「早い話、男はひとりよがりなのだ。ひとりよがりがひとりよがりを競るように社会をつくってきたからいつまでも問題が解決しない。
 だから日本は埒が明かないのだ。
 全部、男が悪いのだ」(p.13)


 ごめんなさいこれ私が書いたんじゃありません。高橋秀実という男性ノンフィクション作家の本、『男は邪魔!―「性差」をめぐる探究』(光文社新書、2013年4月)からの引用です。

 「男子校の女先生」みたいな仕事をしてる私がこんな恐ろしいこと書けません。
(でもしょっちゅうこれに近いことを書いてる気もする)


 このあと

「男は邪魔」
「男はゴミ、埃」
「男は役に立たない」

と、著者の妻の罵り言葉に仮託した著者自身の自虐の言葉が続きます。

 
 男性による自虐の書の体裁をとった「性差」の本。ちょっと新しいかもしれない。

 女の私が「男のプライド」とか言って小馬鹿にしてるより、男自身が「男はバカ」「男はみんなADHD」(だって本書に書いてあるんだもん)と言ったほうが可愛くてほほえましい。(ちなみに著者は東京外大のモンゴル語科卒だった。関係ないか)

 日本は世界に冠たる(恥ずかしい)男尊女卑国という笑えない現実があるのですが、それは明らかに「劣った性」である男性が、「優れた性」である女性に対するコンプレックスゆえに、何とかしてハンディをつけようと画策した結果そうなっていて、国を富ませるうえではきわめて不合理なことをやっているのかもしれない。いやこんな怨念ぽい文章はこの軽妙洒脱な本の紹介には似合いませんねきっと。


 本書では、意外な「価値の逆転」として、例えばマッチョイズムの権化のようにおもわれている宮本武蔵の『五輪書』の中に、性差別への戒めのような言葉を見出します。

「大形(おほかた)武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬるといふ道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也。死する道におゐては、武士斗(ばかり)にかぎらず、出家にても、女にても、百性已下に至る迄、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。

 武士は日頃から、潔く死ぬという道を嗜んでいるようではあるが、それは武士に限った話ではなく、僧侶も女性も百姓に至るまでみんなそれを考えて生きていると指摘している。武士の専売特許などではなく、それを何か特別なことをしていると思うのは勘違いだと武蔵は戒めていたのである」(p.37)


 宮本武蔵いいこと言うなあ。だって女の私だっていつも死ぬことを考えてるもん。


 一方で新渡戸稲造の『武士道』についての本書の評はからい。


「女性が『内助』として男に尽くすのは、男が主君に尽くすため。主君は天に尽くすのだから、結果として女は天に尽くすために男に尽くしているというのである。途中の男は尽くすとともに尽くされているが、末端の女は尽くすのみ。明らかに男に都合のよい倫理で、彼(新渡戸)は『この教訓の欠陥を知っている』としたり顔をしながら、そこにキリスト教の『高い目的への奉仕』を重ねてごまかそうとしており、言い訳としても見苦しい。」(p.42)


 世紀の名著のことを「言い訳としても見苦しい」と断罪してしまった。しかし確かにそうだ。『武士道』は敬愛する恩師の推薦書でもあるがそのあたりはシビアにいこう。私も日頃から思う、明治の偉人が女性や男女関係について書いたものはどれもちょっとずつ筋が通ってない。要するにそういう時代、文明開化といいながら奇妙な儒教的男尊女卑が支配した時代だった。本物の武士の宮本武蔵のほうが一貫した透徹した目で男性女性を眺めていたようです。


 その点明治人の例外は福澤諭吉で・・・というお話は、

「 「ロージー」、『福澤諭吉と女性』、『女大学』、気高き男性のすすめ」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51790697.html

という記事でご紹介しています。


 このあと本書には心療内科医の海原純子氏、巷のお母さん方、小学生の男の子女の子(明らかに女の子のほうが成熟度が高い)、スクールカウンセラー、フェミニストの上野千鶴子氏、感性アナリストの黒川伊保子氏といった有名無名の人が登場して男女の「性差」をそれぞれの言葉で語る。


 最後は「日本の人口を維持するためには1000人の男性で足りる」それ以外の男性は淘汰されてもしょうがない、みたいなことまで言われる。うわ〜。


 うちのNPOの会員さん方はその1000人の中に入ってますよね、きっと。日本男性のためのノアの方舟。

 
 あと、本書の後半で語られる女性による「ボーイズラブ妄想」系のお話は正田は疎かった世界なので新鮮でした。私自身は、「女の中のAS傾向の女、女のできそこない」であろうと自分のことを思っています。


 
 本書にはなかった視点で私なりの解釈を付け加えると、以前にも書きましたが日本人の場合オキシトシン受容体遺伝子のスニッブは「オキシトシン分泌の少ないタイプ」が多数を占める。このスニップは自閉症リスクも高い、ということで、「超男性脳」的な人が比較的多い。

 かつ、この遺伝子スニップよりも男性女性の性差のほうが人の親しみやすさへの影響は大きいという研究があり、これは前述の「性差はない」という知見に反するようですが、日本人の場合「男性は自閉症的だが女性は対人能力が比較的高い」という図式が明確にあり、これが男女差別とか男性の女性に対する見下し、上野千鶴子氏のいう「女性嫌悪」につながっているのかもしれない、という気がします。愛想のわるい人は愛想のいい人を見下しがちなものです。そして甘えるのです、愛想のいい人は譲ってくれますから。



 ・・・なおたまたま出張先にもってきた2冊について読書日記をかきましたが記事内容と現在進行中の業務は一切関係ありません・・・




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