駅の改札口を出たところのカフェでコーヒーを飲む。

 以前、ある組織の「トップ」が、「毎朝ここでコーヒーを飲み、あんたのブログもチェックするんだ」と言っていた。

 彼は「正田の話すことは俺マターだ」と思ってくれていたようで、挨拶に行くとつねに自身で応対してくれ、そのうえで担当者に話を振ってくれた。

 えこひいきだ、と思われるだろうか。私が2005-6年、大阪商工会議所の大ホールで1位マネージャーの受講生たちのパネルディスカッション等の事例セミナーをした時、彼も足を運んでくれた。それ以来のご縁だった。

 「いま」と切り結ぶ「本気」を理解してくれていた、と私は勝手に思っている。


 しかしその人たちとの縁も今は過去形になった。


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 大企業の子会社にお勤めする人から話を聴く機会があり、それによると子会社は本体側からABC・・・とランク付けされそれに応じた人材が出向する。

 「Cランク」の子会社だと、出向者は仕事ができないとレッテルをはられたナルシシストばかりになる。たとえ旧帝大卒でも、出来る人出来ない人の差は入社当時から厳然とあるそうだ。そのナルシシスト出向組ばかりで作る職場とは、遅延、不作為、やっかみ、足の引っ張り合い・・・の日々だそうである。自分の偉さを誇示するために平気で約束の時間に遅れ、納期を守らず顧客を待たせることさえ厭わない。そんな仕事ぶりだから顧客を失うことも当然あるが、基本本体との取引だけでもやっていけるので意に介さない。

(そうしたいがみ合っている人たちでも「外集団」に対しては「内集団バイアス」を働かせ一致団結して阻害することもあるから、怖い。触らぬ神にたたりなしである)


 
 例えば、私の場合例会で話をしろとふられて「パワポは必須」と言ったがフタをあけてみるとパワポが使えない会場を予約していた、会場側では「結婚式用の大型モニターはご用意できます」と言ったがモニターはどうしても画面が小さいうえ、当日結局PCとの相性が悪く途中で画面がダウンしてしまった、なんで自分とこのプロジェクタスクリーンを持ち込むぐらいの機転を利かさないのだろう、みたいな、「お子さま?」みたいな仕事のレベルの低さを経験しているが、子会社ではそのくらいのことは日常茶飯事で、たとえば上記のような状況で「ちゃんとやろうよ、お客様のために」という正論を吐く人は嫌われて飛ばされるのだそうである。


もう一つ、この人の観察で面白かったのが、
「ナルシシストは基本もできてないくせにもっと高度な応用をやりたがる」

某ナルシシスト氏が女性活用もできないくせにグローバルとはしゃいでいたのを思い出して笑えた。

受講生様、会員様も大丈夫だと思いますが心してください。他研修機関で「承認」より高度なことをできますみたいに言うところはいっぱいありますが、仕事をやめてプロになる人は別として、高業績マネージャーに必要なのは「承認」を日常行動としてやり続けることです。


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 2つ前のスマホサミットの記事で私は「大人目線」「産業界目線」などという、また不遜な言葉を書いたけれども、もちろん決して私一人が「産業界」を代表できるわけでもない。
(「産業界」にもだらしない大人はいっぱいいる、とそんな話は置いておいて)

 でも私の責任において、子どもの教育の世界から真摯に発信されてきたことを受けとめたいと思うし、「産業界」へ向けて精一杯発信していきたいと思う。

 たとえ1つの組織が代替わりでどんなになっても。


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 このところ私としては立て続けに多くの人と話す。
 言葉をちゃんと重みを感じて受け止めていただける人とそうでない人とやっぱり差が激しい。

 おおむね初対面の人は言葉が素通りする。表面をつるっと滑る感じがある。

 長年にわたりメールニュースを読んできてくださった方だと「言われていることの重要さはよくわかっています」と言ってくださり、それが社交辞令でない感じがする。


 担当者が替わると、私に関して一気に評価が下がるという感覚がある。女性であるということは、それだけで大きなマイナス点なのである。10年選手でも。


 私はいつまで闘う気力があるだろうか―。
 「精一杯発信していきたい」と言ったそばから弱気発言をする。


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 フェイスブックで1人のお友達から、長文のコメントを頂いた。
 詳しいことは省くが私のとあるブログ記事について「勇気をいただきました」と締めくくられていた。 
 ありがたいなあ、という気持ちと、天狗になってはいけない、という気持ちと。
 こういうとき難しいのは、ありがたいなあ、と思うということは自分はその賛辞にふさわしい人間だ、と思ってしまうことにもつながるのだ。

 それでも一方でまた思う。わたしは通常ならあり得ないほどの「自己開示」をこのブログでしている。トラブッたことも、状況を克明に書く。
 それをネタに、わたしについて「論評」する人が現れる。上から目線で「評価・判断」する人もいるし、揚げ足取りをする人もいる。説教してくる人もいる。
 
 以前のあるとき、「年長の人より同年代の人から教えを請いたい気分だ」と書いた。するとその数日後に会った人が、「私は上の世代の人から学ぶのは大事だと思っていますよ」と、脈絡もないときに言われた。そのときは戸惑い、あとで彼は私のブログの上記の記述に反応したのだろう、と気がついた。
 しかしその彼は知らなかったのだ、私がその記述に先だって1年半ほどの期間、おじいさん方の儒教コミュニティに入り浸って年長の人から教えを請うていたことを。その末に、「いや、もう現代と切り結ばなければいけない。同時代をしっかり見て発言している池井戸潤、藻谷浩介らの論調をフォローしたい」というところに行きついたのだが。(ちなみに今度インタビューする予定の立教大の河野哲也教授も同い年だ)そういう前後関係を知っていれば私の発言は上の世代をないがしろにしたわけでもなんでもないことがわかると思う。
 でも、往々にして人は自分が反発を感じたところだけをおぼえているし実物の私をみたとき反論したくなるのだ、大半の妥当だと感じたところは忘れて。

 そんなこともあって人と話すことに疲れている。また、他人が労力をかけて他に例のないほどの判断材料を提供しているときに、プロ野球の観戦や論評のように「上から目線」しか持てない人の心に、その人のために荒涼感をいだく。


 そのなかで1人のお友達のあたたかいご理解が、ありがたかった。






100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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