25日、篠山の「いのしし祭り」に行ってまいりました。


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 猪からあげ、猪ぶたまん、猪汁・・・イノシシづくしの屋台たち。


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 なんかうまく写真を配置できませんが
 左上は、この祭りの食べ物のメイン、限定1000個の「丹波―ガー(猪バーガー)」。分厚い猪肉のパティが入っています。

 右下は猪入りちゃんこ鍋と猪肉フランク。

 会場のパワーに押されて色々いただきました。猪肉は上質のポークという感じでどれも美味でした。

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 お待ちかね「ドドドいのしし猛レース」。今年はうりんこ3頭が走りました。チャーミングな猪パワー爆発!

 (昔ひどいめにあったくせにね)


 主催された篠山市商工会職員、部会の皆様お疲れ様でございました。楽しかったです。


原田局長と波部課長


 会場でであった商工会の原田事務局長(右)と波部課長(左)



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 その前日24日は地元の神戸ファッション美術館に「ウール・トーク」を聴きにいきました。

 「ウールの衣服展」に合わせて哲学者の河野哲也氏、ウールの専門家大内輝雄氏、ファッションディレクター眞田岳彦氏というメンバーで講演会―座談会をされました。

 
 なぜこの場に河野氏が、といういきさつは同美術館のこちらのブログに載っています

 http://fashionmuseum-blog.com/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%80%81%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF


 河野先生にとってはややアウェー感のある主題のようでありながら、それでも

「なぜ服を着るか」を・実用性・社会的役割・ファッション と規定し、

「完成可能性(ルソー) 自然において自分に欠けているものを代補し、自然以上に高められる」

「私たちは必ず服を着る、だから身体と身体以外のものの境界が曖昧(脱着可能な身体)」

「生物が作る殻、叢、巣、穴は延長された身体である」

「裸の身体は強すぎる個性、服はそれを隠す 裸のもっている生々しさを弱め、減じ、関係性を創っている」

「イヌは鏡をみるとしばらく見るがやがて興味を失う 顔は他人にみられるための身体 私たち人間は他人の眼で自分をみるという回路を身体の中にもっているのだろうと思う」 


 ・・・という風に、華麗に「1つ上」の論点を展開してくださいます。

 会場は、ウール業者のかたやファッション、美術を専攻する人などが大勢だったようですがそれでも河野先生の華麗な「哲学トーク」は注目を集め質疑を集めました。

 この先生、売れるかも。

「なぜ服を着るか」

なんていうシンプルな問いと思考をききたがってるかも、私たちは。


 以前にも書いたように河野先生との初めての出会いは友人のやっている「鎌倉哲学カフェ」で先生の鮮やかなファシリテーションに触れ、

「すげー頭いーこの人。大学の先生にしとくのはもったいない(爆)」

と舌を巻いたのでした。

 しかしお話をうかがってみたいな、と思ったのは、華麗なトーク華麗なファシリテーションだから、というよりも、
 
 河野先生が年末にフェイスブックのタイムラインで「人工知能学会学会誌に描かれた掃除する女性型ヒューマノイド」をとりあげて、
「この学会の犯した罪を息長く追及していく所存です」
なんてことを、書かれたからなのでした。



 結構、「この人おもしろそう」と思うのはそんなことからなのでした。

  
 来るインタビューでは

「人はなぜ平等でなければならないのか」

のようなことを、おききしてみたいと思います。
 諸外国に比べわが国で遅れに遅れている女性活用、障碍者雇用は、既得権益者の権益の委譲、という問題をともないますから、「多数決」ではできません。それを支える「思想」とは何か知りたいなと思います。



 その前の段階でわたしは「アフォーダンス」という概念に苦しんでいるのですが・・・、

 正月以来もう何冊も本を買っていますがいまだにわかりません。河野先生は「行動主義がわかっていればその枠組みで理解しやすいと思いますよ。(アフォーダンスの提唱者の)ギブソンも行動主義者だったと思いますよ」てなことをおっしゃいます。

 なんか新しい理論的支柱になりそうでもありならなそうでもあり。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp