『おとなが育つ条件―発達心理学から考える―』(柏木恵子、岩波新書、2013年7月)を読みました。


 「中年期の発達」という概念については、正田は著書『認めるミドルが会社を変える』の中でもレビンソンの知見などを引用しながら触れています。

 とりわけ男性がある年齢、段階のとき「承認教育」に触れて大きく人間的成長を遂げるようにみえるのはなぜか?と考えるとき、この「中年期の発達」という概念が欠かせません。


 本書『おとなが育つ条件』では、大人の発達を促す環境として「仕事」「家庭(配偶者との関係・育児)」を挙げています。

 とりわけ本書は日本の大人に不足している面に焦点を当てるため、

「育児にタッチする環境にない日本のビジネスマンは家庭においてケアされる側になるばかりであり、『ケアする側になる』という体験を欠く。そのことが、人に柔軟に対応する、共感的にかかわる、幼い者弱い者に配慮するなどの大人として必須の能力を育てそこなっている」

と、指摘します。


 ―私などにはこれはごく常識的な議論にみえますが一部のビジネスパーソンの方には極論暴論に思えるかもしれません―

 ―「弱者への配慮」などというと、ある世代の人々は「あんた『左翼』か」と、ステレオタイプな二者択一の反応をしがちであります。ところがどっこい「武士道」には、「弱者への仁慈(思いやり)」という徳目があるのであり、右か左か、という以前に日本人が本来もっていた高貴な心のはたらきなのです―


 一方で一部にはイクメン、カジメンといった従来的でない家事育児を担う男子も確かに出てきているわけであります。

 イクメンが一時期ブームになったとき支持層は主に30代男子だったように思いますが体感的に、この世代の人は「承認教育」に対しても反応のよい人が多い。『認めるミドル』(2010年)のころは「40代半ば以降が承認教育適齢期」と思っていた私も、このところの会員様受講生様の中の30代男子の活躍ぶりに持論を取り下げざるを得なくなりました。

 要は、従来の「男はこうあるべき」という呪縛が強かった世代とそうでない世代があり、後者の世代はより柔軟に快適なあり方を選び、必要性を感じれば「承認」のような女性的なものを取り込んで役立てることにも抵抗が少ない、ということでしょう。


 「女性的」という言葉を使ってしまいましたが、本書はまた、高齢期には男女とも両性具有的になることを述べています。60歳以降の高齢者では男性女性ともに、男性性、女性性ともに高い「アンドロジニー型」が最多数を占め、しかもアンドロジニー型の人びとが一番自尊感情が高いのです。

 メンズで女性性が発達するというのはつまり、寛容性や共感性が育つということで、これらは定年退職後の生活に適応しやすくなる変化とも考えられますが、定年より前の現役の仕事生活の中でも、より若く未熟な人々と協働して、自分自身は実務に携わらず指示命令したり教え導いたりする立場になるとき必要な要素なので発達した、とも考えられます。

 ―おそらくそうした発達を遂げそこなった男性はパワハラ親父になることでしょう―


 ちょうどきょうのNHK「ルソンの壺」では、ある金型メーカーでの技能伝承の話をオンエアしておりました。社内に「スーパー職人」が2割ほど、この人達は手当がつく。そしてスーパー職人は次の人を指導して一人前にする責務を負うのです。1年間で一人前にしたかしないかが、スーパー職人自身の評価や給与にも関わってきます。

 
 あるスーパー職人の指導ぶりを取材したレポーターは、いみじくも

「この人は寡黙なタイプだから、教えるときは本来のこの人の外の資質も引っ張り出して教えているかんじですね」

と言っておりました。

 そう、いみじくも。
 つまりこれは、従来「男性的」な職人の世界では無理だと思われがちだった、「女性的」指導法を職人たちに課して成功した例なのでした。

 かつては「師匠と口をきいてもらえるまで1年」「機械に触らせてもらうまで3年」と言われた悠長かつ理不尽な職人育成の世界は、今や「女性的」指導によって数年に短縮され、現代っ子の成長したいスピード感にマッチしているのでした。

 指導する側の職人たちは恐らくは就職したときそんなことまで求められるとは思っていなかったことでしょう。でも、男性たちは「やればできる」のでした。


 では、従来の日本社会では何故男性たちはそうした発達を遂げなかったか?

 桑田真澄流に言うと、「軍国主義」の名残ではないか、と正田は思います。

 本来内向的で暴力を振うことを好まない日本人(中国大陸で行った残虐行為はどうか、というと集団の狂気のなせるわざで、一応今も粗暴犯は極めて少ない)を勇猛な兵士に変えるためには、軍隊を暴力に対して肯定的な集団に性格づける必要があった。なのでこれでもかというぐらい「新兵いじめ」などの暴力指導をやった。もちろん上役の不当なストレス発散の性格もあったでしょう。

 それが諸般の事情でスポーツ界にも入り、現代の体罰指導のもとになった。

 「武士道」の時代の日本人はそんなに粗暴な指導法はしていなかったのではないか、というのは私の買い被りすぎでしょうか。

 もちろん倫理的に許されないことをやって打擲とか手討ちにされるとかはあったとしても、例えば剣術や馬術の稽古でミスをしたらいきなり殴られるとかいうのはあったんでしょうか。


 ・・・と、話があっちこっち脱線してきたのでこの記事はこのへんで・・・。


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