『しらずしらず―あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』(レナード・ムロディナウ、ダイヤモンド社、2013年12月)を読みました。


 「無意識/潜在意識」(サブリミナル)という言葉は、心理学系の研修機関によっては好んで使われ、「錦の御旗」のようにもなっています。

 当協会では、あまりスピリチュアルの匂いのするもの、恣意的に読者・受講生様を惑わすおそれのあるものは極力避ける主義なのですが、本書は無意識を「科学する」として、最新のfMRIなど神経科学の知見をこれでもかと畳み掛けながら展開します。

 当ブログで「ヒューリスティック」として紹介してきた認知科学と同系統の、秩序だった思考法の本としてご紹介したいと思います。


 いつもの伝で印象に残ったところを抜書きしますと―。

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●人間の行動は、意識と無意識両方のレベルで途切れることなく連なる、知覚、感情、思考の産物であり、私たちは自分の大半の行動の原因に気づいていない。「無意識」の研究はフロイトに始まったが、その後の心理学では超自然的なものとして避けられてきた。現代心理学の見方によれば、無意識の精神プロセスは、防御機構や病的な症状ではなく、脳の構造のせいで意識ではうかがい知ることのできない心の部分が存在するからであり正常なことである。

●無意識がなぜ存在するか。自然は、わたしたちが物理世界と社会的世界の両方で滞りなく行動できるよう、知覚、記憶、注意、学習、判断のプロセスの多くを、意識的な認識の外側にある脳の構造に肩代わりさせているのだ。

●スミスさんはスミスさんと結婚する。アメリカ南東部の3つの州でどういう名前の人がどういう名前の人と結婚したかを調べたところ、スミスさんの結婚相手は、ジョンソンさん、ウィリアムさん、ジョーンズさん、ブラウンさんよりも、スミスさんのほうが3から5倍多い。人は自分自身に満足したいという基本的欲求を持っており、そのため、たとえ名字のような無意味そうな特性であっても、自分に似た特性を無意識に好む傾向があるということだ。さらにその好みを仲立ちしているのは「背側線条体」という脳の一領域である。

●ポップコーンを食べる量により大きな影響を与えるのは、ポップコーンの味とサイズのどちらだろうか。実験の結果は、味と同程度に容器の大きさに基づいて「決めた」ようだ。

●レストランのメニューに「しゃきしゃきのキュウリ」「滑らかなマッシュポテト」といった華やかな修飾語がついていると、その料理を注文しようという気が起こる。またその料理を、一般的な説明しかくわえられていないまったく同じ料理よりもおいしいと評価するようになる。

●フォントの読みやすさが好感度を左右する(流暢さ効果)。料理のレシピを書体を変えて渡すと、読みにくい書体で書かれたレシピを渡されたほうが、つくるのが難しいと評価し、つくりたいと答える割合も低かった。

●人は無関係な要素から強い影響を受け、それらの要素は、従来の経済学者が無視している無意識の欲求や動機に訴えかける。青と黄色の箱に入っている洗剤のほうを無地の箱の洗剤より高く評価し、好きな匂いのするシルクのストッキングの品質を高く評価する。被験者に意思決定の理由を聞いてみると、それらの要素が自分に影響を与えたことにはまったく気づいていなかった。

●ペプシパラドックス。ブラインドテストではつねにペプシが勝つが、何を飲んでいるかわかっている場合にはコカ・コーラのほうが好まれる。脳スキャンにより、「腹内側前頭葉皮質(VMPC)」と呼ばれる脳の一領域が、なじみのブランドの商品をじっと見たときに経験する、漠然とした好意的な感情の場であるとわかった。

(あとでも出てきますがこのVMPCという部位は性的偏見にも関係する部位のようです)


●流暢さ効果の続き。投資の世界でも、投資家は確かに、複雑な名前や略称の企業よりも、名前や銘柄の略称を発音しやすい企業の新規公開株のほうに投資しやすいことが明らかとなった。

●天気がチップに影響を与える。客は、外が天気のときには明らかに気前がよかった。

●天気と株式市場。統計によれば、年間を通じて快晴だと仮定すると、ニューヨーク証券取引所の市価利益は平均24.8%となり、完全な曇天だと仮定すると平均わずか8.7%となる。


●無意識の研究のはしり。イギリス人生理学者で心理学者のウィリアム・カーペンターは1874年の著書『精神生理学の諸原理』で書いている。「精神活動においては、一つは意識的、もう一つは無意識的という二本の別々の列車が同時に走っている」

●意識と無意識の二層のシステムのなかでより基本的なのは無意識の層のほうであることが、十分に明らかになっている。それは進化の早い時点で発達したもので、基本的に必要な機能や生存に関係しており、外界を関知して安全に反応する。無意識の層はすべての脊椎動物の脳が持つ標準的な基本構造だが、それに対して意識は、必ずしも不可欠ではない特徴とみなすことができる。人間以外のほとんどの動物種は、意識による象徴的な思考の能力を、ほとんど、あるいはまったく持っていなくても生き延びることができるし、実際に生き延びているが、それに対して無意識を持たない動物は存在しえない。

●人間生理学の教科書によれば、人間の感覚系は脳に毎秒およそ1100万ビットの情報を伝えているという。しかし人間が扱うことのできる実際の情報量は、毎秒16から50ビットと見積もられている。したがって、入ってくる情報をすべて意識的な心に処理させようとしたら、あなたの脳はフリーズしてしまうだろう。

●「盲視」。盲目になった人に怒った顔と喜んだ顔をみせてどちらか言い当ててもらうと3回中2回近い割合で言い当てた。また同じ人に障害物のある廊下を歩いてもらったところ障害物をよけながらジグザグに転ばずに歩いた。

●視覚の無意識。盲点、サッカード、弱い周辺視力。視覚の欠陥を補うために、目は1秒当たり何回かごくわずかに向きを変えている。その小刻みな運動を「マイクロサッカード」という。

●聴覚も聴こえなかった音を補う。「音素修復」という。

●記憶の歪曲。犯罪被害者や目撃者は面通しの場で、ともかく犯罪の記憶にもっともよく合致する人物を選ぶ。ウォーターゲート事件ではニクソンの法律顧問ディーンが記憶を歪曲した。

●人間の記憶は再構成されてゆがめられやすい。ミュンスターバーグによると、第一に、人間は出来事の一般的な要点はよく記憶できるが、詳細はうまく記憶できない。第二に、正確に話そうと誠実に対応する善意的な人間でさえ、憶えていない細部を問い詰められると、うっかりでっち上げて記憶の欠落を埋め合わせてしまう。そして第三に、人間は自分がでっち上げた記憶を信じてしまう。

●記憶をふるい分けられない人物は、ロシアのソロモン・シェレシェヴスキー。完璧な記憶をもつ一方細かな事柄が理解の妨げとなった。顔を総合して覚えることができなかった。また話しかけると正確に復唱することはできたが、要点を理解するのは容易でなかった。

●言語学者によれば、言語構造には「表層構造」と「深層構造」の2種類がある。表層構造は、考えたことを表現する具体的な方法、たとえば使う単語やその順序などを指し、深層構造は、考えた事柄の要点を指す。ほとんどの人は、入り乱れる言葉に翻弄されるという問題を避けるために、要点は保持したまま、細部は進んで破棄する。その結果、深層構造、つまり言われたことの意味は長期間保持できるが、表層構造、つまり発せられた単語は、わずか8から10秒のあいだしか正確には記憶できない。

●記憶は失われていくとともに、同時に付け加えられていく。もともと効かされた物語が薄れていくとともに、新たな記憶のデータがでっち上げられ、その「でっち上げ」はある一般原理に従って進められていく。全体的な枠組みは維持されるが、細部は脱落したり変化したりする。そして、物語は短く単純なものに変わっていく。いわば「なめらかになる」。

●「変化盲」。キャンパスの地図を持った調査員が通行人に近くの建物への生き方を尋ねる。10-15秒会話したところで、別の2人の男が大きな扉のそれぞれ端をかつぎながら彼らのあいだを横切る。扉が横切る1秒の間にまったく同じ地図をもった新たな調査員が入ってきて道を尋ねる会話を続ける。最初の調査員は扉に隠れたまま立ち去る。通行人にとっては会話の相手が突如として別の人物に変身してしまったことになるが、ほとんどの通行人は気づかず、すり替わったことを聞かされると驚く。

●過誤記憶。起こっていない出来事の記憶を植えつけることができる。はるか昔に起こったとする出来事の記憶は、とくに簡単に植えつけられる。子どもの頃、熱気球に乗ることを夢見ていた人には、何の代償も払わずに、また実際に経験させることもなしに、実際にその記憶を植えつけられる。ディズニーランドに行ったことがある被験者にバッグス・バニーに関する偽広告を読ませると、それを体験したと思い込んだ。

●常日頃から子どもをたくさん抱きしめてキスをしても、そうした場面のほとんどが子どもの心に残らない。子どもは忘れてしまうものだ。しかし私に抱きしめられてキスされた記憶は、跡形もなく消えてしまうわけではない。優しい気持ちや感情的な絆として、少なくとも一体となって残るのだ。

(これは、上司から承認されてもその記憶が残らない部下、ということにも当てはまりますね)

●電気ショックで苦痛を与えると予告された人は、不安のために63%がほかの人と一緒に待ちたがった。くすぐったいピリピリする刺激を予告された人でそうしたのはわずか33%だった。

●心の痛みを鎮痛剤が抑制する。強力なタイレノール(アセトアミノフェン)を服用した被験者は、チームメートに無視されている最中に脳をスキャンすると、社会的疎外に関連した脳の領域の活性が抑えられていた。

●社会的ネットワーク指数は、親密な社会的交流を定期的に持っていると高い値になる。9年間にわたり、指数が低かった人たちの死亡率は、ほかの要因に関しては同様だが社会的ネットワーク指数が高かった人たちの2倍にもなった。

●人間をほかの動物と分け隔てている一番の特性は「社会的なIQ」―すなわち、「心の理論」(Theory of Mind)。この能力は、他人の過去の行動を理解し、現在または未来の状況に基づいてその人が今後どのような行動を取るかを予測するという、驚くべき力を与えている。


(正田注:当協会方式の「行動承認」は、いわば「心の理論」の能力を極限まで高めるトレーニングであるかもしれない)


●人間の子どもはほぼすべて、4歳までに、他人の精神状態を見極める能力を獲得するが、自閉症などでToMが損なわれると、社会のなかでうまく役割を果たせなくなる。

●人間以外のほとんどの哺乳類に関してもっとも興味深い点の1つが「脳が小さい」ということだ。人間では意識的思考を担っている脳の部位が、人間以外の哺乳類では、無意識のプロセスに関わる脳の部位に比べて相対的に小さい。

●「作り笑い」はバレる。たとえ笑顔を分析する訓練を受けていない人でも、同じ人がつくる本当の笑顔と偽の笑顔を区別できるような、優れた直感を持っている。

●霊長類における上位の個体は、胸を打ち鳴らしたり声などのシグナルを使ったりして、自分が高い階級にあることを示す。

●人間社会でも、視線方向と凝視は優越性を示す重要なシグナルである。

●ステレオタイプ(固定観念)(これは過去のヒューリスティックの記事によく出てくる)

●「潜在的連合テスト(IAT)」。指示した二通りの分類方法における反応速度の違いを調べることで、その人がある社会的カテゴリーとさまざまな特性をどの程度強く関連付けているかを探ることができる。ほとんどの人は、女性と芸術、男性と科学を強く関連づける。また黒人でさえ多くの人が、このIATテストで、無意識に白をよいものとみなす傾向を示した。

●他人に対して下す評価は「腹内側前頭葉皮質(VMPC)」のなかで進められる一種の感情統制プロセスに大きく左右されている。ここが損傷を受けると、性差に関する無意識の固定観念が失われることがわかっている。

(1つ前の記事の「出向組氏」などは、この部位が普通より大きいタイプの人なのかもしれない。一方で承認トレーニングをきちんとやった人だと性差に関する固定観念はかなり薄まるのだが、この部位自体はどうなっているのだろうか)

(気持ちとしては、すべての管理職にこのIATテストを受けて、その反応速度の違いを数値で表し、自分の性的偏見を自覚してもらいたい。自覚してない人だと話していてもほんと迷惑)

●分類自体はわるいものではなく、そのおかげでわたしたちは、バスの運転手と乗客、店員と買い物客、受付係と医者、給仕長とウエイターなど初対面の人をすべて区別することができる。重要なのは、分類という行為をどうやってやめるかではなく、分類をすることで一人ひとりの本当の姿をとらえられなくなっていることにいかに気づけるかだ。

●意識的な目的を持つことで、他人を分類しがちな傾向を抑えられることが証明されている。そのため誰であれ、自分のなかの無意識の偏見と闘うことができる。自分の偏見に気づき、それを克服しようという気があれば、実際に克服できるのだ。

(へー、克服していただきたいですねぇ。わたしの住む兵庫は全国でも指折りの性差別県、また神戸は政令指定都市で最も専業主婦の多い、女性がはたらかないまちです。自分では気づかないがどぎついステレオタイプを持っているのです)

●無意識の偏見を克服したいなら努力が必要だ。判断しようとしている相手についてより詳しく知ることだ。あるカテゴリーに属している具体的な人物の個人的な事柄を知れば、カテゴリーによる偏見を簡単に克服できる。だがさらに重要なこととして、その相手と時間をかけて何度も接すれば、社会がそのカテゴリーの人たちに当てはめている否定的な特性を打ち消すための手段になる。

(差別をやめようと思えば差別している相手と頻繁に接触することですね。でも差別されるこちら側としては、自分を差別する相手はストレスフルなので接触したくないですね)


●内集団と外集団。人間は自分が属しているグループのメンバーと、属していないグループのメンバーを違うふうに考え、しかもグループに基づいて差別しようと意識的に思っているかどうかにかかわらず、機械的にそのような行動を取ってしまう。


●集団規範。ひとたび自分があるグループに属していると考えると、そのグループに属する他の人のものの見方が自分の考え方にも染み込んで、世のなかに対する認識のしかたに影響を与える。

●わたしたちのサブリミナルな自己には、内集団のメンバーのほうをより好きになる傾向がある。多くの職業の被験者は、自分と違う職業の人を好感度50前後の平均値で評価したのに対し、自分と同じ職業の人は70前後ときわめて高く評価した。

●自分がどの内集団に属すると考えるかは、自分自身に対する感じ方、自分の振る舞い方、そして自分の能力にさえも影響を与える。女性に数学のテストをしたとき、自分のことをアジア系アメリカ人として考えるよう仕向けられた女性は、対照群よりも成績がよく、逆に自分が女性という内集団に属していることを気づかされた女性は、対照群よりも成績が悪かった。

●対立する2グループがあるとき、両グループに共通の目的を与え、グループどうしで協力して行動しなければならない状況になると、グループ間の衝突が突如として減る。人種、民族、階級、性別、宗教といった昔ながらの内集団に関して、それぞれ異なる人たちでも、一緒に取り組めば好都合であることに気づきさえすれば、互いの差別は減る。

●ウィリアム・ジェームズは感情の生理学的根拠を提唱した。人間は怒るから身震いしたり悲しいから泣いたりするのではなく、身震いするから怒っていることに気づき、泣くから悲しいと感じる。

●わたしたちのサブリミナルな脳は、自分の身体的状態に関する情報と、社会的および感情的状況に基づくそれ以外のデータを組み合わせることで、自分が何を感じているかを判断する。薬で脈拍を上げた被験者は一緒にいる人の感情を経験し、幸福だと感じたり怒りを感じた。


●決断の理由はいつも後づけ。パーティーで素敵なひとときを過ごしたあなたは、何がよかったのですかと問われ、「居合わせた人たちがよかった」と答える。しかし本当のところ、あなたのその至福の気分は、ある女性との楽しい会話から出てきたものではないのか?あるいはもっと微妙な、ハープの素晴らしい演奏、部屋に漂う薔薇の匂い、高価なシャンパンだったのではないか?自分の感情や行動に対する説明を考え出すとき、脳は心のなかにある文化的規範を収めたデータベースを検索してもっともらしいものを選ぶ。

(このくだりは私もよく思い当たる。どんなに自分として最善を尽くしたセミナーの類をしても、良かったと感想を述べる人は「参加者が良かった」という(苦笑))


●人の採用の判断の根拠は何か。ひょっとしたらあなたはその人を選り好みし、無意識の心が後づけで社会的規範を使い説明を加えたのかもしれない。

(まあ、ふつうの人材育成担当者は女性でリーダー教育をする人を選ばないですね残念ながら)


●人は、自分自身に対して抱くよい感情が脅かされればされるほど、歪んだレンズを通して現実を見る傾向が強くなる。犯罪者が自分を「社会に貢献する者」だと語り、アル・カポネは「私は不当な扱いを受けている」と語った。


●人の自我は自分の面目を保つために激しく戦っている。自分はキリストだと信じている3人の患者を一緒に生活させたところ、1人は信念を捨て、2人目はほかの2人は精神を病んでいるが自分はそうではないと考え、3人目は問題を完全にはぐらかした。つまり3人中2人は、現実と矛盾する自己像に何とかしがみついた。

(なんか身につまされるなあ。やだやだ)


●自己像を描くやり方には2つある。科学者の方法と弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し、観察結果を説明できる理論をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論からスタートし、それを裏付ける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けようとする。これら2つの方法論が競い合うことによって、わたしたちの世界観は形づくられているのだ。

●結局のところ脳は、科学者としてはそこそこだが、弁護士としてはとてつもなく秀でている。

●科学の分野でも人々は信じたいものを信じる。ビッグバン理論をどうしても受け入れない科学者たちがいた。アメリカでは半数以上の人が、地球温暖化の科学にはいまだ結論が出ていないと思い込んでいる。偽の研究報告書をみた学生たちは、自分の事前の意見を裏付けるデータのほうを、方法論的に理にかなっていて提示のしかたも明快であると評価した。

●多くの医師は企業からもてなしや贈り物を受けると、明らかに患者の治療方針にサブリミナルな影響がある。製薬業界と金銭的なつながりのある医学研究者は、利害関係のない検査官に比べ、スポンサーの医薬品に有利となる知見を報告し、不利となる知見を報告しない傾向がある。

●人間の無意識がもっとも本領を発揮するのは、自己に対する前向きで好ましい感覚、つまり、権力がはびこる世界のなかで、自分はただの人間よりもはるかに大きな能力と統制力を持っているのだという感覚を抱かせてくれたときだ。

(ポジティブ心理学でいう「ポジティビティ」でしょうか・・・、わたしを取り巻く状況にかんがみても、好きなフレーズであります。わたしは極力まっとうであり続けます、受講生様方や支援者の方とともに。)

●動機づけられた推論のおかげで、わたしたちの心は不幸から自分の身を守ることができ、それとともに、本来なら圧倒されかねない、人生で直面するいくつもの障害を克服する力を手にする。研究によれば、きわめて正確な自己像をもっている人は、軽度の鬱に陥っているか、自己評価の低さに悩んでいるか、またはその両方であることが多い。それに対して、過度に前向きな自己評価をしている人は、正常で健康であるという。

(やれやれ、ある程度「ナルシ」なほうが健康ということですね。このところ悩んでいるのが、リーダー教育という仕事の性質上、ある程度ナルシにならざるを得ないのだろうか、ということです。謙虚で正確な自己像をもっていたいとは思いますが、いっぽうで仕事では情熱の塊のようになる場面もあり。そういうときは、非常にみずから「しょって」いるときでもあります。普通の仕事をしている人からみたらクレージーだろうと思います)


