ひきつづき、城ヶ崎滋雄先生(千葉県公立小学校教諭)と正田の対談をお送りします。
 無敵の教師が「怖い」と感じるものは何か?というお話になりました。


 なお後付けですが正田はリーダー教育の中で感情の自覚、とりわけ「怖れ」の感情の自覚を非常に重視して扱います。ほとんどのリーダーにとってむずかしいところですが、城ヶ崎先生はそこを難なくクリアされています。



(1)メンバーの個性をどうつかむか
(2)不登校指導は「自己流」
(3)子どもの指導と成人教育と
(4)教師が「怖い」と感じるとき
(5)「冷徹な眼」と「間の技術」
(6)保護者との風景―懇談、連絡帳、学級通信
(7)武術家にとっての教育
(8)小学校時代の荒れと恩師
(9)翻訳は「みる」修業だった
(10)日本人と承認と城ヶ崎メソッド
(11)承認教育―大人が教育を受容するとき
(12)武術は「型」にこだわる
(13)「なんで」の訓練が子どもになぜ大事か




(4)教師が「怖い」と感じるとき
■音楽会や運動会には顔を出さない
■おじいちゃんおばあちゃん先生になる恐怖
■「普通」というのは怖いから
■期待に応えられない怖さ、マンネリになる怖さ



■音楽界や運動会には顔を出さない

正田:
幸せですね、城ヶ崎先生に持っていただいているお子さん方は。

城ヶ崎:いや、子ども達は分からないですよ。

正田:えー?先生が前任校の音楽会に招待してもらって行かれて、でも子ども達に分からないように聴いて帰ってきた、というお話をフェイスブックで拝見しましたが、あの話はちょっと泣けてしまいました。ひょっとしたら城ヶ崎先生の姿を見たらみんな「わーっ」となって駆け寄ってしまって、会がわやくちゃになるんじゃないかなと。

城ヶ崎:そうですね、まさにその通りで、今の担任がいるわけですから、今の担任はそういう状況をみたら、うーんあまりいい気はしないだろうなと。だから、そっと見てそっと帰ったほうがいいかなと。
 運動会のときもそうだったんですよ。運動会も普通はその学校を出たら、次の年は来賓として招ばれて、来賓席でこうやって見てるんですけど、私は行かなかったんです。その次の年も行かなかったんです。離任して3年目の今年初めて行って、何故かというと最後に教えた子ども達が6年生だったので、組体操だけ見たかったんです。そのときも私が行くことは子ども達は知らないですし、組体操だけ終わったらすぐ帰りましたけどね。
 ただ私のことを気づく子どもがいますから、あとで親から「来てたんですか」と訊かれて「はい、行ってましたよ」と。

正田:そうですか。なんだか泣けるなあ。

城ヶ崎:そうですか?

正田:そうやって先生と再会したときに初めて、自分がどれだけこの先生大好きだったか分かるんじゃないかって。結構よくあることなので。音楽会などの行事をしたら転任した先生が来られていて、紹介されて立って挨拶されて「わーっ」て拍手して。そういう光景はよくありますから、でもそれは城ヶ崎先生はできないことなんですね。

城ヶ崎:そうですね、苦手ですね。やっぱり今いる人に申し訳ないな、という。
 子どもですから、私が来たら喜んでくれるのはわかってるんですけど、今の担任はさっきも言いましたけどあまりいい気持ちしないだろうな。
 あとは音楽会にしても運動会にしても、披露する場なのに私が行くことによって私のために時間を奪われちゃうでしょ。止まってしまう。それが申し訳ない。

正田:そうなったご経験が実際におありだったんですか。

城ヶ崎:それはあまりないですけど。逆に私なんかは、「ああ前の先生が来てるなあ、行っておいで」と子ども達に言うほうです。子どもの前に顔を出すということは、その先生が子どもに会いたいんだろうなと思うので、「じゃあ行っておいで」とやります。
 まあ、色んな考え方がきっとあるでしょうね。

正田:そうなんですかねえ。会ってあげてもいいのにと思いますけれど。
 今年の離任式の時に何があったのか伺ってもいいですか。

城ヶ崎:離任式の時に、特に私は何もないです。私がもう学校の先生をやめるという噂が親御さんたちの間に立ったらしいんです。それをききつけた親が来てくれたのもそうなんですが、その前に1月か2月に親が私に記念品とか花束を贈るという計画を立てたらしくて、「なんでだろう、これで担任持ち上がったらどうするんだろう」と思って、「私が持ち上がったらどうするんですか。返さなきゃいけないんですか」(笑)ときいたんです。そしたら「それはそれだ」と言われるので「変だなあ」とは思ってたんですけどね。そういう噂が立っていたらしくて。
 保護者の方も離任式の時にどの先生が出るかというのは知らないのですが、噂をききつけた人達が来ていました。

正田:あれは兵庫県とは凄くシステムが違うんですね。兵庫県だと、3月31日に各戸のポストにお手紙が入るんです。4月1日に離任式をやります、離任されるのはこの先生方です、と。それを見て、「あ、この先生が離任されるなら明日行こう」と決めたりするんです。

城ヶ崎:船橋も、前はそうだったんですよ。今年だと27日に新聞で出ましたから、4月1日に離任式をやるんですよ。それで子ども達が来て、という形だったんですけど、あともう、薄々みんなわかるんですよね。



■おじいちゃんおばあちゃん先生になる恐怖

正田:
城ヶ崎先生、何歳まで先生をされるんですか。

城ヶ崎:教員しかできないですから。
 ただ40代の後半のころに、管理職になりたいと思ったんです。なぜだと思います?

正田:なぜですか。ほかの先生を変えたい、とか。

城ヶ崎:いや、そうじゃなくて、私はあまり人のことは考えないんです。

正田:そうなんですね(笑)

城ヶ崎:その当時50前後の先生をみたときに、「おじいちゃんおばあちゃんだな」と思ったんですよ。

正田:まあ、そういう方も沢山いますけど。

城ヶ崎:ちょうどそのころに教えた子どもの妹が家に帰ったら「こんど私の担任おばあちゃん先生だった」と親に言ったらしくて。でもその当時そのおばあちゃん先生って言われた先生は51か2だったんですよ。子どもにそう思われちゃ、続けられないなって。

正田:うーん(笑)ああそれで「僕ももうおじいちゃん先生」と思われたんですか。

城ヶ崎:で、管理職試験を受けたんですけど、いい具合に受からなくて(笑)そんなことをしているうちに、「あれ、50前後になっても子どもがついてくる」と。だったら別に担任をやめたくて管理職を目指したわけではないから、これなら続けられるかもな、と。で今に至ってるんです。

正田:めちゃくちゃついてきてるじゃないですか。

城ヶ崎:どうなんですかねえ。正田さんのレポートに書いてありますけど、あまりそういう意識はないんですよ。成功したとかうまくいっているとか。


■「普通」というのは怖いから

正田:
はあ。いつも「普通のクラスですよ」「普通のことをやってますよ」とおっしゃいますね。

城ヶ崎:普通というか、いつも恐れというか、怖い。私はどちらかというと性悪説、マイナス思考なんです。

正田:そうなんですか。

城ヶ崎:うまくやっているとは思うんだけど、これがいつまで続くかなあとか。

正田:でもそれはそうですよね、子どもはいつも変わっていく存在ですから。

城ヶ崎:そんなに、自分がうまくいっているとは感じないんですよね。

正田:うちの受講生のマネージャーさんもいつもそれはおっしゃいますよ。例えば1位になった人でも、数字は必ず出ますから、1位というのもその半期ぐらいの実績なんですけど、やっぱり「人間というのは水ものですからうまくいっているとは思ってませんよ」とは必ずおっしゃいます。

城ヶ崎:そうですね、だから怖いですよね。逆に、子どもたちが言うことを聞いてくれると、有難いというか「おお、言うこと聞くんだ」と思いますね。

正田:それは慢心されないというのは素晴らしいことですね。

城ヶ崎:かっこよく言うと慢心しないんでしょうけど、やっぱりおっかない、怖いというほうが先ですね。「うまくいくかなあ」といつも思っていますね。


■期待に応えられない怖さ、マンネリになる怖さ

城ヶ崎:
逆に今度の子たちを4年で持ち上がったとしたら、今以上を子どもは望むはずですから、「今度は何をやってくれるんだろう」。そういう意味では持ちあがるのは怖い。

正田:持ち上がるんですか、どうなるんですか。

城ヶ崎:それはまだ発表がない。校長がまだ発表していないからわからないんですけど。

正田:3年から4年というのは解体するんですね。

城ヶ崎:子どもは解体しないです。先生は替わる可能性があります。1年間のつもりでやっていますから、それにそんなにネタがないですから(笑)
 だから持ち上がると子どもとの関係ができているから楽だ、という人がいますけど、これで伸ばせなかったり親が期待するのに応えられないほうがプレッシャーです。(注:今年度実際に持ち上がりの4年生担任) そんなこと思いません?お仕事の中で。

正田:どうでしょうねえ、私も一応実績は背負ってきているんですけど、「あれ、実績あるみたいに書いてあるけどダメじゃん」と思われるのは怖いなあと、ゾッとします。
 企業向けの研修講師って大体、得意分野があったらそれを歌舞伎の十八番みたいにずっとそればっかりやるんですよ。私だったら「承認」がもう圧倒的に多いんですけど、逆に同じプログラムを繰り返しやるということでマンネリになるというのは物凄く怖いですね。
 ただ承認だったら承認をどういう順序でお伝えしたら、どういう実習を間に入れて、どういう説明の仕方をしたらベストに身に着いてくれるかというのはもう大体わかっているので、動かせないところの方が多いんです。それをやっている自分が結構怖いです。

城ヶ崎:受ける人は毎回違うんでしょうから。

正田:はい、違います。

城ヶ崎:でもそれは分かりますね、同じことを言ってると「これでいいのかなあ」と思いますよね(笑)

正田:思います。先生は毎日どんどん違うことをおやりになっているじゃないですか。教科も違うし。

城ヶ崎:算数だったら、今日は分数、小数と違うんですけど、教え方の根本は一緒ですからね。流し方とか。そこのところに変化がないというのは不安ですよね。


■PCソフト、ICT―タブレットは評価していない

正田:
算数はあのPCのソフトをほかの先生が作ってくださってるんですか。

城ヶ崎:友達が会社を立ち上げて作っているので、それを買っています。自腹です。

正田:えー。お幾らぐらいするものですか。

城ヶ崎:あれは…、CD1枚が3000円ですから、5巻あるので1万5千円。
 あれをやると子どもが喜びますし理解しますからね。

正田:喜んでやってましたね。

城ヶ崎:教師の腕がなくてもPCさえ見せれば。いいものは使わせてもらう。

正田:今どんどんICTが入ってくるんですね。電子黒板はまだ入らないんですか。

城ヶ崎:まだ入ってこないですね。

正田:あと全員タブレットを持たせるとか。

城ヶ崎:地域によってはそういうのもあるんでしょうけど、タブレットは私はあまり効果がないと思ってるんです。何故かというとタブレットをやると、先生と子どもの二者関係しかなくなっていく。
小学校というのは、みんなと何かするから、いい。うちの学級だったら、早く終わった子どもに「何かやる?それとも友達にドリル教えにいく?」「教えに行く」「じゃあヘルプ希望する人」「はあい」ここで関わるわけでしょう。そういうのが大事だと思ってるんです。人って優しくされないと人に優しくできないでしょ。
 丁度子どもが親に小さい頃から面倒をみてもらっているから、親が老後あるいは身体の具合が悪くなったら娘が息子が、親の面倒をみるわけじゃないですか。それと同じでね、優しくされた、友達に教えてもらった。教師から「偉いね」「よくできてるよ」と褒められて、教師から優しくされた子どもは、いい気持をほかの子におすそ分けしていく。人に優しくされて悪い気になる子はいないですからね。感謝はしても悪い気はしない。そういうのが学校だと思うんですよ。


■居心地のいい空間を作る

正田:
教え合うのが日本の教育のいいところだと何かで読んだことがあります。アメリカでは習熟度別クラスというのが小学校から当たり前なのでできる子はどんどんできるけれども、底辺の子はいつまでも引き上がらない。日本はできる子もそうでない子も1つのクラスの中にいるので教え合いの関係ができる。それで全体が引き上がっている、という。

城ヶ崎:全体が引き上がるというか、居心地のいい空間を作れるから学ぼうとか学びたいとか思うんでしょうね。

正田:そうなんでしょうねえ。そういう関係を作る先生とそうでない先生といらっしゃいますね。

城ヶ崎:うーん、でもそんなに難しいことじゃないですよ。それこそ子どもの、正田さんの言う存在を承認するところから始まって、できたこと、行動を承認する。そこだけですもん。あとはそんなに特段変わったことはしないです。

正田:前回のお話の中で「褒めて優越感を持たせてやればいいんですよ。友達を教えるようになりますよ」とおっしゃっていますね。あれは凄いなあと。私どもは理論的にそれは説明がつくんですが、普通どこからも教えられないでそんなことを思わないでしょう。

城ヶ崎:それは自分の経験にも基づいているし、つまり自分がそういうことをしてもらってそう思ったというのもあるし、自分が子ども達にしていて「ああ、そういうことなんだ」と気づくこともあります。教わらないけど、気づく。


(5)「冷徹な眼」と「間」の技術 に続く


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