10日午後、日経ビジネスオンラインの人気コラムニスト、河合薫さんのセミナー「『無関心職場』からの脱却〜派遣・アルバイトが”自分で考え、動き出す”職場を作ろう〜」に行ってまいりました。日経BP社主催。


 このブログの少し長い読者の方なら、タイトルを見ただけで「答えは、あれでしょ」となるかもしれません。いえ本当にそうだったのですけどね。でも改めて、あるスポットに焦点を当ててみるのは大事なことです。


 以前参加させていただいた「鎌倉哲学カフェ」―これの紹介記事を書くのをとうとう忘れちゃったこめんなさい 大変いい場でした―で、「リアルとは何か?」を問われて。

 私なりにその場で出した解は、「ある一点を凝視するといくらでもそこから情報が引き出せる、画素数が際限なくこまかくなる、それがバーチャルと比較したリアルというものの凄さ」と、言ったところ、それがかなり主催者さんの用意していた答えに近かったようで、逆に早い段階で正解を出したので残り時間の使い方で困らせてしまったらしい。いえ決して「荒らし」をしようなんて意図はなかったんです、みんなが沈黙してしまったので何か言おうと思っただけなんです。あと「愛はインタラクティブ」っていうのを言ったのも妙に早い段階で言って困らせたらしい。


 いやそんな自慢話はさておき。


 なのでこういうセミナーに行くのもまた新しい学びがあります。

 
 派遣社員、契約社員、パート、アルバイトといった非正規社員はリーマンショック後、増えている。とりわけ大企業の子会社で増えている、という。


 この講演では、「健康社会学」という分野の知見から、「慢性ストレッサーにさらされた人たち=あきらめてる人達」とし、慢性ストレッサーが健康を脅かす要因になることを提起しました。


 その中で2011年発表の労働政策研究所の調査「働き方と職業能力、キャリア形成」の数字も紹介されました。


 要は、非正規社員の人がいかに「あきらめてる」か、ということと、非正規の人でも配偶者の有無で開きがあり、無配偶者の人は収入への不満が高い、有配偶者の人は比較的モチベーションが高い、また「部下や同僚に教える機会をもつ」ことが自分の能力形成にもつながるという認識をもっている、などは興味ぶかいです。


 あとは、結論部分のキーワードを抜き書きしますと、

・上司の裁量
・職場の人間関係
・能力発揮の機会
・部下や同僚への指導的立場
・上司からの期待度
・雇用の安定性
・賃金
・今後のキャリアの見通し
・首尾一貫感覚
・有意味感
・応答の質、報酬
・自己決定
・敬意・理解・意見
・存在意義、存在価値へのメッセージ
・人として尊重してくれていると部下が感じられるメッセージの発信
・傾聴と感情の聞き取り
・ムダを大切に ムダな話、ムダな空間、ムダな時間
・あいさつは自分(上司)から


 え〜、「耳タコだ」とブーイングが起きるのを承知で…。

 同じことでもちょっと角度を変えると急に入りやすくなることもありますからね。
 河合さんもおっしゃったように上記のことは全部、正規の人も非正規社員も一緒なんです。


 で、当協会としてどうするかって?

 とくになにもしません。


 わが社は、「その先」の「トレーニング」と「定着」のほうに軸足を置きます。背景説明もしますが、背景説明をするのは自動車教習に例えると学科教習の部分なのであって、それをきいただけでは「できる」ようにはなりません。「できる」ためには実技教習が絶対に必要です。単純な行動を反復するようなトレーニングや、ときには教官にがーん、とブレーキを踏まれるような体験もしたほうがいいかもしれません。いえほんとはそこまで怖くありませんけど。

 学科の部分だけきいて自分はもうできる、みたいに言っている人をみると、教官の目からみると全然できていないので、笑止千万、というかうすら怖いです。こんなで突っ走るつもりなのか、と。


****


 これもフェイスブックの方には書いた話題ですが、私は仕事柄たくさんの学びをします。このブログに再三出る話題、「短期間にたくさんの学びをして変になる人々」は私自身のことではないのか?とお叱りを受けそうですが、まあ実際そうなのかもしれません。

 私的に心がけていることは、極力学んだことを「シェア」すること。

(それは学んだことを即教えられるようになることを意味するわけではありません。何かの入門編だけ学んでわかったような気になるのは、決してその学問の奥深さをわかっていることにはなりません)


 もともと学ぶことはすきなので学ぶことは心浮き立つことではありますが、さりとて何かを学んだからといってそれで私が偉くなったわけではないのです。単に今の私には子育て中より、また現役管理職であるうちの会員様方より時間があって、学びに行こうと思えば行ける、それだけです。

 学んだらシェアする。変にシークレットブーツみたいに隠さない、あるいはご印籠みたいに「どうだ!」という形で提示しない。それにより天狗になろうとする私の心を中和する、解毒する、そういうことを心がけているように思います。

 文章化することは自分の頭の中を整理し、浮き立った自分の心を鎮めることにも役立ちます。


 以前には、「家族」もまた私にとっての解毒剤でした


 こちらの記事などは、その代表例です:
 

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51515163.html


 これに限らず、心理学系のさまざまな学びの中には、家族、とりわけ子どもの発達をみている眼には変なところが一杯あり、そうした現実を参照すればするほど、それらの学びに批判的な気持ちがわくのでした。コーチングはじめ心理学のかなり主だったところを学んでいる期間にちょうど家族と同居していたのは幸いでした。

 まただから、私がセミナーを提供する側になったときには、大人であるマネジャーたちに「現実を参照」する時間を確保してあげたい、という気持ちがどうしても湧くのです。一方的にこちらのペースでどこかへ持っていきたくはないのです。


 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp