリスティック」と呼びます。

 「ヒューリスティック」は、『医者は現場でどう考えるか』という本を紹介したとき出てきました。

 「判断をゆがめるものとの闘い―『医者は現場でどう考えるか』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51778972.html


 医者だけでなくマネジャーにとっても、「ヒューリスティック」は日々の業務をこなしていくうえで欠かせない思考法、いわば「必要悪」ともいえるもの。とはいえ、それがなす害についても知っておかなければなりません。


 本書には大量の興味深い心理実験が紹介されます(1つ前の記事の『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』と重複しているものも少なからずありました)が、そのうちのとくにわたしにとって興味深かったものをメモ書きでご紹介させていただきます。


●ヒューリスティックは、認知における経験則である。それは頭の中に思考の近道として組み込まれ、直感的ですばやい意思決定や判断をするときに用いられる。・・・ヒューリスティックは、一般的にはとても役立つものだ。私たちは毎日、何百という意思決定をおこなっているが、ひとつひとつを深く考えないですませられるのも、ヒューリスティックのおかげだ。けれどもそれも完璧ではなく、理屈に合わないことも多い。(pp,.12-13)


(大原則ですね。ヒューリスティック、いわば経験則に毎日頼らざるを得ない。でもその落とし穴を知っておいたほうがいい)


●仲間はずれにされた経験をした被験者グループに部屋の室温を予想してもらったところ、常に温度を低く予想し、その経験をしなかったグループとの差は3℃近かった。仲間はずれにされた胸の痛みを思い出すことで、本当に寒く感じた。


●清められた人は嘘をつきやすい。手を洗った被験者のほうがより多く嘘をついた。『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』にもあったエピソード。


●大打者ミッキー・マントルは「ボールがグレープフルーツのように大きく見えた」と言ったが、調子の良い(パットがよく入る)ゴルファーは実際よりカップが大きく見えていた。

●あと知恵バイアス(「僕にはわかっていた」シンドロームともいう)。いったん起こってしまったことについて、それは避けられなかったと考えようとする性向。私たちの過去の記憶は、起きたばかりの、より新しく強烈な記憶にかき消されてしまうらしく、そのため私たちは心理学的に、以前どう考えていたのか、自分に正直になることができない。これがあると、失敗から学ぶことが難しくなり、自分の行動について責任を持たなくなる可能性がある。

(この知見はべつの意味で大変おもしろい。研修をしていても、「私は以前から承認を行っていた」と主張する受講生さんによく出会うが、状況証拠がそれと反するばあいがある。研修で学習したり体験したりした結果、それは初めての経験であるにもかかわらず過去の記憶のほうをそれに一致させて「僕にはわかっていた」となった可能性がある。)


●なじみのあるものの方が価値があると感じる(流暢さヒューリスティック)。同じ1ドルでも見慣れた1ドル札のほうがあまり流通しておらず見慣れない1ドル硬貨より価値がある(沢山のものが買える)と感じる。また読みにくい字体で書かれたものは価値が低いと感じる。



●ものまね(協調)ヒューリスティック。2人以上で協同作業を行うときにはたらく。

 「被験者たちは1人のときより、誰かと組んだときのほうが一生懸命で、ハンドルを握る力も強かった。しかし意外なのはここからだ。被験者たちは、1人のときより苦労したのはパートナーがいたからだと感じていた。つまり相棒はまったく役に立たなかったと思い込んでいたようなのだ。実験が終わってから、パートナーは助けになったどころかむしろ邪魔だったと、不満を口にする被験者もいた。しかしその感覚は間違っている。実際に時間を記録したところ、どの被験者も1人より2人で作業したときのほうが成績はよかった。もう1人の力が加わるため、物理的な抵抗を感じるのは事実だが、それでも互いの役に立って、結果的に良い成績をおさめているのだ。」(p.87)
  

(非常におもしろい実験。本書の「ものまねヒューリスティック」という解釈はべつにして、私たちは一緒に仕事をする仲間を「邪魔くさい」と感じるようにできている。客観的には仲間のお蔭で自分もより力を発揮できているというのに)


●自制心は刺激されて増大したり、使いすぎて消耗したりする。空腹なウェイターの気持ちになろうとしていた被験者は、認知能力が枯渇してその後のテストの成績はほかの人に比べてよくなかった。しかしウェイターの自制心を見ていただけの被験者のほうが、満腹なウェイターを見ていた被験者よりも成績がよかった。

(この同じエピソードは意志力の本にも載っていたかも。とまれ、意志の強い人をそばで見ていられるのはいいことだ。)


●近接した点でプライミングされた(頭の中で狭苦しさを感じた)被験者のほうが、さまざまな強い刺激に対する拒否感情が強くなる。心に距離的ゆったり感をもったほうがものごとに寛容になれるようだ。両親、兄弟、生まれ育った町との感情的な結びつきに、心理的な隔たりをプライミングされた被験者はあまり執着を示さなかった。隔絶と孤立は自由の裏返しなのだ。


(アメリカでも小さい町に住んでいる人は一般に保守的で道徳的に不寛容だ。また昔、「大きい家に引っ越したほうがダイナミックにものが考えられる」という「水槽理論」なるものがあったがそれに似ている?一方で自由が本当に幸せなのかという問いもある)


●ある作業を心理的に遠く感じると、すぐに取り組まずに、いつかわからない将来に持ち越してしまう。あいまいでばくぜんとした作業は、具体的な作業に比べて先送りしやすい。

(コーチングの「スモール・プロミスを大切に」というのと同じですね)


●「視点取得」は、「説明能力」にかかわるおもしろい知見。私たちは他人も自分と同じ視点で考えると思ってしまう。クイーンの某曲を逆回しすると「マリワナを吸うのは楽しい」と言っているという噂がある。都市伝説のようなもので、実際に逆回ししても普通はそのように聞こえない。大学生に逆再生した曲を聴かせたところ、ドラッグ礼賛メッセージについて事前に聴いていた学生はほぼ全員が「メッセージが聴こえた」と言い、事前に聴かされなかった学生はそのメッセージが聞き取れなかった。
 さらに、このメッセージについて事前に聴いている学生に対し、事前に聴かされなかった学生が曲を聴いてメッセージが聴こえたと答えるかどうか予測させたところ、「事前に聴かされなかった学生」の視点を取得できず、彼らはメッセージが聴こえたと答えるだろうと予測した。

(研修屋からみた、世間の人々の「説明不足」が起こるプロセスをよく説明している。たとえば、プロの研修講師から受けた研修内容を「社内講師」が次の学生に教えようとする。しかし、プロが学生にわからせるために限られた時間内で慎重に配置したエピソードや理論説明が抜け落ちているために、独りよがりの説明になって「伝わらない」ケースも多い。自分がなぜ、どの説明によって「わかった」と思ったのか、自分が「わかっていなかった」状態から「わかった」プロセスをきちんとコピーしないからそうなる。一般に例えば自分が丸1日とか2日かけて初めて「わかった」ものを、他人に説明してわかってもらおうとするとき、1時間や2時間でわかってもらえると思うのは間違い。)


●幸福を「取り消してみる」と、満足度が上がる。カップルに2人が出会っていないと仮定し、お互いの存在なしに人生を歩む状況を思い描いてもらうと、満足度が上がった。


●アルツハイマー病の患者に自然現象の理由を尋ねたところ、世界は何かの目的のためにつくられていると考えていた。雨が降る主な目的は飲み水を提供するためであり、木が存在するのは影をつくるためであり、太陽は人間を暖めるためだけに存在すると考えていた。これは未熟な子どもたちの思考と同じで、人間の脳はものごとは存在目的があると考える衝動に動かされている。

(上司が「部下はオレを喜ばせるためにいる」とか「部下はオレの出世のために存在する」とか考えるようになったら、自分の認知能力を疑ったほうがいいかもしれない?)


●ポジティブな感情の意義とは。何かを好きになるという行為が思考を形づくり、多面的な思考をし、他人にはわからない違いもわかるようになる。”拡張・形成”理論によれば、前向きの感情は、さまざまな新しい経験に対して心を開く。好奇心や喜びを感じた人はより大きな可能性を見出し、視野が遠く、幅広くなり豊かなメンタルマップをもつ。そして時間がたつにつれて、こうした前向きでオープンな経験が積み重なって、心理的、感情的な回復力が生まれる。恐怖や嫌悪のようなネガティブな感情は捕食者から逃げたり毒を避けたりするのに役立つが、前向きな感情は創造性を高め、知的な活動に従事し、自分のことばかり考えなくなる。そのため複雑なこの社会をうまく泳ぎ、生き延びるのに有利になる。


●ステレオタイプは認知のエネルギー節約のためのツールである。これを遣えば限られた脳の力をもっと有益で重要なことに使える。ステレオタイプに頼れば、他のこまごましたことについて学習能力が上がる。

(「決めつけ」をする人は、その事物や相手を重要だと考えておらず、限られたエネルギーをほかのことに使いたいと考えているのかもしれない。でもそもそも体調が悪くてものを考えるのに使えるエネルギーの総量が少ないのかもしれない。次の項目参照)


●朝に生産性が高い朝型人間と夜にピークが来る夜型人間の2種類の人間がいる。頭の働きがピークでないとき、体調が万全でないときのほうが、ステレオタイプ思考に流されやすい。

(裁判員の人などは要注意。あと当然管理職は二日酔い状態でのステレオタイプ思考にも。)


●ステレオタイプを抑えるときには自制心の領域が活性化する。(つまり、筋肉と同じで使いすぎると疲れてしまうということ?)


●老人に対する失礼なステレオタイプを持っていた人は、まさにそのイメージに合った老人になる。老人は無力であると考えていた人はその後の40年の間に何らかの心臓疾患を経験する可能性が高い。


●制服を着ている人のほうが、病気やけがによる欠勤、通院や入院での回数も少なく、慢性病を抱える人も少なかった。これはおそらく制服で仕事をする人は、服を選ぶという、年齢を意識させる行為をせずにすむから。


●汚れは伝染ると感じられる(黴菌ヒューリスティック)。ヒトラーが来たセーターを着るかとの問いに多くの人はノーと答える。不道徳も伝染すると感じている。マザー・テレサが着たセーターなら多くの人が着ると答えるので、よい本質も伝染ると思っている。しかしヒトラーのセーターをマザー・テレサが着たとしても、汚れは帳消しにならない。

(ネガティブな感情とはそれぐらい根源的で強力なものだ。この部分は『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』と重なる)


●死について考えた被験者は明るく前向きな連想をする傾向があった。歳をとって死に近づいていくとき、脳はより明るい情報をさがし求める。さまざまな顔の写真を見せたところ、老人の被験者は明らかに楽しげな表情を好み、怒った顔を見るのを避けた。

(年配の人は優れた直観をもつこともあるが、老害があるとしたら過剰にポジティブで、不愉快な情報から目をそむけてしまうこと。もし問題を正しく認識して対処できなくなったら、意思決定の場から退場するしかないだろう)


●ノスタルジアは孤独感をやわらげる作用がある。ダメージから立ち直る力を意味する回復力(レジリエンス)は、侮辱を跳ね返し、非難や攻撃をかわす能力だが、その回復力を備えた人は、困難への対処法としてノスタルジアを使っていると考えられる。


●死を意識した人は、贅沢な消費をこのみ、欲深くなる。彼らは競争相手を負かし、多くの木を切って、お金を稼ごうとする。自らの不安や恐怖があまりにも強く、生態系や他人をかえりみる余裕がなくなる。


●思想上の脅威は死を思いださせる。大量殺人や大量虐殺の裏には、思想上の脅威による死の恐怖がある。ナザレ(キリスト教の聖地)のイスラム化についての記事を読んだキリスト教徒は、だんだんイスラム教徒ばかりでなく、仏教徒、ヒンズー教徒、無神論者についても否定的になった。

(コーチングや類似の心理学、コミュニケーションの研修機関もそれぞれ一種の思想空間なので、時には相手を滅ぼさんばかりの勢いで攻撃を仕掛けることがある。私は他人のテリトリーに入るときは他人を「尊重」するけれど。自分のテリトリーで散々いやな思いをしているから)



●ウディ・アレンの有名な言葉で、仕事の80パーセントは姿を見せることだ、というのがある(既定値思考)。



これらは本書で紹介されている膨大な心理実験のあくまで一例です。
さて、これらを知っていると私たちは少しは判断ミスをしない人になれるでしょうか・・・


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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