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 本書の著者は「800編以上の学術研究論文」を読んだとのことで、内容はこれまでの「ヒューリスティック」本との重複も多いですがこれまでで一番網羅的な本といえるでしょう。

 サブリミナルという語はわたしの世代だと映画「エクソシスト」の途中で悪魔の映像を挟んでホラー効果を狙ったとかジュースだかポップコーンの映像を挟んだら休憩時間にそれを買いたくなったとか、割とマーケティングの操作のような分野で馴染んだのでした。

 その分、いかがわしいというか悪意の匂いがするというか、あまり好きになれなかった分野ですがこれだけこれでもかと研究の歴史から最新の知見を詰め込んでくれると、ちゃんと科学として認めてあげたくなります。

 
 今、この記事執筆と並行して研修効果をみるアンケートを回収しています。

 おおむね上司は効果あったと評価し部下は一部を除きなかったと評価しています。

 これをどうとらえるか、ですが、私はこういう場合上司の言い分のほうを信じるほうです。

 というのは、「承認」をちゃんと気持ちだけでなく行動ベースで行っている、という前提のもとでは、部下は「無意識に」モチベーションが上がり、それは仕事のスピード感のような形で反映されるのですが本人は気づきにくいからです。本書でも自分の決定の本当の理由がわからなかった、という話がありますが、「承認」は決して怪しげなものではないですがこれを行うと相手の行動が増える。行動が増えた側はなぜ増えたかわからない、上司が行った承認との関連がわからない、ということは大いにあり得ます。

 部下の行動変化は上司の観察によるほうがあてになる。これは一応10年教えてきたわたしの確信です。これが本書でいう「信じたいものを信じる」でないことを信じたいものです。

 ミドルたち自身の言葉としては、以前(2011年4月)当協会元会員の永井博之さん(柏原さんの元上司)が、事例セミナーの質疑応答の中で、
「部長の私から見て明らかに育成上手の課長のもとで成長したと思える営業マンも、本人は『仕事が私を作った』と答える」
と述べていました。

 かつ、今回できなかったいつもの「統計調査」ですが、あれでやると承認をした上司のもとでは部下の指数がちゃんと上がります。(しなかった上司のもとでは上がりません)それは恐らく部下自身には自覚のないものであっても、自然と「前回と比べてスピードが上がった」「ミスが減った」などの設問につける丸の位置が、ポイントアップのほうに動いていて、こういうのは記述式のアンケートではみられない無意識の変動です。
 (だから、研修効果をちゃんと測りたいときにはやっぱり統計調査が一番ですネ)

 わたしはこういうアンケートに答える側の部下の立場になったことはないのですが、「上司が承認してくれたから自分が仕事でよい行動をするようになったとか成長した」と意識レベルで認めるのは、自分の自尊心にかかわることだろうな、とおもいます。

 まあ、それはこちらの話題です。


 1つ前の記事もサブリミナルが話題でした。

 やっぱり今回の読書日記にもあるように、自分は区別をしているということを自覚し、かつ個々の人について男か女か、みたいな大枠の区分ではなくより良く知ろうと努力することによって差別を減らすことが、やはりこれからの大人のたしなみでしょう。グローバル経営でも結局一緒のことで、だからどっちが大事だなんて言うだけあほらしいのです。

 ・・・ていうか、この記事の主題と全然関係ないけどあたし東京外大の出身だし恩師は国際教養大の創始者だし、「グローバル」っていうのそういえばDNAレベルで持ってた。ごめん。だから威張られてもぴんとこないの、「グローバル」とかって。バカなおじさんって、すぐ下らないことで威張るから、いや。正田が中国語ペラッペラだってことも、しらないでしょ。

 こういうことも書いておかないと今後もよそで不毛な会話が繰り返されるからな。


 「判断をゆがめるものとの闘い」シリーズを読んでくださっている会員様、受講生様は、ぜひ自分の脳を誤らせるものの知識に親しみ、ブレの少ない正しい判断をする人になってくださいね。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp