※この記事は「他社批判」が入っています。自社の業務遂行上必要性を感じてのことですのでご理解いただくようお願いします。


 このところ悩まされるのが、承認研修を行ったとき受講生様に起こる、「ほめる研修」との混同である。

 「承認」と「ほめる」、私はふだん「含む、含まれるの関係」と説明しているが、それだけでもない。あえて「承認」あるいは「認める」という行為の名で伝えるのは理由がある。


 個人的には、「ほめる研修」をどこかで受けてきた人が「おきれいですね」などという言葉を発してくると、実際よくあるのだが―くれぐれも、自慢していると受け取らないでほしい、先方はお世辞半分という場合も大いにあるし―礼儀上「はあ、いえ、ありがとうございます」と頭を下げているけれど内心はらわた煮えくり返っている。極端な話、絞め殺したいぐらいに思っている。(あたしをお顔だけの人間だって言いたいのかよ)(仕事はできないって言いたいのかよ)とまで、本気で思っている。(「C」の人間はそれぐらい心に毒を持っているのだ、女も。)


 それはさておき、以前にもこのブログで書いたが「ほめる研修」の影響だろうか、今多くの職場で起きているようなのだ。「やたら褒めてくる上司」への嫌悪と不信の念が。


「会議でちょっと発言しただけで上司が『すばらしい』って褒めちぎる、もう手の内はわかっていて何も感じない」

 ―それ、もう発言するのが嫌になっちゃうんじゃないだろうか。

 
 私は巷で流行っている「ほめる研修」について受講した人からの又聞きしかないのだけれど、随分強引な言い回しをしているらしい。

「自分についてほめる言葉が30個見つからない人は人格がおかしい、問題がある」

みたいな。見つからないよ、そんなの。

 そして「3S」といって「すごい」「さすが」とあと何かを常に言うよう勧めるらしい。

 いやだ、そんな見えすいた上司。


 あと数年前にTVで断片的に研修風景をみたことがあって、

「随分『上から口調』でやる研修だなあ。講師によるモデリングは考えてないのだろうか」

とこのブログでコメントしたことがある。


 色々総合するに、「ほめる研修」は、「極論だからおもしろい」という類のものなのではないかと思う。

 例えば1960年代ごろにTVが普及し、吉本新喜劇の放映がはじまり、そこでは河内弁系統の汚い大阪弁で罵ったり、どついたりするのが受けた。それは現実にはあり得ない品のないやりとりだから、めずらしいから受けた。しかし知らず知らずのうちにそれが大阪の本来の会話方法であるかのように認知されてしまった。


 通常、リーダーは「上から口調」の研修を受けると、まともな神経の人ならむっとする。
(人事の人あたりはそのことがわからないらしく際限なく「上から口調」の研修をお買いものするが。上から口調で言う人はエライと刷り込まれているらしい)
 むっとするような口調で、「ほめる」ということを強要されたとき、どうなるか。それは言っている内容と言い方がねじれ状態である。結果的に「心の入らない、憎しみや嫌悪、侮蔑のまじった『ほめ』」が出来上がるのではないかと思う。


 だから、「ほめる研修」を受けてきた人は、私が「承認研修」をやっているのを知ると、

「えー、でも私が『すごーい』なんて言ったら不自然じゃないですか」

などと反応してくる。

 私は「すごーい」なんていう軽々しい言葉を承認だなんて思っていないし言っていない(余程文脈依存でそれがふさわしい場面なら構わないと思うが)のだが、それは「ほめる研修受講後」の人にはいくら言っても伝わらない。

 そういう人達にとっては、「ほめる研修」も「承認研修」も、「なんかよくわからない、いけ好かない『あっち側』のもの」なのである。


 申し訳ないが私が思うに、「ほめる研修」さんは当協会が昨年初めから警鐘を鳴らしている「ナルシシズム」の文脈のほうに位置づけられるように思う。

 アメリカ商業主義が、例えば60年代ごろからコカコーラ、マクドナルド、ナビスコその他大企業が糖と脂肪分の塊のようなものをじゃがいもやとうもろこしと組み合わせて大量生産しマーケティングした、その結果肥満を増やした。人の身体は飢餓状態に備えてあればあるほど食べるし、とりわけ糖と脂肪を含んだ食品は依存性がある。そうした身体にわるいことが目に見えているものを、商業主義でこれでもかと売った。

 それと同様「精神の肥満」がナルシシズムである。セレブ礼賛やファッション、「自分を愛しなさい」というメッセージ。「自分を愛さないと他人を愛せない」という脅し文句のようなものもある(良心的な心理学者はこのフレーズを否定する)。こうしたものも誰かが儲かるようで、人類の許容範囲を超えて売られ、その結果アメリカでは16人に1人が「自己愛性人格障害」となった(NIH調べ)。そうした「ナルシ量産」の商品の1つが、「ほめる研修」「ほめる教育」らしい。向こうのコンサルタントさんも盛んに企業に売りつけるらしい。

 だから、こちらが「承認」という言葉を慎重に使っているのに「ほめる」という言葉で返してくる人には、私はじりっ、と後ずさってしまう。
 しかし「ほめる研修」さんは繰り返しメディアに取り上げられ有名なので(あと「検定」なんかもやってるんだっけ)最近は地方支部もあるらしい。あーあ。


 
 当協会方式では「承認」そのなかでも「行動承認」を重んじてセミナー中にも実習するし宿題にも出す。これは、1つには「行動承認」に徹するかぎりナルシを誘発することはない、とわかっているからである。自分が行動したことを正確にみてもらい認めてもらう。行動しなければ認めてもらえない。そういう環境に置かれれば人はいやでも行動するようになり、また行動によって自己評価を高めることができるようになる。自分の行動量に応じて、実像通りに自信をもつことができるのである。

 ナルシシズムに関する名著『自己愛過剰社会』でも、ナルシシズムの解毒剤として「コーチの行うほめ方」を勧めている。
 「よくやった」「よく頑張ったな」失敗したときには「何が悪かったんだろう?」
 ―要は、シンプルに「行動に即して声がけする」ことを心がけるべきなのである。

 そして、このルールで場全体をそろえてしまうと、場の空気が見違えるようによくなる。それはやってみればわかる。

 職場でもし「おきれいですね」「そのお召し物素敵ですね」のたぐいのことを上司が言っていたらどうなるか。当然美人へのえこひいきになるし女性社員は競って華美な服を着るようになる。


 ああ面倒くさい。こういうことまで説明しないといけないのが。

 今のところ介護福祉職さんで研修していると、この「ほめる研修」の嫌な匂いを感じない。有難いことに、この業界にはまだ入っていないのでしょう。製造業にも入らないでほしいな〜。人事の人がバカだと、入ってしまうかもしれない。

 
 
 「承認」は、きちんとやり込めば伝統的なマネジメントの世界の「四字熟語」にも通じる。それは変な馴れ合いの会話ではない、武士道的なすがすがしいものである。もちろん人のこころが安定し、業績も飛躍的に伸びる。ただ、「ほめる研修」受講後の人には心に取り返しのつかない壁ができるようであり、いくら話しても沁みこまない。研修をしていてもその「嫌な匂い」を感じる。

 どうかこれから行う研修でバッティングしないように、と願っている。


 正田は「HS(hyper sensitive、神経過敏体質)」で損をしているのは間違いない。でも「これは違う」と敏感に嗅ぎ分け切り分けることを10年間繰り返してきたからこその、受講生様方のコンスタントな業績向上現象なのだろうと思う。


 このほか「毒正田」シリーズの記事は、例えばこちら

「『上から目線』を喜ぶ人々―コーチングネガティブキャンペーンへの反論」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51859011.html



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp