―これも「重い」「暗い」ほうの記事なのでお嫌いなかたは読まないでください―


 NHK朝ドラ「ごちそうさん」で、何週か前の土曜日に主人公め以子の夫の悠太郎の不倫もどきの相手、アキという女性がこんなセリフを言った。

 アキは、火災で全身大火傷をした男性と学資のために許嫁になり結婚。その夫「みつおさん」は、死ぬまで医師になったアキを励まし続けた。

「私が帰ると、みつおさんは毎日、
『今日はどんなやった?』
『どんな患者さんやった?』
ときいてくれるんよ。みつおさん、生きているのに死んでいるみたいでなあ


 このセリフが長いこと耳の奥にはりついてしまった。
 状況は違うけれどわたしもそうだった、と思って。


 鬱の子を励まして学校に行かせる毎日というのは、そうだった。極力自分は仕事になど関心がないふりをし、生徒さんにも関心がないふりをし、子どもが帰る時間帯には家にいて、そして物静かな調子で子どもに話しかけたり問いかけたりほめたりした。

 その期間の私は生きながら「死んで」いた。自分の生気を殺すことで子どもの生気を引き出そうと努めていた。

 そんなことが私に可能だったのは、結構、一方ではほそぼそと仕事をもっていて、仕事でリーダーを通じて末端の人びとやその家族までも幸せにできる、という自負が支えになっていたのではないかと思う。


 鬱の人の回復に家族の助けが不可欠といわれるけれど、患者を「生かす」ために自分を「殺す」ことができる家族はそう多くないのではないかと思う。大抵は、自分も生きたい、と切実に思う。理性でどうすべきか分かっても身体がやみくもに生きよう、とする。

 だから、よくきくのは鬱の人が家族にいるとほかの家族も共倒れになって鬱になっていくか、あるいは離婚したりして一家離散になる。あるいは、鬱の人の回復のためには良くない、責めたり説教したり、ということをやってしまう。

 
 また、わたしが経験した限りでは鬱の人というのはとんでもなく「恩知らず」だ。自分が生気を取り戻すために身近な家族がどれほどの犠牲を払ったかなど考えず、ぞっとするような罰当たりな言動をとる。
 周囲の人間はだれも彼女に「感謝」を教えなかったし、わたしも「先生方への感謝」は口酸っぱくして教えたけれど、「わたしへの感謝」は教えられなかった。逆方向に「洗脳」する人はいた。


 
 2度、いや夫のぶんも含めると3度にわたり鬱の人の回復を手伝ったわたしは、今は「もう沢山」という気分になっている。あとはその人たちが自分でやればいいのである。

 一方で、「死んで」いた期間も長かったため、切実に「生きたい」という気力もあまりない。いささか惰性で生きているような気がする。そしてときどき、「死によってしか伝わらない性質のものもあるのではないか」という気持ちにさいなまれる。


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 会社員時代のことも振り返った。入社当時は自分のためだけでなく後進のためにも道を開かなくては、と志に燃えていたわたしも、3年半たったころにはどうでもよくなっていて、それより子どもを産んだり育てることのほうが大事に思えた。

 
 一方で「承認中心コーチング」の普及については、碌に報酬ももらえない境遇ながら、心無い人びとの蔑みにもあいながら、10数年も続けられるのは何故だろうか。

 比較すると、前者は「自分のため」および「自分と同様の一部のエリート女性のため」だったから、ではないかと思う。

 承認中心コーチングの普及事業によって得られるものというのは、たとえばアメリカから持ち込まれた功利一本槍の非人道的な組織論との対決であったり、他人の人生を踏みつけにして平気なナルシシストリーダーとの対決であったり、組織の人間性の回復であったり、それによる組織の末端にいたるまでの生気を失った人びとが人生の意味を取り戻すプロセスであったり。
 あ、くどいようですがすっごい「業績向上」も同時になしとげてるんですよ。「人道」の部分を言うとすぐ「業績」は上がらないんだろう、と決めつける人がいるからいやですねえ。そういう頭悪いやりとりが続くから疲れるんだ。「人道も業績も」同時に得られるんだからこんないい話、ないじゃないですか。
(でも「人道」が嫌いな人はどんなに業績が上がるときいても「嫌いなもんは嫌い」なんだなあ。そういうものだと、最近わかってきた)


 そして、「この道筋」を正確に指導し得る、大量の理論的根拠を持ちどんな反論に遭ってもぐらつかない腹の据わり方をしているのが現在のところわたししかいない以上、わたしが「これ」をやめてはいけないのである。

 そういう「大義」のスケールの大きさが、わたしに「これ」をやめさせないのだ。

 過去にご一緒に仕事しようとして果たせなかった研修講師の方々は、その「緻密な針の穴を通すようなリーダー教育をすることによって末端の人びとまでが幸せになる」というところまでの想像力を共有できなかったのだろう、と思っている。


(もちろん、女性の地位向上を人生を賭けてなしとげた人の人生が相対的に価値が低いと言っているわけではありません。こんどおききしてみたいと思っています、何がその人を動かしたのかを)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp