急に「なぜ『後進のためにがんばろう』と思えなかったか」を、思い出した。

 2つ前の記事の関連です。会社員時代、3年半で「後進のためにがんばろう」と思っていた志を捨てて家庭に入ったのでした。


 記者時代、詳しいことは省くがシリーズで取材していたテーマがあり、それについて会社が発行している週刊誌にも連載していた。


 この連載は社の内外で評価が高かったのだけれど、編集部の女性編集者からはクレームの電話がかかってきた。

「両論併記」にしなさい、というのだ。私は当事者側の発言だけを載せ、当時その問題について「お約束」だった、学者や評論家の側にコメントを取りに行っていなかった。


「この段階で両論併記は思考停止につながりますよ。日本はもう変革しなくちゃいけないんです。惰性で変革しない人たちの片棒担ぎをわれわれマスコミがしちゃだめですよ」

と私は言った。

 私が取材しなかった側の人たちとは「当事者」ではない評論家のような人々であり「当事者」の痛みを何らわきまえない発言をした。もう一方の「当事者」「現場」の切実さをを取材したあとでは、その評論家たちの発言にとりあげる価値があるように思えなかったのだ。そのスタンスをとることによって良心的なふりをしてマスコミの紙面に生き残ろうとしている卑しい人たちに思えた。


 今とあんまり変わらない思考回路をしてますね。

 日本は何事によらず社会変革が遅い。その「遅い日本」の遅さをもたらすシステムの一端をマスコミが担っているのだ―。
 

 そうして、恰好つけるためにあるいは自分が攻撃されたくない一心で、「両論併記」をしなさい、と言ってくる女性編集者は、もちろん当時の私と同様入社後日が浅く、結婚も出産もしていない人だったのだけれど、私の眼には


「人生に碌にコミットすることもなく世の中のみえやすい上澄みのところだけをみてマスコミごっこしている子ども」

と映ったのだった。

 女性編集者だからとか女の敵は女というのではなく、マスコミ全体に既に倦んでいた。


 だから、その小生意気なこざかしいマスコミの中で有利に泳ぎたいだけの人たちは、たとえ自分と同性といえども、助けたいと思えなかったのだ。


 そのためにあくせくするよりも、自分で子どもを産んで育てることのほうが、少しでも「コミット」していて、納得できる人生に思えた。



ちなみに今は、その時の連載のテーマはオーソライズされ神戸にはそれのためのセンターがありますーー


 そしてまた補足すると、なぜ「後進のため」と思えることがそんなに大事だったのかというと、当時の私は、特ダネを連発して表彰され社長・編集局長から「当社の声価を高める仕事をした」と賞賛された代わり、男性記者たちからは強烈にやっかまれ、蔭口や足を引っ張る行為の連続で、「自分のために」昇進することなどとても楽しめなかったからだ。

 だから「後進のために」と思うことが辛うじて支えになっていたときに、その気持ちも「切れて」しまったのだった。



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丹誠窯


 
 言い忘れましたが篠山の帰りやきものどころ今田に寄って、花瓶を買いました。

 備前のような黒光りするやきものが、丹波立坑焼だとかなり手ごろなお値段で手に入ります。

 やきものの地肌の気泡が良いのだとか―、詳しい理屈はわからないのですがくたびれかけたお花がよみがえった気がします。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp