周期的に人の嫌な性質についての本を読みます。

 
 こうしたことをブログにUPするのは、私自身が知識として蓄えておかなければならないのと、もうひとつは読んで蓄えたことにとらわれ過ぎてもいけないから、です。


 『図解・決定版 パーソナリティ障害を乗りこえる!正しい理解と最新知識』(市橋秀夫、日東書院、2011年3月)。

 おもに「自己愛性パーソナリティ障害(人格障害)」の項目を読みました。

 「自己愛」については去年から多数の本を読んでいますが、それでも新しい資料から新しい切り口が見つかることがあります。


 「自己愛性パーソナリティ障害」とは、本書によれば、

「いつでも自分のことばかりを考えて、周囲の人たちとうまくやっていけない人がいます。自尊心が強く、すぐに結果を求め、注意されたりけなされたりすると、激しく怒り出します。

 彼らは愛の対象が他人に向かわず、自己に留まり常に自分が他人より優越していることを確認したがります。

 (中略)

 つまり、思い描いている理想が大きく、自分の手柄を強調する傾向があります。他人からの評価に敏感で称賛されることを常に求めます。他人は自分を賞賛するために存在していると考え、誉めてくれる人とは機嫌よくつき合うことができます。

 自慢話が多く、自分の間違いやミスを認めようとしません。一方、他人に共感したり譲歩したりすることが苦手です。注意されたり、否定されることは大嫌いです。

 そして、コツコツと努力することをせず、一足飛びの成功を求めます。試験勉強などしなくてもいい点を取れるはずだと信じています。地道な作業を要求されると、言い訳をして投げ出します。」(pp.98-100)


 「自慢話が多い」は、最近のこのブログの傾向もそうなんじゃないの?とみられる向きがあるかもしれません。「承認研修良かった」というご意見を中心に掲載してますから。一応このブログは商用ブログなので、宣伝もしないといけないんです。はい。(でもアンケート類を紹介するとき必ず「今いち」的なご意見も漏らさず同時に載せるようにはしてるんですよ)


 こうした「自己愛クン」がどうして出来上がるのか、本書は子育ての過程に原因があるといいます。


「王様のような万能感が手応えのある大人に出会って修正される」

 子どもは1歳半〜3歳の間に周囲の大人は自分の言うことを何でもきいてくれる存在だという「万能感」を形成するが、もう少しすると大人や社会と出会い、ほどよい挫折を味わい、誇大した自己を修正するのだといいます。このとき「手応えのある大人」として父親の存在が重要になりますが、日本の父親は存在感が薄いといいます。

 
 子育て以外の要因としては、現代社会の「評価志向」が背景にあるといいます。

 学校の成績、偏差値、受験・進学、会社では一流企業への就職、収入・昇給、昇進・役職、社会的地位…。数字で優劣を競うムードであふれ、努力しても結果が出ないと認められない。内的価値は重視されない。その結果として、防衛本能が働き、自己愛が健全に育たなくなっているとします。そのため自己愛性パーソナリティ障害は、欧米や日本、先進国で急増しているそうです。


 治療としては、精神療法で、医師との対話を通じて病理的な対応を解きほぐし「等身大の自分」をつくっていきます。自己愛性パーソナリティ障害の人は結果を早急に求める傾向があるので、一歩一歩、地道に努力して少しずつよくなっていく、ということを理解してもらう必要があります。

 やれやれ。

 「すぐに結果を求める」
 これは私が組織や人材のことを扱っているときにとても困る症状です。すぐ結果が出るわけはない、地道に相当期間、最善と思うことをやっていくしかない。この原則をいくら話してもわからない人、というのは確かにいて、そのタイプの人が意思決定のポストにいると話がかみあいません。


 
「自己愛性人格障害」について気がつくとWEB上に包括的なページができていました。

 自己愛性人格障害ガイド

 http://jikoai.uijin.com/


 こちらによると、モラハラやパワハラの加害者も自己愛性人格障害の可能性大いにあり、だそうです。


  
 もう1冊、『サディスティックな人格』(矢幡洋、春秋社、2004年11月)こちらも、モラハラやパワハラとの関連で興味をもって読みました。


 自分の優越を確認するために、さまざまな手段で他人を痛めつけ萎縮させずにはいられない底意地の悪い人たち。

 正田は「サディズム」はナルシシズムの一形態だろうと思っていたのですが、本書の著者は、自己愛とは別個の人格障害のカテゴリーとすべきだとします。そのへんは専門家によって考えの分かれるところだろうと思います。


 本書によれば、他人を痛めつける攻撃的なタイプのサディズムもあれば、サボタージュをする人格、指示に対して「ちっ」とかふくれっ面をして従わない人たちも受動性サディスティックパーソナリティだとします。


 読めば読むほど救いがなくなってきました。




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 ところで、最近の正田はなぜ孤独なのか?というところの事情も、あまりたのしくない話ですが書いておこうと思います。
 簡単に言えば最後の子ども(息子)については、物理的に「追い出す」ということをしました。息子はその父親の許に行き、その結果現在1人暮らしになりました。

  
 恐らく人生の季節が変わったのです。子どもたちは私の保護の下を離れる時期になったのです。


 鬱の娘を5年間ケアし、その最後の1年は本人の「高校卒業」という高いハードルが存在し、かつ社会的地位の高い、自分自身は何の責任ある行動をとらない父親からの罵詈雑言を浴びながらのケアだったので、私自身こころのリハビリが必要です。


 私が無責任な人間かどうかは、神様はご存知と思います。



 そういえば「夫婦の関係が終わることを予期させるパートナーの典型的な表情」というのがあって、それはもう1方のパートナーの発言に対して目をぐるぐる回す表情だそうです。明らさまな見下し、侮蔑の表情です。見下しの感情が夫婦の関係を終わらせるのでした。恐らくなんの関係であっても傷つける役割を果たすでしょう。

 例えば両手を両脇の外側に開いて無責任な軽々しい言葉、揶揄の言葉とともに手のひらをぺろり、と外に広げる仕草などもそうだろうと思います。

 ある種のサディズムの持ち主にとって、「承認」を提唱することを仕事にしている女性を口をきわめて悪しざまに嘲り罵る、あるいは慇懃無礼なメールで痛めつけるというのは、それが相手に与えるダメージを想像するにつけ、ぞくぞくするような快感だろうと思います。そういうサディズムに目覚めてしまった人とは接触しないのが一番でしょう。

 残念ながら社会的地位の上昇したときの男性にそういう種類のこころの病はみられるようです。


 ・・・ここまで書いてこの記事の前半部を読み返すと私自身も他者からのいっさいの批判を受け付けないナルシシストなのでしょうか・・・死後の評価をまちます・・・