さて、当ブログでこのところみてきた「空気を読む」、これについてつける薬はあるのか?というお話。

 「空気を読む」のは、恐らく山岸氏いうところの「プリベンション(予防)志向」が関連します。

 (決して「人の気持ちがわかる=共感能力」と同じではないことにご注意ください。本当に人の気持ちがわかるなら、「自分自身は個人主義だがほかの人はそうではない」などと他人の気持ちを読み間違えることはないはずです。この点、一部の遺伝子学の本は共感ホルモンのオキシトシンと「空気を読む」「顔色をうかがう」を関連づけていますが、これは誤りです)


 そして、プリベンション志向は遺伝子学でいう「損害回避」とおそらく同じ概念であり、ゲノム的にも日本人には損害回避に関連付けられる「セロトニントランスポーター遺伝子S型」の人が圧倒的多数を占めることなどもみてきました。(そして共感能力や社会的スキルと関連づけられるオキシトシン受容体のスニップは日本人を含めたアジア人には少数派です)


 『遺伝子があなたをそうさせる』(ディーン・ヘイマー他、草思社、2002年、原題'Living with Our Genes'1998)は、比較的初期の遺伝子学の集大成ともよべる本です。


 初期だからといって重要でないということはない。心理学でも、1950〜70年代に確立された行動理論から今も学ぶことは多いです。その学問分野の骨格をつくるものが初期にできることは多い。そこから細分化されていくと、素人がフォローしきれない分野になったりする。

 ちなみに今流行の「エピジェネティクス」は、遺伝子学の中の一過性の流行といっては失礼ですが、その知見をどうやって一般人の世界に有効に適用するか、しばらく見守る必要がありそうです。胎教の重要性など、強調しすぎるとまた日本女性の職場進出を阻む社会的圧力になりかねない。かつ、エピジェネティクス論者の人は「決定論」に異を唱えたいのはわかるのだが、ふたご研究などで行動に遺伝が大きく影響されることは立証されており、エピジェネティクスで動くのはごく一部と考えられます。


 閑話休題、本書は「不安―世界を暗く見る傾向」という章で、「損害回避」という気質について大きな紙幅を割いています。

(「気質」はここではクロニンジャーの考え方にしたがい、生まれてすぐに表れる形質で生涯変わらないものです)

 その記述を引用すると:


 
損害回避という言葉は誤解を招きやすい。この気質の人は損害を回避しようとするだけではないからだ。むしろ、つねに不安で苛立ち、悲観的な世界観ですべてを暗く考え、人生そのものを恐れている。損害回避のレベルがきわめて高い人にとって、人生は暗く、将来には暗雲がたちこめ、毎日は灰色なのだ。

 こんなふうに感じるからといって、必ずしも、その人の人生が難題続きであったり、不幸な育ち方をしたり、虐待されているとはかぎらないし、当人が弱いとか怠け者だというわけでもない。損害回避は遺伝子に深く根ざし、生涯続く感情的な傾向なのである。強い損害回避の気質をもっているのは、自分自身も周囲もすべて暗く見えるサングラスをかけて生まれたようなものだ。

(中略)

 損害回避は不安や恐怖、抑制、内気、うつ、疲労、敵意などを含む総合的な概念である。このような損害回避のさまざまな側面は、ある程度までは独立している。たとえば神経質でも暗くはない場合もあるし、敵意を抱いていても慢性的疲労感はないこともあるだろう。しかし多くの研究によれば、否定的な気分の一つがある人は、ほかのものも経験していることが多い。

 損害回避の一般的な兆候は感情的な過敏さである。感情がいつも日焼けで赤くひりひりしていて、すぐに炎症を起こすようなものだ。損害回避のスコアが高い人は些細なことに落ち込み、明るい気分を押しのけてしまう。罰に対してきわめて敏感で、いつもびくびくしている。食べ物やタバコ、ものの所有への欲求や衝動を抑えられないことが多い。(pp.61-63)



 なんとも気の毒なことですが、損害回避の人は怒りや敵意などを含むネガティブ感情のオンパレードだというのです。また幼児を対象にした実験では臆病な子の唾液からストレスホルモンのコルチゾールが大胆な子の2倍含まれていたそうで、これも山岸氏の「決めたくない人」の知見と一致します。本書などによればこれが気質のなせるわざであり、環境要因はさほど大きくないということで、山岸氏に反論した部分をご理解いただけるでしょうか。おそらく制度をどう変えたとしてもそれをかいくぐる形でプリベンション志向は生き残り制度を形骸化させるはずです。


 こうした人々によって構成されているのが日本人だとすると、なんだか救いがないようです。(たぶん、こうした社会の気風を嫌になった人は海外で就職したりするだろうなあ、と思います。)本書はこの「不安」の章の最後に、「一定範囲までは努力すれば変えられる」と福音のような記述があります。

 
双子を対象にして損害回避の遺伝について研究している心理学者のデヴィッド・リッケンは、こう助言している。「体験の美食家になることです。小さな喜びをせっせと味わえば、セットされている気分のポイントは上がっていきます。おいしい食事、庭仕事、友だちとのつきあいなど、気分をよくする小さなことを見つけて、暮らしにちりばめるのです。長いあいだには、このほうが、大きな成果を達成して一時的に気分を高揚させるよりも、ずっとあなたを幸福にしてくれます」(p.91)
 


 日本人の大部分―これまでのデータではセロトニントランスポーター遺伝子のSを1つでも持っている人は90%以上にのぼります―は、「小さな喜び主義」を励行したほうがいいということでしょうか。

 本書では「承認」に触れていませんが、

(もともとアメリカ人は「承認」という概念をあんまり理解してくれません。うちの英会話の先生のクリストファーに"acknowledgement" というと、"praise?"とききかえされました)


 わたしどもの経験では「指導者やリーダーによる承認」も重要です。たぶんそれはアメリカではあまりにも常識だからさほど言われないのでしょう。日本人リーダーは自分自身も損害回避傾向をもっているはずですから、自然に任せておくと「承認」を出し惜しみしますし、怒りなどのネガティブ感情を多く表出します。


 損害回避の人はリスクを避ける、いわば「義をみてせざるは勇なきなり」を絵に描いたような人です。これも本書にはありませんが行動理論のモデリングを当てはめると、勇敢でかつ蛮勇ではなく総合的に信頼のおける魅力的な人を身近に持っておき自然にその人からの影響を受けることも、損害回避克服のひとつの処方箋になるでしょう。


 「損害回避の日本人」にたいする、もうひとつの処方箋と考えられるものがあります。

 それは次項でご紹介したいと思います。



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