認知症の母の見舞い用にストールを買った。

 若い人のブランドのお店で、薄黄色の小花を散らした明るく優しい柄。

 首元に巻いてあげる。

 「お母さんは江戸川区立A中学校に出勤するんだから、これくらいきれいな色のをしなきゃね。きれいにして行ったら、生徒さんが『わあきれいな先生が来た』って喜んでくれるよ」


 ぱっと表情が輝く母。


 去年9月に急速に容体が悪化し、ここ数回の見舞いでほとんど話しかけにも反応がなかった母。グループホームの院長の吉田先生のお話では、ふだんは職員さんや入所者さんと口をきくこともある。中学の先生だった30〜40代の気持ちに戻っていることが多いようで、周りの入所者さんを「うるさい」と叱ることもあるらしい。

 どんな「上から目線」の入所者なんだろうか、とつい恐縮してしまう。

 ともあれ母にとって人生の輝いていた時期は、教師として出勤していた時期なのだ。

 子育て期に一度仕事を離れ、40歳ごろ職場に戻った。

 10歳だった私などにはうかがい知れなかったが、それはどれほどの不安や気負いがあったことだろう。

 その、母が復職するときの気持ちを想像して、今回は思い切って若々しい柄のをプレゼントした。喜んでくれて、何より。


 いつも母ふくめ認知症ばかりの入所者を明るく笑いで導きながら、ケアや脳活性の働きかけをしてくれる若いチーフの中川さん。この人はプロだ。もちろんほかのスタッフさんも。

 「最近、つかまり立ちができるようになったんですよ。両手を肩に乗せて支えれば、2〜3歩歩かれますよ」

 「そうでしたか。ありがとうございます。嬉しいです。兄も私ももうあきらめかけていたのに、よく目をとめて働きかけてくださって」

 
 入所者さんの輪にもどった母は、さっそく新しいストールを「きれいねえ」とほめてもらい、中川さんから

「よかったねー。自慢できたねー」

「うん」

 喜んでいたらしい。


 また考えた。
 本当は母はあのとき年上のメンターのような女性がわらにもすがりたい思いで欲しかっただろう。仕事について、家庭について、生き方について、相談したりアドバイスをくれる人。

 娘時代の私は時々、母にそういう役割を求められるのを感じていた。当時の私にはそれは少々重たかったのだが。


 本当は「おかあさん」より「みさおちゃん」って呼んであげるのがいいのかもしれない。母が若いころ、人生の盛りのころだれかにそう呼ばれたかったように。


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 「承認大賞」の介護福祉施設勤務の林義記さんからメールをいただいた。

 「嬉しさ7割、寂しさ3割」というタイトル。ご了解をいただいたので、転載させていただきます。


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お久しぶりです。寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
施設ではインフルエンザが猛威を振るっております。幸い利用者は重症にはなっておらず、私も元気に過ごしています。

今日は嬉しかったこと、一方で寂しかったことがありましたので、メールさせていただきました。

施設で働く介護スタッフが退職することになりました。
次の職場も決まっており、引き止めることもできませんでしたが、「実はね、辞めることにしたんです。でもまだ誰にも伝えていなくて。林さんに一番お世話になったから、林さんにはまず伝えようと思って」と、話してくれました。
「林さんは私が頑張っているところを見つけては褒めてくれた。利用者の状態が少しよくなったら一緒に喜んでくれた。悩んだ時には一緒に考えてくれた。どれだけ嬉しかったか、心強かったか、モチベーションが上がったか、この仕事の可能性を感じさせてくれました」と言ってくれました。

ならどうして辞めちゃうの?疑問をぶつけると、
「林さんしか褒めてくれないのよね。直属の上司は特に。私に興味がないんじゃないか、どんな仕事ぶりでもどうでもいいんじゃないか、その思いから離れられなくて。林さんとは仕事はしたい、でもここではもう嫌になっちゃって。林さんと仕事をしてたくさん発見できた。この経験を新しい環境で活かしてみようと思って決断したのよ」とのことでした。

次の職場には、部署の管理者としてヘッドハンティングされているようでした。
こんなことも言ってくれました。「林さんみたいな関わりができるように、今の上司のような上司にならないように頑張りますね。私にしてくれたように残ったみんなにもお願いしますね。」と。

嬉しかったのは承認が活きていたこと、そのフィードバックが得られ、やってきたことは決して間違いじゃなかったと感じられたことです。そして承認の輪がつながったことです。
彼女は次の職場でもきっと活躍してくれると思います。

寂しかったのは、自分だけでもだめなんだな、ちょっと無力感も抱きました。

でも嬉しかった。
いずれはお別れの時が来るのが人生。承認を大事にすることで、それまでの間の人生が光り輝くものに変わっていくんだなということを感じました。

書きながら、嬉しさ8.5割、寂しさ1.5割くらいに思えてきました。


殴り書きのようになってしまいました。乱文を失礼いたしました。


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 「いずれはお別れの時が来るのが人生」。だから承認。
 いいことを言うなあ。

 林さん、でもそれやっぱり喜べることじゃないよ。

 そのスタッフさんが他施設でいい評価を受けられたことを考えたら、喜んだほうがいいのかな。

「林さんみたいな関わりができるように、今の上司のような上司にならないように頑張りますね。私にしてくれたように残ったみんなにもお願いしますね。」

 これもいい言葉だなあ。

 私としては、林さんが変わらずしっかりやってくれていたことが嬉しかった一方で、何しろここの施設で自分が去年8月、研修をさせていただいているものだから、それが浸透していなかったという話だから、ちょっとがっかり。


 上司が承認する人だろうとしない人だろうと、部下は例外なく承認してほしいと願うものだ。とりわけ、介護職のような仕事そのものから得られる達成感がごくまれとかわずかで、たまにあるよいことをとことん喜んで周囲と分かち合うようなことをしないではいられないようなところでは。

 職種にもよるが、上司になった以上は選り好みをする余地のないこともあるのだ。


 太田肇教授の「承認論」に関する初期の著書では、

「離職者・転職者にインタビューすると、表面的なサラリーや条件面の理由を述べるが、深層まで掘り下げると、『認められたい』『認められなかった』という問題が横たわっている」

という趣旨のことが書かれている。その著書から8年後、

「認められなかったから転職する」

ご本人もはっきり理由を述べる時代になった。



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 兵庫県社会福祉施設経営者協議会・青年協議会(福祉施設さんの経営者さんでつくる経営者協会や青年会議所のような団体)で研修をさせていただくのが、今月20日。

 事務局の人が頑張ってくださり、きょう現在で55名のお申し込みがあったそうだ。同じ施設の管理職とその下の指導職がペアで参加してくれるところも多いとか。

 宿題を出すとかなるべくその施設に考え方が浸透するようにしたほうがいいとか、面倒なことをお願いしたけれど、その趣旨をよく理解してくださった。


 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp