『なめらかな社会とその敵』(鈴木健、勁草書房、2013年1月30日)という本を読んだ。


 理系的思考と文系的思考のまじりあった本。著者は複雑系、自然哲学の人。3200円もする、私にとっては非常に高価な本。

 (こう書くと恐らく著者からこの本を献本されたとかもっと高い本を買ったとかくだらない自慢をする人がゾロゾロ出てきそうだ。そういうことは「想定内」だと、あらかじめ言っておく)

 
 そして、帯に青木昌彦と中沢新一、両先生の推薦文がついている。アマゾンのこの本のページでは確か内田樹氏が書評を書いて絶賛していたと思う。


 ところで、私は決して天邪鬼なわけではなく、そこそこ期待してこの本を手にしたのだが、冒頭の方の文を読んだだけで「ダメだ、こりゃ」と投げ出してしまった。


 例えば、「責任」は追及しようがないのに追及されざるを得ない、みたいなフレーズは、それこそ内田樹本か何かのどこかで見たことがあるような気もするが、よのなかカフェならぬ哲学カフェでなんとなく世間話的に語られるような、「ゆるい」考察である。わざわざ本で読むほどのことではない気がする。
(哲学カフェには、以前阪大のカフェフィロに4回ほど通ったのだ)


 また、ある著名な経営者に著者が助言したというエピソードは、最終的に「所詮は人も組織も宇宙もコントロールし得ない」と結論づけているが、これもこのブログで良く出てくるフレーズでいうと、

「教育は間違っても人は死なない」、

 間違ったら人が死ぬ仕事をしている人に対して失礼だと思う。

 組織のサイズにもよるが自分以外の他人も全員気をつけないとお客様を死なせてしまうかもしれない組織なんてごまんとあり、そこでは厳しい統制が、その組織の生き残りのために不可欠なのだから。

  それを「コントロール」であり「悪いこと」だという理屈があるだろうか。

 心理学でいう「コントロール」という概念は、よく悪者扱いされるが、もともと心理学はフロイトらがヒステリーの貴婦人らを治療したのが出発点なので、コントロールは病的な状態を起こさせるものとされてきた。

 ただし、人類のすることは何をするにも大抵組織が必要なのである。正田はよくコーチング研修の中でいう、私たちは狩猟採集時代から集団を作って捕食して生きてきたのであり、いかに効率が良くて幸福度の高い組織をつくるかが人類の幸福に直結するのだ、だから私はこのしごとをしているのだと。


 「コントロール」に限界があることは確かであっても、それでもわたしたちの営みにはリーダーが要り、組織が要る。リーダーがある目的のために組織を鼓舞するのも広い意味のコントロールである。それが悪いか。

 たとえ地球環境のため、人類の福祉のためにしごとをする良い組織にもそのコントロールは不可欠である。


 「コントロール」を罪悪視するのは、組織の統制を受けない自由人を自負する学者さんによくみられる態度だし、また老荘思想の影響を受けた人にもよくみられる。万物斉同。以前にも書いたが正田は小学校〜中学の時に老荘思想にはかぶれたので、かぶれる人の気持ちもわからなくはない。かぶれると浮世のあらゆる権力が相対化してみえ、自分の方が偉く思える。またかぶれた人がそれとなく間接的にそのことを自慢したい気持ちもわからなくはない。


 ほんとうに心理学的に問題の多い「コントロール」はある種の障害の人にみられる「過支配欲求」で、これは最近の尼崎の連続殺人などでも恐らく関わっていると思う。ある種の心理カウンセラーや霊能力者にもこのタイプの人がいる。


 ・・・で、このエピソードにはよくみると落ちがなかった。この著者さんが著名な経営者さんにこういう助言をしました、そこで止まっている。経営者さんがその助言をとりいれたかどうかはわからない。たぶん取り入れないだろうなあ。なんだか有名な経営者さんとお話ししたことを自慢したいだけなような気もする。



 そんなわけでこの本の文系的な部分は私も知っている心理学の系譜などが並んでいるが、付け焼き刃のお勉強発表会のようにみえてしまうのだった。


 このブログは基本、著者さんが読まれることを想定していない。たまに著者さん、もっとまれに編集者さんが遊びにくることはあるけれど。もし目に触れたらごめんなさい。


 この本の数学的な部分はまったくわからないので、もしお詳しい方は、この本の真の読みどころをご教示ください。


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 この本は大筋、時代の変わり目に周期的に出てくる退嬰的な思想の本なのだろうと思うが定年後のおじさま学者たちがやたら称揚するのはなぜだろう、と考える。内田樹氏は定年と某府知事への失望の反動からかこのところ「身体論」の本ばかりかいている。

 おととしの暮れにアルフィー・コーン氏の6000円する本をやたらほめた人がいて、私はそれのことも散々こきおろした。あの人(ほめていた人)今何をしてるんだろ。

 アルフィー・コーン氏自身も、今考えるとある種の障害を髣髴とさせる人格だった。知的能力は高く、一方で自分は他人に世話になったことなどないと思っている。そういうことを記憶できる容量がないから。こういう人が行動理論や承認を評価しないのは自明のことだ。



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