3日、先生のためのとっておきセミナー「愛と勇気のチカラ」(天満橋・エルおおさか)に行ってまいりました。


 「学校の先生研究」は昨年らいのマイブーム。コーチング業界の主流では、「学校の先生みたい」というのは褒めているのではなく貶し言葉として使われることが多いです。しかしどうしてどうして、優れた学校の先生のあり方というのはリーダーシップの範となり得るものであり、それらの先生方の振る舞いは多くのマネジャーたちにとって良いロールモデル、メタファーとなり得ます。


 今回の1日セミナーでは、多賀一郎先生・堀川真理先生・赤坂真二先生と豪華な3人の講師の先生が登壇されました。

(先生方のプロフィールなどはこちらの記事をご参照ください
http://www.taga169.com/archives/3677



多賀先生


多賀先生



堀川先生


堀川先生




赤坂先生


赤坂先生



 「学級経営」「道徳教育」「命の教育」と、「心」にかかわるテーマを重さをものともせず、正面から伝えたセミナーでした。


 アドラー心理学の赤坂先生は学級経営をリーダーシップとチームビルディングなどの観点から、また実践経験も踏まえつつ読み解かれましたがおもしろいことに正田がふだん言っていることと結論部分はほとんど同じ。会員様方は、講演資料などを読まれれば共通点を読み取っていただけるでしょう。


 道徳教育の堀川先生は、ご自身の実体験をクラスで語った顛末を語られました。

 私的に印象的だったその結論部分だけご紹介しましょう―

「女の体は、あかちゃんを妊娠したり出産したり授乳するようにつくられているのです。なんだかんだ言ってそういう機能があるのです。
 男の体にはそういう機能はありません。その代り男にはたくましい筋肉があります。それは女を守るためにあるのです。

 だから、女子は自分の身体を大事に。
 男子は女子を守ること。」


 なんともシンプル、でもこれは堀川先生個人の体験を超えて自然の摂理、ではないでしょうか。

 (もちろん、その大きなテーゼが伝わりやすいのは実体験を先に語られているからなのですが)

 種の保存のために私たちは基本的にどうつくられているのか。


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ここからはセミナー自体の学びというより当ブログの感慨です―


 実は当ブログで2月から先月初めに掲載した「城ヶ崎滋雄先生」に関する一連の記事について、反省を込めて触れておかなければなりません。

 城ヶ崎先生の実践は、極めて優れた「より強く、より大きく、より速く」子どもたちを伸ばす教育でした。
 グローバル化の現代、「強くなければ生きていけない」のもまた真理であり、そういう教育が求められており、そのニーズに極めてよくマッチした教育であります。

 しかし、「より強く大きく速く」があまりにも効果的で強力だけに、それは別の課題を産みます。
 
 それは「優勝劣敗思想」というものではないのか?

 たとえば堀川先生の結論部分にみる、

「筋肉をもつ性は産む性を守ること」

とは、優勝劣敗を超えた一段階高次な思想です。しかしそれが種の保存のために絶対必要なことであるのは、ご理解いただけるでしょう。


 短期的な勝ち負けではなく社会の持続可能性、ということまで考えたとき、「優勝劣敗」を超えた高次の思想が要るのです。

(これはぜひ、「運動会で手をつないで順位をつけないでゴールする」といった悪平等思想とも混同しないでいただきたいものです)

 今回この記事掲載に当たり、本件について城ヶ崎先生ご本人に質したところとうとうご回答はなかったのは残念です。


「優勝劣敗を超えた一段階高次な思想」は、堀川先生の例をまつまでもなく、その人個人の実体験から生まれることが多いです。歴史上では、吉田松陰が聾唖の弟をもっていたことから転じて弱者全般にやさしく、獄中で出会った女性とへだてなく話し合ったことも知られます。


 そうした実体験をもたないことは、教師にせよリーダーにせよ、決定的な能力の限界を示すことになるかもしれません。―真摯に努力すれば想像力で補うことはできるかもしれません―


 「より強く、より大きく、より速く」の方向にプッシュすることは、それが効果的強力であればあるほど、育った子どもたちの次なる世界観人間観をどう構築するか、という課題を産みます。それはないものねだりにみえるかもしれないが、車の両輪であるといえるでしょう。それがなかったら「強いことはいいことだ」という信念の権化のような人をつくってしまいます。ひいては強烈な格差社会や、男尊女卑社会をつくってしまうかもしれないのです。

―これは決して急に考えたことではなく、一部の非常に能力向上にすぐれた幼児教育を受けた人が、結局「競争心を煽る」という手法をとっているため、勝つためには手段をえらばないような、非常に人格のわるい、鼻もちならない人に成長することがあることなどをみた実体験などにもとづいています―


 男女共同参画とのからみでいうと、
 私は「女性=弱者」とは必ずしも考えませんが、現代ビジネス社会の「強く、大きく、速く」の中では妊娠出産育児はハンデになるのは確かです。(これも付記すると、女性が「とろい」わけではなく、特に育児を終えて職場復帰した女性は時間管理が上手く非常に生産性が高いというデータもあります)

 一方で伝統社会の中では男女とも働き盛りの間は働くのが正しかったのであり、女性を子育てに延々と閉じ込めるのは現代日本の特異な現象であります。いわば日本の男性たちの、カネにならないしんどい労力の要る子育てという行為からにげてる卑怯さがそうさせている、ともいえるのです。自分たちは妊娠出産しないでいいという「優勝劣敗思想」をとことんつきつめてしまったのです。

 フェイスブックの方には一度書いた話題ですが、日本の男性たちは、「産む性である女性を守れ」という当たり前の教えを長いこと教えられてきませんでした。日本のエリート教育の中にそういうものはありませんでした。欧米の騎士道精神の中にはありますし、アフリカのマリドマ・ソメ「ぼくのイニシエーション体験」の中にも女性との関係構築のプログラムが入っています。本来は日本にも必要なのです。


 過去の武士道精神や海軍エリートの教育よりさらに高度なリーダーシップ教育をしなければなりません。
 それがなかったがゆえの今の非常にいびつな状態です。


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 さて、セミナーの方のお話に戻って、このたびの講師の1人である多賀一郎先生とはその後、フェイスブックでかなり長いやりとりをさせていただきました。

 話題は「教師に対するコーチング教育の功罪」のようなものでした。これも重い話題に正面から向き合ってくださった多賀先生に感謝。

 お許しをいただいてその内容をブログに転載させていただきます(敬称略):


正田:(フィードへの記事として):教師セミナー午後は生命の教育、道徳教育、いじめへの対応とディープな話になった。「教師の覚悟」「教師の断固たる決意」という言葉が何度も出た。いずれも「にげない」先生方だった。こうした先生方があえてロール・モデルの役割を担って若い先生方の前で話をされることに安堵を覚えた。
私の親としてのいじめへのスタンスはこの記事に集約されている。
「さらば女性不在の議論―いじめ問題、わるいのはだれか」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51815730.html
懇親会は失礼させていただいた、あまりにも語りたいことが多すぎ少々酒飲んで語れる量ではなかったから。
しかし、我が子に対する躾が逆に我が子をいじめ被害者の立場に追いやっていなかったかと自責の念もある。いわばきっちり躾をされた子は無法集団の中ではババを引くことになるのではないか?そんなこともあって私はいじめを家庭教育の責任に帰すことに反対なのだ
補足すると、つらい思いをしている人に「つらいのはあなただけじゃないから」とか言っちゃう人は私見では恐らく「共感性」が低いか「調和性」「公平性」あたりの高い人だと思う。私自身はこのあたりの資質を意図的に下げている。お蔭で人とぶつかることも多いけれど


 
多賀:改めて、そのことについて書かれたブログを全部読みました。躾がいじめの原因になるとは、言い切れません。今の子どもたちの感覚の中で、きれいごとでなく、真剣にみんなが考え合わないといけないだけなのです。僕はそう思っています。最近、正田さん「コーチングを若い人にすすめない」という考え方に、感じるものがあって、考えています。昨日話した三人には、「調和」とか「公平」等という概念はありません。堀川さんは言いました。「なんで協調していく必要があるの。私は私が信じることをするだけ。」彼女は、ただの根性教師ではなく、心理学を真剣に学んで、その上で自分の等身大をさらけ出してきます。あんな人間には勝てません。とんでもない人ですが、尊敬しています。正田さん、また、ゆっくりとお話させてくださいね。

正田:Yes, someday in the future...Maybe the next month? (←照れている)コーチングを若い人に教えられないというのは私はもうこの稼業に入って以来ずっと持ち続けている問題意識です。業界全体としては、若い人をマーケットにすることが多いですがそれに懐疑的なので業界と距離を置いてきました。かなりおかしなことになっていると思います。心理学と倫理道徳の正しい棲み分け、ということにも通じると思います。心理学やそれ的なもの(コーチングをはじめとした)は一般社会の秩序の常識を覆すカウンターパワーのような力をもつので、若い人はそれにはまってしまい、逆に社会常識のほうがないがしろになってしまうことが多いです。うちの娘の中学の時の学級崩壊のときの先生は、どうもその傾向がありましたね…どこかでコーチング的なものを学んだ気配がありました…もともとそういうひ弱な資質をコーチング的なものの学習が助長する役割を果たしたと思います…だから学ぶ人の資質を選ばないといけない、と思っています。そのへんは研修でお世話になるお客様にも相当うるさく言っています。


多賀:ちょっと違うかも知れないが、若い人の感性は、ずるずると引き込まれていくようなところがあると思っています。僕は、若手をアジらないようにしているけれど。ときどき、DVで親から話された子どもたちの施設に講演に行くのですが、若い職員さんたちは、子どもの感情に引きずられていくので、僕から、子どもとの距離について話してほしいと言われます。若い人には、教えるということが大切だと伝えたいのですが、どうも、考えさせるとか自主的だとか言う言葉に引きずられて、違う形になっているように思っています。正田さんの言っておられることとは違うかも知れませんね。来月は、そういう時間ができるでしょうね。


正田:おはようございます。また寝てしまいました。いえ、仰っていることは違っていないと思います。私のコーチングの師匠の1人武田建氏は丁度似たようなことを言われていました。大学生のキャンプリーダーにカウンセリングを教えられない、リーダーとして駄目になってしまう、というようなこと。私の記事では
「何度目かの選択理論と行動理論、「外的コントロール悪玉論」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51855767.html
選択理論と行動理論―承認論の話などが少し近いです。これはコーチングの方式の違いを言っています。今教委などに入っている教育コーチングの研修というのがこの選択理論寄りの考え方ですね。またNLP的な、目標達成に強くフォーカスした要素も入っているのを感じます。そうじゃないんだけどな、それ以前に承認であり、かつ教えることを含めた従来的なさまざまな介入であり、その1つとして質問法とか目標達成なんだけどな、と思っています。


多賀:お早うございます。選択理論と行動理論そのものについては、僕は勉強不足です。正直、よく分からないですが、行動理論は、演繹的だということですか。ユングに長年傾倒して、その後、答を求めてアドラーを学びました。だから、中途半端な人間なんですね。僕のように発達の段階を見つめながら現場に携わってきた者としては、段階と個性によって違ったコーチングの仕方があるのかなあと思うのです。学校教育の場合は、リーダーシップという目標だけではないので、NLPが有効な場合もあれば、カウンセリングの有効な場合もあります。でも、幼稚園や小学校の若手の現状は、NLPやカウンセリングの広範囲の応用で、結局何もしていないという状態を作り出しています。「人をたたいてはだめだ」と教えることができずに、たたく子どもの気持ちも大切にしたいというバカな論理で行動している若手の多いこと。それが、いじめの種を作り出していることに気付かないのです。そのことを指摘する親を「モンスターペアランツ」と断罪して自己擁護します。


正田:そうですか。どうも、私もアドラー心理学を勉強しないといけないかもしれませんね…赤坂先生のお話の結論部分は私がさまざまな場面でオリジナルで伝えてきたことと一緒だったのでびっくりしました。私は企業のマネジャーを常に念頭に置いてやってきましたから、彼らにとってワンフローでやって効果の出るもの、使い勝手のいいものを提供することに腐心してきました。だからこれからも「承認コーチング」一本槍でいくことに変わりはないと思います。私は娘の中学高校の先生と相当ハードな交渉をしましたし息子の高校の先生に関しては県教委に怒鳴り込んだこともあり(なんであの場面で叱ってくれないんですか!っていう)モンスターペアレントと思われているのは間違いないです。仰る通りそういう現象と思います。いじめ防止のテクニカルな面でこういう議論をしないといけない節目になっているかもしれないですね。
以前にご紹介した「ストレングスファインダー(強み)」なんかも、リーダーや先生であれば自己理解―自己規制のツールとして使ってほしいんです。しかし、多くのコーチングは商業教育だから、そういう辛口のことは言わない。「あなたの強みを伸ばして活かして」と、「快」を与えるほうにばかり行っちゃう。いちどそういう教育を受けるとイデオロギー的に信じ込むので、その信念を崩すのに大変な時間と手間がかかる。教育が有害になることがある。コーチングや類似の心理学的手法にその弊害は大いにあります。


多賀:正田さんのしておられることをよく知らないで、いろいろ言って申しわけないですが、僕は、大いに進めていただきたいことだなあと思います。僕は、正田さんのめざすリーダー像と全く正反対の方にちくちくとやられてきましたから、ほんとに気持ちよくブログを読ませて頂いています。「承認コーチング」ということが、ますます鋭敏なものとして磨かれていかないと、その値打ちもはっきりしてきません。アドラーは、原因を探るよりも行動を変えていくものです。そこに人間関係というものが関わってきます。問題は、教育現場のリーダーにこういう発想を持たない人がかなりいるということです。僕は、中高の管理職の半分を女性にするだけで、大きく教育は変わっていくと本当に思っています。
それは、学校教育でも、全く同じことが言えます。塩味の効かないぜんざいは、あまくても美味しくないのです。「褒める」と「認める」の違いさえ、分からないで教育をしている先生がたくさんいます。


正田:ちょうどきのう英会話教室に中学の若い女の英語の先生が来ていて、同じことを言われていたんです。多くの先生が生徒や親に迎合し、叱っていない、あるべき指導をしていないと…その中学は兵庫県内のマンモス校で先生の多くが30歳前後、というので「ちょうどきのうこういうセミナーに行ってきました。こういう先生方がロールモデルになられていました。良かったですよ」と話したところだったんです。なんだかシンクロしますねえ…。


多賀:きちんとした叱り方のできないリーダーには、人生はあずけられません。そういうことだと、僕は思います。


(引用ここまで)

 …と、いうようなやりとりでございました。
 大変ジェントルマンの多賀先生、このかたが神戸の方でいらっしゃることはちょっと誇りでございます。


 また付記すると、ここでは「叱る」という行為を主にとりあげていますが、あくまで「承認」の次の段階としての「叱る」であり、これを読んだからといって読者の皆様がやたらめったら「叱る」人にならないよう、お願いいたします。経験上往々にして、「叱る」を話題にしたあとはそういう現象が起こります。


最後になりますが、この素晴らしいセミナーのとりまとめをしてくださった事務局の國野大樹先生、日々の教務のお忙しい中大変なご労力だったことと思います。改めてお礼申し上げます。


 読者の皆様、もしこの長文のブログを読まれましたら、是非ご感想をお寄せください。
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