先月亡くなられた恩師、中嶋嶺雄・国際教養大学前学長・理事長(元東京外国語大学学長)をこのブログでも繰り返し追想させていただくことをお許しください。


 先生が残してくださったものを振り返る作業をすることは、先生に学んだものの使命であると感じます。


 今回は、中嶋ゼミOBで現拓殖大学海外事情研究所教授・国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授の名越健郎氏による追悼文を、ご許可をいただいて引用させていただきます。
 中嶋先生の学者としての業績から趣味、そして新設大学設立にまでつながった人間的迫力を伝える文章です。


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 中嶋嶺雄先生の「未完の革命」


拓殖大学海外事情研究所教授
国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授
名越 健郎



「激流に掉さす確かな視点を!」

 34年前、中嶋嶺雄先生の学位論文となった著書『中ソ対立と現代』(中央公論社)にサインを頼むと、この言葉が添えられていた。先生は、学者、教育者の両面で圧倒的な成果を挙げたが、双方に共通していたのは、多数意見や定説、惰性に果敢に挑み、妥協を拒んで闘う姿だった。

 現代中国論、国際関係論の学者としては、ペシミスティックなリアリズムが基調にあった気がする。冷製で現実的、仮説も重視する多角的な分析は、卓越した筆力と相まって論文を量産し、著書は百冊に上る。思想戦が激しかった1960〜1970年代、中国革命の批判的考察を展開し、学界大御所との論争もいとわなかった。

 二十代に修士論文として書いた『現代中国論』(青木書店)は、左翼知識人の共感を呼んでいた毛沢東思想を徹底して批判的に分析した。文革期の論文をまとめた『北京烈々』(筑摩書房)は、文化大革命を「毛沢東政治の極限形態としての党内闘争の大衆運動化」と分析。その後に起きる非毛沢東化と現代化・工業化を予測していた。『中ソ対立と現代』は、スターリンと毛沢東の駆け引きや朝鮮戦争をめぐる角逐など対立顕在化以前の秘められた中ソ関係を最新の資料を基に浮かび上がらせ、将来の中ソ和解も正しく予告した。

 この3冊が代表作と言えるが、アジア各地で中国の影を追ったノンフィクション風の『逆説のアジア』(北洋社)、天安門事件後に緊急出版してベストセラーとなった『中国の悲劇』(講談社)、返還を機に香港の歴史と未来を描いた『香港』(時事通信社)も語り継がれる名著だ。旺盛な執筆意欲と集中力は驚異的だった。論文は正しさだけでなく、謎解きのエンターテインメント性も重視する優れたストーリーテラーだった。

 先生は全体主義や覇権主義に対して厳しい視点を貫き、中ソ両国の一党独裁体制を批判。台湾やチベット、内・外モンゴルなど大国主義に翻弄される地域に同情的だった。根が民主的で小国に優しいのである。

 わが国の浮薄な「日中友好」外交には終始批判的で、対中位負け外交に警鐘を鳴らし続けた。昨年の国交四十周年では、尖閣をめぐる中国の圧力について、「わが国はひたすら中国に跪拝(きはい)し、中国を刺激しないように低姿勢を貫いてきたにもかかわらず、いや、それがゆえに、今日の事態に立ち至ったのである」(『産経新聞』2012年9月28日付)と断じた。

 先生は芸術に造詣が深い粋な文化人だった。バイオリンはプロ級で、絵を描き、山登りも好んだ。「旅の達人」でもあり、私が赴任していたワシントンやモスクワに来られた時は、国連発祥の地の見学やロシアのモダンバレエ鑑賞を所望された。旅や音楽の巧みなエッセーは、『リヴォフのオペラ座』(文芸春秋)などに収録されている。

 先生は教育者として、優れた国際人を育てることに情熱を注ぎ、ここでも「激流に棹す」姿勢が顕著だった。95年から6年間、母校・東京外国語大学の学長を務め、大学改革に心血を注いだが、学内の抵抗が強く、改革は挫折した。先生は「現在の大学には全共闘世代の人材が多く残り、諸機関を支配していることが改革できない理由」(『学歴革命』)と既得権益に安住する国立大学の左翼系教授を糾弾した。

 最後の大仕事となった2004年の国際教養大学(AIU)設立は、秋田市の郊外にグローバル水準の大学を作るという野心的構想だった。先生は「現状では、日本は国際社会で埋没する」との憂国の情から、「現代の松下村塾をつくる」と秋田に乗り込み、教授会を排除したトップダウンのリーダーシップを導入した。英語だけの授業、半数の外国人教員、徹底したリベラルアーツ(教養)教育、1年の外国留学義務化といった新機軸は、大手企業に歓迎され、就職率100%を毎年達成して日本の高等教育に革命的旋風を巻き起こした。

 「万事に消極的な大学教員がのさばれば、日本の大学は旧弊を改められず、時代に取り残される」。先生はAIUをさらに飛躍させ、日本の大学刷新につなげる野望を抱いていたが、2月14日の急逝で「未完の革命」となってしまった。東奔西走、激務に耐えながらの惜しまれる「途上の死」だった。


『外交』Vol.18 所載





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