日本総研主席研究員の藻谷浩介氏の講演をききました。神戸市男女共同参画課主催。
藻谷氏の名著『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』は、以前よのなかカフェ「人口減少社会 それでも経済成長は必要ですか?」(2010年10月)でタネ本に使ったおぼえがあります。64年生まれ、正田のいっこ下(だからどうなんだ。ついでに「半沢直樹」の池井戸潤氏は63年生まれ同い年です)。
この日の演題は『神戸経済の活性化と男女共同参画』で、徹頭徹尾公式統計データを使って畳み掛けながら「女性活用」の必要をいやでも納得させる、というものでした。はい、まったく異論はございません。
欲をいえば正田はその先の「人材育成」をする立場なので、「何が何でも女性活用」をやったその先に起きることは、というところを憂慮する立場ではあります。異論言ってるじゃないか。いえ些末なことです。
女性として藻谷氏の男女共同参画論に快哉を叫びたくなるのは、例えばこんなくだり。
(以下事務局から送っていただいたパワポ資料の丸写しです。スライド1枚分だけなので許してください)
----------------------------------------------------
障害は男の側の「人格形成不全」
・ 男女共同参画の最大の障害は、女性への侮りが染み付いた、一部男性の存在
彼らにして見れば:
・男の方が、より能力のある女性よりも地位を得やすい今までの世の中の仕組みは、ライバルが減って好都合
・「しっかりした個を確立し、集団に頼らない本当の自信を持つ」ことができていないので(人格形成不全)…
→自分が「男であること」「女ではないこと」という、個性とはいえない、大ざっぱなものに、自分自身の心の支えを頼ってしまっている
----------------------------------------------------
ほらね、日ごろこのブログに書いてあることとほとんどいっしょでしょ。でもこういうことは、女の私じゃなくて男が自分で言うから、いいんです。
男尊女卑に意地でもしがみつく日本の男のみっともなさ。
しかもそれは「高齢男性」だけにとどまらない。結構若い層の男にもおじいさんの尻馬に乗ってか、こういう人間っている。まだまだ再生産されてる。
「しがみつかない男」のほうがはるかに男らしくて、かっこいい。それは理想論として言っているわけではなく、このブログに日ごろ登場する男性たちをみているとわかっていただけるでしょう。
あと、女性活用がらみではないですが藻谷氏の議論の中で、
「高齢男性たちは、人間はばらばらいくらでも湧いてくると思っている」
というくだりが、実にわかりやすく腑に落ちるものでした。
つまり、「団塊」「団塊ジュニア」という2つの人口の山を経験してきた彼らは、人間って虫みたいにわんさか湧いてくると思ってるんです。現実は真逆で大変な先細り、あと100年とか150年で絶滅するという勢いで減り続けているというのに。
そうなんです、彼らが何故、われわれからみて極めて歩留まりの低い、間口の狭いやり方に固執するか。例えば「叱ってプライドを傷つけてくそっと思えば人は伸びる」と、「競争心」の強い人格だけを想定したやり方を正しいと思っているか。
それは「人間は無駄づかいしていい」「死屍累々の上を生き残ったものたちが踏み越えていけばいい」と思ってるからなんです。とんでもない錯覚です。しかしその錯覚というか幻想をみたままだから、彼らはいくらでも横暴になれるんです、地位と権力を持った側のエゴむきだしで。
とりわけ、今の時代で「潰される方の若い人」というのは往々にしてその世代の中でもしっかりした子たちで、上司の過剰期待、いわば甘えによって潰されている。そういう優秀な子たちを、この子育てしにくい時代に大事にしっかり育ててきたお父さんお母さんの嘆きはいかばかりか、と思うにつけ、・・・
今日は藻谷氏の論調に煽られて少しカゲキになっているかもしれない。
また面白かったのは、藻谷氏の講演の中の随所に現れる「反論封じ」。
「バカみたいな議論いっぱいありますからね」
「だから灘―東大コースの人間は」
とこきおろし揶揄しまくる。
これあたしが同じことやったら嫌な女って思われるだけだろうなあ、と思いつつ、気持ちはよくわかる。ホント、バカみたいな議論がいっぱいあるしそれを真に受ける、なまじ決定権のある視野の狭い人もいっぱいいる。
正田はここまでどぎつくやれないが、講演資料の末尾に「よくある質問」として想定される反論とそれに対する回答を書いておく、ぐらいのことはする。
はい、以前よのなかカフェの中であほらしくて反論しませんでしたが「承認は弱い人間をつくらないか?」という議論についてはちゃんと以前の講演資料の中に回答を書いてあります。それは現役マネジャーたちが否定している、というものです。私も一応高齢男性のことを面と向かってはリスペクトしますから。高齢男性が議論に入ると、だから困る。真実の探求がしにくくなって。
「これは私の意見じゃありませんから、事実ですから、統計数字ですから」
という文言も藻谷氏の講演のなかで何度もきいた。
これもよくわかる。どれだけ「成功事例」や「統計数字」を出してその場では納得したような顔をしても、何日かすると
「正田先生のご意見」
「正田先生のご主張」
などと言ってくるから。さも、「あなたの言っていることには客観性がない」と言いたげに。
・・・そしてしばらくすると、何ら成果など挙げてきていない、歌みたいなものを自己陶酔的に歌っている男性の先生が採用されているのだ。
やっぱり今日はちょっと藻谷氏にひきずられてるなあ。研修では、いつものように淡々とお話ししてるんですよ(ほんとカナ?)
同世代の人が「バカな反論」に元気に反駁しながらしゃべりまくってるのを見るのは気持ちがいい、溜飲が下がるものです。『里山資本主義』(2013年7月)も買おうっと。
*****
全然関係ない話ですが「ためしてガッテン」で「レビー小体型認知症」というのについてみました。
私の身内がそうだったかもしれない。それもかなり若い頃、中年期から。
だからといって私の少女時代、青年時代が何か変わるだろうか。
しかしこうしたことについてちょっと知識をもっているもっていないで人生の幸福度は確かに変わってくるだろうなあ。
・・・河合薫さん、その人は発達障害を疑ったほうがいいと思うよ。何の話だか。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
藻谷氏の名著『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』は、以前よのなかカフェ「人口減少社会 それでも経済成長は必要ですか?」(2010年10月)でタネ本に使ったおぼえがあります。64年生まれ、正田のいっこ下(だからどうなんだ。ついでに「半沢直樹」の池井戸潤氏は63年生まれ同い年です)。
この日の演題は『神戸経済の活性化と男女共同参画』で、徹頭徹尾公式統計データを使って畳み掛けながら「女性活用」の必要をいやでも納得させる、というものでした。はい、まったく異論はございません。
欲をいえば正田はその先の「人材育成」をする立場なので、「何が何でも女性活用」をやったその先に起きることは、というところを憂慮する立場ではあります。異論言ってるじゃないか。いえ些末なことです。
女性として藻谷氏の男女共同参画論に快哉を叫びたくなるのは、例えばこんなくだり。
(以下事務局から送っていただいたパワポ資料の丸写しです。スライド1枚分だけなので許してください)
----------------------------------------------------
障害は男の側の「人格形成不全」
・ 男女共同参画の最大の障害は、女性への侮りが染み付いた、一部男性の存在
彼らにして見れば:
・男の方が、より能力のある女性よりも地位を得やすい今までの世の中の仕組みは、ライバルが減って好都合
・「しっかりした個を確立し、集団に頼らない本当の自信を持つ」ことができていないので(人格形成不全)…
→自分が「男であること」「女ではないこと」という、個性とはいえない、大ざっぱなものに、自分自身の心の支えを頼ってしまっている
----------------------------------------------------
ほらね、日ごろこのブログに書いてあることとほとんどいっしょでしょ。でもこういうことは、女の私じゃなくて男が自分で言うから、いいんです。
男尊女卑に意地でもしがみつく日本の男のみっともなさ。
しかもそれは「高齢男性」だけにとどまらない。結構若い層の男にもおじいさんの尻馬に乗ってか、こういう人間っている。まだまだ再生産されてる。
「しがみつかない男」のほうがはるかに男らしくて、かっこいい。それは理想論として言っているわけではなく、このブログに日ごろ登場する男性たちをみているとわかっていただけるでしょう。
あと、女性活用がらみではないですが藻谷氏の議論の中で、
「高齢男性たちは、人間はばらばらいくらでも湧いてくると思っている」
というくだりが、実にわかりやすく腑に落ちるものでした。
つまり、「団塊」「団塊ジュニア」という2つの人口の山を経験してきた彼らは、人間って虫みたいにわんさか湧いてくると思ってるんです。現実は真逆で大変な先細り、あと100年とか150年で絶滅するという勢いで減り続けているというのに。
そうなんです、彼らが何故、われわれからみて極めて歩留まりの低い、間口の狭いやり方に固執するか。例えば「叱ってプライドを傷つけてくそっと思えば人は伸びる」と、「競争心」の強い人格だけを想定したやり方を正しいと思っているか。
それは「人間は無駄づかいしていい」「死屍累々の上を生き残ったものたちが踏み越えていけばいい」と思ってるからなんです。とんでもない錯覚です。しかしその錯覚というか幻想をみたままだから、彼らはいくらでも横暴になれるんです、地位と権力を持った側のエゴむきだしで。
とりわけ、今の時代で「潰される方の若い人」というのは往々にしてその世代の中でもしっかりした子たちで、上司の過剰期待、いわば甘えによって潰されている。そういう優秀な子たちを、この子育てしにくい時代に大事にしっかり育ててきたお父さんお母さんの嘆きはいかばかりか、と思うにつけ、・・・
今日は藻谷氏の論調に煽られて少しカゲキになっているかもしれない。
また面白かったのは、藻谷氏の講演の中の随所に現れる「反論封じ」。
「バカみたいな議論いっぱいありますからね」
「だから灘―東大コースの人間は」
とこきおろし揶揄しまくる。
これあたしが同じことやったら嫌な女って思われるだけだろうなあ、と思いつつ、気持ちはよくわかる。ホント、バカみたいな議論がいっぱいあるしそれを真に受ける、なまじ決定権のある視野の狭い人もいっぱいいる。
正田はここまでどぎつくやれないが、講演資料の末尾に「よくある質問」として想定される反論とそれに対する回答を書いておく、ぐらいのことはする。
はい、以前よのなかカフェの中であほらしくて反論しませんでしたが「承認は弱い人間をつくらないか?」という議論についてはちゃんと以前の講演資料の中に回答を書いてあります。それは現役マネジャーたちが否定している、というものです。私も一応高齢男性のことを面と向かってはリスペクトしますから。高齢男性が議論に入ると、だから困る。真実の探求がしにくくなって。
「これは私の意見じゃありませんから、事実ですから、統計数字ですから」
という文言も藻谷氏の講演のなかで何度もきいた。
これもよくわかる。どれだけ「成功事例」や「統計数字」を出してその場では納得したような顔をしても、何日かすると
「正田先生のご意見」
「正田先生のご主張」
などと言ってくるから。さも、「あなたの言っていることには客観性がない」と言いたげに。
・・・そしてしばらくすると、何ら成果など挙げてきていない、歌みたいなものを自己陶酔的に歌っている男性の先生が採用されているのだ。
やっぱり今日はちょっと藻谷氏にひきずられてるなあ。研修では、いつものように淡々とお話ししてるんですよ(ほんとカナ?)
同世代の人が「バカな反論」に元気に反駁しながらしゃべりまくってるのを見るのは気持ちがいい、溜飲が下がるものです。『里山資本主義』(2013年7月)も買おうっと。
*****
全然関係ない話ですが「ためしてガッテン」で「レビー小体型認知症」というのについてみました。
私の身内がそうだったかもしれない。それもかなり若い頃、中年期から。
だからといって私の少女時代、青年時代が何か変わるだろうか。
しかしこうしたことについてちょっと知識をもっているもっていないで人生の幸福度は確かに変わってくるだろうなあ。
・・・河合薫さん、その人は発達障害を疑ったほうがいいと思うよ。何の話だか。
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
コメント