18日午後、猪名川町文化体育館(イナホール)に、「第2回青少年フォーラム INAGAWAスマホサミット」を聴きに行きました。

 同町町長、町議会議長はもとより、県議数名、それに総務省近畿総合通信局電気通信事業課課長、兵庫県警本部サイバー犯罪対策課、同少年育成課などから来賓が来られ物々しい雰囲気です。
 
 たまたまフェイスブックでイベント告知を見つけて神戸から車を飛ばして参加したのですが、なぜ猪名川町なのだろう、同種のものをまだ見たことはないのは何故だろう。と疑問をいだきながら。

 
 開会時の主催者あいさつで、同町青少年健全育成推進会議会長の太田はるよ氏が、子どもたちがネットいじめに遭ったり、大きな課金、FBやLINEで傷つけられたりするという現状に触れながら、

「こういった環境を作り出したのは私たち大人の責任。子供には罪はない。猪名川町をスタートとして、どこの市でもこういうことができるんだよという見本として見てもらいたい」

と述べたのが、その疑問への答えの部分であったかもしれません。猪名川町の人びとの勇気ある現状認識と問題提起の産物であったかもしれません。こうした主催者あいさつで話すのが女の人であっても、ゆめゆめ侮ってはいけない時代です。


 午後1時から4時までのフォーラムは、中高生によるパネルディスカッションでの子どもたちの生の声、また中高生によるグループワーク〜プレゼン〜INAGAWAスマホサミット宣言の採択、と子どもたちが主役になってすすみました。

 総務省でスマホ問題の座長などもされているという竹内和雄・兵庫県立大准教授がコーディネーターとなってすすみました。

 そこでは、猪名川町の全中高生1358名が回答したスマホアンケートの紹介もありました。かなり驚くような数字が出ていますのでご紹介しましょう。

 竹内和雄研究室などが集計した結果によると、中高生のうちガラケーを持っているのは中学生で22.1%、高校生で7.9%。一方スマホはそれぞれ36.3%と82.4%というように、高校へ行くにつれ圧倒的にスマホが多くなっています。

 高校になると各クラスにLINEのグループがあり、着信をみるのに一々再読み込みをしなければならないガラケーでは到底追いつかないのだそうな。これは大学生も状況は同じだそうです。

 また使用時間では、1日3時間以上の使用がガラケーで15.4%、スマホで53.5%(スマホでは29.4%が4時間以上)と、スマホ派が圧倒的に使用時間が長い。これはスマホのほうがゲーム、動画をみるのに便利だからだそう。何をしているのかとの問いに女子はLINE、男子はパズドラ等のゲームと答えます。

 また「個人情報を公開したことがある」との回答は、ガラケーで12.6%、スマホで46.4%とやはりスマホで多い。
(「実際にはもっと多いだろう」との発言あり)

 
 そして「会ったことがない人とメールやLINEをした」との回答がガラケーで29.3%、スマホで58.6%。「ネットで知り合った人と実際に会った」はそれぞれ3%、29.5%となっています。前者の設問には、女子の場合それぞれ61.1%と66.4%という高率となっています。

 
 これらの数字は、大阪府警が同様のアンケートでまとめた数字と比べても高率で、「猪名川町の中高生が特別倫理的に悪いわけではなく、正直に答えてくれた結果ではないか」と竹内氏。
 いい悪いを超えて、これが現状のようなのです。

 
 グループワークでは、3グループに分かれてスマホの良い点・悪い点を討議させてプレゼン、次いで「対策」について討議させプレゼンさせました。

 
 ステージの下の観客席前部のスペースに子どもたちのグループワークの席をつくり、そこから壇上にのぼってプレゼン、という構図はこうしたフォーラムでは斬新なものだったことでしょう。


「子どもは大人の言葉ではなく、仲間の言葉によって説得されるんです」と竹内氏。

 
 グループのプレゼンは審査され、「リアルを充実させる」と力強く宣言したグループが優勝しました。

 
 途中、兵庫県立大学の竹内研究室の学生が「猪名川町のみなさま方へ」と題してプレゼン。内容は昨年1
年間の中高生〜大学生によるネットを介した事件でした。広島のLINE殺人・死体遺棄事件、そしてTwitterにバイト先の写真を載せて炎上し休業・閉店・損害賠償になった事件。ステーキ店の冷蔵庫から顔を出して「バイトなう」とつぶやいたケースでは、休業・閉店そしてバイトへの損害賠償請求は他の従業員への休業補償なども入れ、5000万円になったとか。

 そして採択された「INAGAWAスマホ宣言」では、各グループの対策プレゼンを総括したもので、

「私たち、猪名川の中高生は

ー分たち自身でルールを作ります
   夜○時まで 個人情報を書かない 心を広く(既読スルーを気にしない等)

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書いていいのか、ダウンロードしていいのか 立ち止まって考えます」

と、いう形になりました。

 
 竹内和雄准教授の講演はしめくくりの短時間になりましたが、

「ネット依存はリアルでしんどいからネットに逃げる。だから解決はネットにはない、リアルにある」

「リアルでうまくいかない人がうまくいく人を引っ張りおとそうとする」

「日本のフィルタリング技術は各国で絶賛されているが、現在はフィルタリングするとLINEが見れなくなるため、フィルタリング率は下がっている。機械で制限するのは限界がある。子どもたち自身に考えてもらわないと」

「今日の中高生たちは今日思ったことをチラシを作りたい、そして猪名川の子どもたちに配りたい、スマホの生徒手帳を自分たちで配りたい、小学生にもスマホの使い方を教えに行きたい、と言っている。私たち大人側の問題として彼らにどう向き合ってあげるか」

「ヨーロッパに視察に行くとドイツ、スイスの人からはOur Children (私たちの子ども)という言葉が頻繁に出る。ところが日本に帰ると教員たちの世界でもLINEが悪い、保護者が悪い、社会が悪いの大合唱。本当は私たちどの大人にも少しずつ責任がある」

「親として声かけしたいのは、

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◆屬┐蕕い海箸砲覆襪勝廖文朕余霾鵑慮開や不審なサイト閲覧などについて)

「相談しいや」」


「まず私たち大人が相談される大人になる。『あなたのことが心配やから』心が通いあうような大人にならなきゃいけない」



 閉会式の中では、県警サイバー犯罪対策課の人が

「私たち大人がリアルに手をつないでこの闇に向かっていきたい」

と、述べました。


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 さて、わたしはもう子育ても卒業し、子どもの教育の専門家でもない立場で傍聴しておりました。

 すがすがしい気持ちになる部分と、もやもやが残る部分がありました。画期的なこころみであると拍手を送りたい部分は大いにあるのだけれど。どこか対話が「切れて」いる。

 子どもたちのグループワーク〜プレゼンのプロセスをみながら、

「この世代の子たちはもう、こういうふうにしてしか指導できないのかなあ」

という感慨と。

 しかしまた、彼らの着地点は大人の産業界の側からしたらまだ「あまい」のではないか、というもどかしさと。

 途中会場からの発言を募る場面もあったのですが、わたしのこの「大人目線」をどうしても言葉でまとめきれずにいて、発言しそこないました。他にもそういう種類の発言は出なかったので、「大人目線」というか「産業界目線」不在のままでフォーラムは終わりました。

 
 いくつか、わたしが今の時点で言葉にできている部分はというと、

1.思春期の脳の使い方として「スマホに1日3時間」は、ほんとうに適切なのか。2つ前の記事にあるように、思春期〜青年期の脳はまだアンバランスで、刺激に強く反応する反面、自制心は未熟だという。そうした時期に、スマホを通じて同世代のグループの人間関係に埋没してしまったとき、上の世代から自制のたいせつさを含めた人としてのありかたを学ぶ機会はますます減るのではないのか。そうした視点は、彼ら自身だけでは持ちようがないのではないか。

2.全体がスマホで「内向き」になったとき、一部の何か突出した才能をもった子であればそれを磨くために「目標を持つ」―例えば全国大会出場を目指すとか―ことも可能だろうが、そうでない平凡な才能の子はますます「目標」を持ちづらくなり、「内向き」の「同質化圧力」がはたらきやすくなり、それは「やすきに流れる」ほうへ向かわないだろうか。平凡ななりに少しでも自分を磨いて高みを目指す、ということができにくくならないだろうか。


3.「集中力」「生産性」の問題。フォーラムでも「既読スルーを気にしない」という言葉が頻繁に出たが、LINEで絶えずともだちとやりとりし、その中で自分がどう思われるか気にしていたら、その合間を縫って生産的なことができるのだろうか?長時間にわたって集中力を維持してはじめて可能なような、大きなものを作ったり大きなことを考えたり、できるのだろうか?ひょっとしてLINE世代の子どもたちは、LINE登場前の世代の大人たちよりもはるかに生産性の低い青春時代を送っていないだろうか?そうした、自分たちが過去の世代と比べてどの程度のレベルなのか、という比較の目をもつことはできるだろうか?産業界の側からの危惧はおもにここにある。


4.わたしの得意分野である「考える」ことについて。携帯メールがはやった時にも危惧されたことだが、短文だけでは伝えられない種類の思考がある、ということ。
たとえばわたしの考えることは、もう何年も、ブログの世界でもあまり例のないような長文で伝えることをしてきた。狙ってそうしているわけではなく、それこそ「チェスの何手か先を考える」ような思考は、人に伝えようと思ったらそうならざるを得ないのだ。
しかしそれが無用の長物なのかというと、そうした長文を伝えたり受け取ったりしてきた結果、10年にわたり「1位マネージャー」を産んできた。いわばマネジメントの思考とは「長文」なのだ。
それを受け取る知性が育たなかったら、すぐれたマネジメントの後継者も育たない、ということである。
短文だけをやりとりして育まれるのは、その場かぎりの刹那的な思考、あるいは先日NHK「クローズアップ現代」がとりあげたような、「ポエム語」を叫びあって思考をはたらかさずに分かり合うような、搾取される側から抜け出せない世界、ではないのだろうか。


5.「内向き」であるということは「内集団バイアス」がはたらきやすい、ということであり、それは1つ前の記事にみるような、外集団に対する共感が乏しく、「官僚的な硬直した思考」に容易になるということである。ちょっと頭をはたらかせれば「できる」ことでも、お客様のほうをまっすぐ向かず仲間のほうばかり気にしているから「できない」と言ってしまう。見た目若者でも、それは老人のように硬直化した思考・行動であり、無能な人材である。

・・・

 フォーラムから一夜明けた今日の時点で言葉にできているのはこのぐらいなのですけれども。

 あくまでわたしの狭い思考で考えたことですから、間違っていると思われたかたはどうぞご意見ください。

 1〜5まで、書いてみて、絶望的な気分になります。彼ら自身の言葉で思考してそこそこのところまでは宣言しても、それは産業界からの要請からはなんとかけ離れていることだろうと。

 産業界からの要請も、あまりばかにしてはいけません。ともすれば、学者や教育者は、「クリエイティブでさえあればプレゼン上手でさえあれば勤勉でなくてもいい」という極端な発想をしがちです。それは誤りであることは2つ前の記事をみればわかります。そして勤勉さをみるには行動のフォローが要ります。



 
 今の時点では、結局わたしは、当協会の受講生であるすぐれたマネージャーたち、若い働き手を日々目の前でみる人たちに、言葉をもってほしい、若者たちに届く言葉を、と願っているのだろう、と思いました。働くということの尊さを語ってほしい。ともだちなどを忘れて死に物狂いで仕事やお客様に向き合うことのたいせつさを語ってほしい。

 それは「承認教育」とダイレクトに結びつくのかというと、そのかなり高度な応用編であろう、と思います。漫然といろんな研修のひとつとして「承認」を学ぶのではなく、武道武術を学ぶようにそれに専心した人たちは、はじめて次の段階で、スマホ世代の若者たちに届く言葉を語ることができるだろうと。

 そしてそれはスマホに限らず、ウェアラブル端末でもなんでも、新しい先進技術すべてに言えることであろう、と思います。

 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
URL: http://c-c-a.jp
 

 表題は故ホイットニー・ヒューストンの初期の曲です。今もよくBGMで流れています。
 最近久しぶりにCDを聴きました。まだ20歳そこそこだったはずなのに迫力ある歌声でした。
 わたしはホイットニーのコンサートに1990年ごろ広島で1回だけ行きました(被爆地の広島は意外と海外の有名アーチストがくるのでした)そのときはCDよりももっと装飾音が多く音程のわかりにくいうたいかたでした。