また、心痛む別れ。

 このブログでは何度も出てきている話題です。


「研修カクテルがもたらす副作用―傲慢、ナルシシズム、全能感、打たれ弱さ」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51819638.html


 これもいじめの記事と同様、過去の記事のまとめ記事のようなもので沢山のリンクがはってあります。


 要は、心理学・コミュニケーション系の研修を短期間に続けて受講して「ちゃんぽん」にしてしまう。

 と、見事に社会常識が失われる。さまざまな研修の中の自分に都合のよい甘やかし論理だけをつぎはぎで取り込んだ恐ろしく独りよがりな、鼻もちならない人格ができる。それはその人を幼児〜小学生時代から親御さんや先生方が丁寧につくってきた、周囲の人への思いやりとか、あるいは社会人初期に叩き込まれたであろうビジネスマナーとかをがらがらに崩してしまう。

 いちどこういう状態になった人が元の節度ある社会人に戻れる可能性はあるのか?

 ない。よほど徹底した頭打ちに遭った場合しか。

 そして、ある程度年齢のいった社会人になると(残念ながら往々にしてそうなのだが)周囲も遠慮するから、その言動が非常識だ、と親切にも指摘してくれる人など出てこない。

 リーダーの立場になってこういう状態になると、ほぼ「致命的」である。


 だから、上記のリンクをご覧いただければわかるのだけれど、このブログでは定期的に、ほぼ1年1回かそれ以上の頻度で、こうした現象に警告を発している。

 それでもやはりこうした現象は起こる。

 不思議なことに他研修機関でこういう警告を出しているのはみたことがない。
 お名前を出してしまっていいのかどうかわからないが、1つ2つ前の記事に出てくる多賀一郎先生はこうした現象についてご存知だった。
 「研修のはしごには高揚感だけで何の意味もない。消化するための時間が要る」
 と、若手を叱る、という。
 

 ごく一部知っている人は知っている現象。私は一応プロであるとともにNPOでもあるので、今後も警鐘を鳴らさなければならない。
 お客様のところでも、私の研修と同時並行してとかすぐ後に類似の心理学―コミュニケーション系の研修を採用してしまうような行為をされた場合には、先方が引き留めても当方から撤退する場合がある。「責任が持てません」と言って。


 …ここから先の記述はあまりにも不遜すぎるかもしれない…

私の教えは
忙しくて何年に一度しか研修に行けない、
会社が研修費を出してくれないマネジャーのために
コンパクトな一枚のシートに凝縮してある
大げさにいえば、
あれは「仁」というものだと思う
歴史上はじめて、
仁の活用形を教育プログラムにした
もちろんそれ単体でなく
それを産んだ考え方、背景などを同時に伝えるから効果が生まれるのだけど

だから、一人の人が何年もそれに取り組んで
その人の中で進化させるもの
他のものと無造作に混ぜるものではない
化学や物理や建築やその他多くの分野で
当然のことだと思うが、
優れた物性をもつ物質と他のものを混ぜたら
性質が変わってしまうというのは

小賢しい知性の人は
「いただき」という感覚で受け取り、消費してしまう
たぶん春秋時代にも無数にそういう人がいただろう
そして名が残らなかっただろう
誠実にやり続けた人は名が残り、
師からも聖人と呼ばれた
その人たちは他の選択肢が見えなかったわけではなく
これ以上に重要なことはないと心の深いところで気づいたのだ



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 ある、中高年の社会的地位の高い男性向けの雑誌に載った「いじめ」に関する記事で、ノルウェーのいじめ研究の権威の先生による大規模調査の結果が紹介されていた。15万人という規模。前にもふれたが北欧の知性はこうしたとき大規模疫学調査をやって何かを立証する。

 それによると、いじめ加害者は居住国を問わず、その後犯罪者、それも累犯者になる確率が非常に高かったという。

 これは私の想像だが恐らく、加害者のもともと持っている攻撃的な素因が、学校でいじめ加害の体験をすることによって、被害者の苦しみを自分の快とするサディズムや周囲の大人の見て見ぬふり、要するに暗黙の追認を体験することになり、犯罪者的性格の形成を助長する、ということなのだろう。

 だから本人のためと同時に社会防衛のためにも、加害者には徹底した指導をしたほうがよいという結論だった。

 興味を持って編集部に問い合わせたところこの調査の原書を紹介していただくことができたが(編集部はこういうことの問い合わせにちゃんと応じるのだ。偉いなあ)

 なんと新しいものではなく、1994年のものだった。

 国内でこれまで紹介されてきただろうか。

 この同じ研究者によるいじめ対応メソッドのようなものも、2000年代に出ているようだ。これも興味ぶかい。


 私は以前にも述べたように親として我が子のいじめ的言動には非常に厳しい対応をしてきたほうだと思う。ただ、親単位でいくらそれをやってもそれが少数派であればクラスの中でハンデを負った子どもになるだけである。

 だから、集団をみている指導者が同じことをやってくれないと意味がないと思うのだが、これまでの日本の論調は「家庭責任」を言うばかりだった。
 教師たちの責任を言うと抵抗が強いので現実に推進できないので、責任転嫁しやすい家庭ようするに主婦をわるものにしてきた、といえないだろうか。

 もともとは家庭責任を強く言うことの多いこうした中高年向けの雑誌で、学校現場の対応について言うようになったのはそれだけでも画期的かもしれない。

 この原書(不思議と邦訳は出ていない)を取り寄せることにしたが8000円する。NPOの経費で許してもらえるかなあ…うちのNPOの守備範囲なのかどうか、よくわからない。


 でも私は確信しているのだ。以前にも書いたが今職場にいる人たちの少なくとも30代以下は全員、「いじめ―いじめられ世代」なのだと。いじめの存在を前提に、「出る杭は打たれる」「空気を読む」の人生観を構築している人々なのだと。(空気を読むのは日本人の遺伝子的性向だが、それが強められた状態)




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp