有光さん3

 去る1月27日、コープこうべ顧問・兵庫県経営者協会副会長の有光毬子さん(69)にインタビューさせていただきました。

 これまでにもご紹介しましたように、有光さんは灘神戸生協(現在のコープこうべ)に一社員として入社され、女性のための昇任制度もないゼロからのスタートでキャリアアップし、職域を広げ、最後には役員(常任理事)まで登り詰めた方。

 そして後進の女性たちにはどこまでも優しく柔らかく成長を喜んでくれる素敵な大先輩です。

 これに先立つ昨年9,10月に有光さんが代表幹事を務められる兵庫経協の「VAL21」(女性産業人懇話会)で、正田が2回にわたって「承認」のお話をさせていただいた際、有光さんは自ら「承認」を身近で実践してみて大きな手ごたえを感じたことを語り、そして「この『承認』のお話は、私には何だかほんとうだ、と感じられます」と言ってくださったのでした。

 このたびのインタビューでは、前半でお若い頃からの壮絶ともいえる奮闘ぶりと、それを支えたものは何だったか、を語っていただきました。

 国際比較でみると男女共同参画がまだまだ立ち遅れているわが国で、かつ残念ながら既に手あかがつき「やらされ感」で語られることも多くなったこんにち、是非今頑張っている女性の方、それにそうした部下を持たれている上司の方にもご覧いただきたいお話です。同じ地域のほんの少し前の時代を切り開いた先輩の姿をみることで、ともに「勇気」を分かち合えたらいいな、と思います。

 今回は前半で有光さんの会社員時代の奮闘物語、そして後半で昨年9月以来の「承認」実践物語とうかがい、前後編として掲載させていただきます。

 まずはその「前編」を4回に分けて、ご紹介いたします―。



有光毬子さんインタビュー・前編
「志を曲げなかったわが人生」


(1)上司の言葉でライフプランを持てた私

■大きかった「上司の言葉」
■2つの壁「昇任試験」と「職域」
■人を動かすためには何が必要か


(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ

■商品に触れるために持ち帰り仕事
■通信教育で日本生協連会長賞を受賞
■ついに女性初のバイヤーへ

(3)ロールモデル不在でなぜ頑張れたか

■心の支えになった「演歌」があった
■何度も伝えること、聴くこと
 ―大切な「コミュニケーション」―
■「不公平だと思いませんでしたか?」(正田)
 「今は最高の体験をさせてもらったと思っています」(有光)


(4)男性と女性でつくる社会へ向けて

■男性上司や同僚との関係は
■心無い噂と夫の理解
■「これまではこれでやってきたから」
 ―意思決定機構に入って感じた男女の価値観の違い―
■後輩の頑張りが嬉しい


(ききて・正田)


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(1)上司の言葉でライフプランを持てた私

■大きかった「上司の言葉」



―今日は本当に楽しみにしてまいりました。
有光さんご自身のこれまでのキャリアのお話と、宣伝用のインタビューも兼ねておりますので私どもの研修についてのご印象、ご感想もいただければと。

有光:わかりました。
私自身は学校を出まして、今コープこうべの中では役員までなりましたけれど、就職したころは何年か勤めて結婚して家庭に入って、というくらいの漠然とした気持ちでした。私だけじゃなくてその頃の女性はそんな気持ちで社会に出てたんです。

―就職されたのが何年でいらっしゃいますか。

有光:昭和38年。

―私が生まれた年だわ(笑)

有光:そんな時代ですから、まだまだ今のような女性の活躍が社会で求められるようなことはなかったですし、女性自身も自分の将来の人生設計を持った形で就職するということはなかったんです。友達にもいなかったし、私自身もなかった。
 だけど私の場合、数年してすごく仕事に誇りを持てたり長く仕事を続けていきたいと思ったり、と気持ちの変化が起きたんです。

―何があったんでしょう。

有光:入社の頃はアメリカのセルフサービス形式を導入して、日本にもたくさんセルフサービスのお店ができた時代です。それで生協もそれまでは男性職員が多かったんですけれども、そういうこともあって女性をたくさん採用するようになった時期だった。ただ女性の仕事で圧倒的に多いのはお店でチェッカー(レジ係り)をする。それと一部、事務の補助。大体この2つの職種でした。
 で私は、採用されてチェッカーに配属されるのではなく、本部の人事労政部というところに配属されたんです。そこでお給料の計算をしたり、福利厚生の仕事をしたりしていたんです。そして何年か勤めたら結婚して辞めて、という思いで入ったんですけどね、当初とは思いが変わってきた。
 なんで思いが変わったんだろう、と考えたんです。そうしたら、それは間違いなく当時の上司だった方の影響でした。
 企業だったらどこも企業理念ってありますよね。コープこうべだったら「1人は万人のために、万人は1人のために」という理念があります。上司はそういう理念を語ってくれたり、それに基づいてコープこうべの仕事の意義だとかを語ってくれたり。それから、私自身が毎日同じ仕事をやっているんですけど、そのことがどんなに価値があることなんだ、ということを、常に語ってくれる上位者がいたんです。これで大きく変わったんだな、とあとで気づいたんです。

―それは得難い上司の方でしたね。そういう言葉にふさわしいお仕事ぶりをやっぱり有光さんがされていたのではないですか。

有光:そうでもないと思いますよ。でも本当にその言葉が色々と変えていってくれたんだ、と思ったので。
 だから3−4年経ったころに、「やっぱり私もずっと働き続けたい」と。そのためには、自分自身のきちっとした将来へのビジョンみたいなものを自分で持っていかんとあかんのや、というように思って、そこで自分自身はどうなりたいんだ、というように考えたのが、まず1つは、そのころの先輩の女性もいらっしゃったんですが、みんな結婚はされずに、長く勤めておられた。私は結婚もし子どもも作りたいなと。そして企業の中でも勤め続けていきたいし。そして何よりも、上位者が示してくれたようなあんなリーダーシップのとれる産業人になりたいと。すごくそういう思いが強くなったんです。

―ちなみにその上位者の方は人事労政部の中のどんなお立場の方ですか。

有光:その当時は課長職。私が入った当時は係長やったのかもしれない。そういう方が、1人というとあれですけれどひときわ強くそういうものをお持ちの方がいらっしゃって。その人に教えられた、私はそれだな、と。
 VAL21(兵庫県経営者協会女性産業人懇話会)では管理職になっている方が多いんですけれども、やっぱり管理職で一番大事な役割というのは、私「これ」やと思う、というのは今でもその経験から思うんですね。

■2つの壁「昇任試験」と「職域」

有光:そう簡単に思い描いたんですけどね、そこからが大変(笑)
 やっぱり時代もあるし、神戸の歴史の長い企業の組織風土だとか制度だとか、色々ありますから。

―その当時で何人規模でいらっしゃいました?

有光:約2450人ぐらいだったんだろうか。

―大企業ですねえ。

有光:まあまあ、ね。ただ、それまで長い歴史の中で中心だったのは、商品の注文をきいてそしてお届けするという宅配事業です。だから男性が圧倒的に多かった。力仕事ですからね。
 ただし、店舗を積極的に展開していき始めたので、チェッカーで女性がたくさん採用し始められた、とそういう時代でしたけれどね。

―じゃあ、急速に女性比率が増えた時期だったんですね。

有光:そうそう。
 そして、「自分はこういう風にしたい」というライフプランみたいなものを描いたんだけど、それを実際やっていく上ではすごい壁がありました。
 私が就職してすぐの時は女性結婚退職制度というのがあって、女性は結婚したら退職しないといけない。そういう制度まであったんです。

―制度まであったんですか(笑)すごいですね、それは。

有光:そう、だから、結婚して働いている女性というのは居なかったわけですよ。長く居られた先輩たちは、結婚せずに働くことを選択された先輩たちだった。
 そういう制度自体は、時代背景を受けてすぐ無くなったんですけれども、やっぱり企業の中で自分のキャリアアップを図っていくためにはいろんな壁がありましたが、中でも私自身が挑戦していくうえで大きな2つの壁があったんです。
 その1つは、女性は主任試験とか係長になるための試験を受けれれなかったんです。男性たちは受験制度があった。女性にはなかった。

―それは規則で禁じているとかではなくて、不文律として?

有光:就業規則に書いてあるとかそこまでのものではなかったです。でも女性は受験できなかった。
 それともう少したって思い始めたのが、女性の職種と男性の職種がきれいに分かれていたんです。女性は大体チェッカーか、事務でも補助的なお仕事。
 でも自分自身は、色んなことにチャレンジしていきたい、職種を超えて、幅を広げてやっていきたい。その思いを強く持ったんですが、これがどうしても壁になる。
 この2つが、私自身のチャレンジ体験になり私自身の職業観を大きく変えていった、という歴史があるんです。

■人を動かすためには何が必要か

有光: 初め、主任の試験を受けたいというのを、同期で入った女性たちもざわざわ話をしながら、何回でも人事やらいろんなところに申し入れをしました。「なんで女性が受けられへんの」みんなでぶつぶつ不満を言って。

―それは同期の方何人かで集まって?

有光:そうそう。本部に事務の補助系で配属されて、私は人事系でしたけれど同期は経理系の人とか庶務系の人とか配属されていましたから、その女性たちが「おかしいねえなんでやろねえ」言うて。
 本当に何度でも「なんでですか」「私たち受けたい」と。そうしているうちに4−5年たって同期で入った男性が受験の時期がきかけるわけです。それでも受けれない。何度も(申し入れに)行ったけれどそれでもだめでしたね。
 聞く耳がないというんじゃなくて、その男性―まあそういうポストの方は大体男性ですから―に申し入れをしても、その男性たちはそのことの必要性を本気で感じないから、「変えていかんといけない」という気になれないんだろうな、と。「なんでや、今まででうまいこと行ってるし」というぐらいの気持ちだったのか。本当に、だめでした。
 でそうしているうちに、「これだけ言っても無理だったらしゃあない」と諦めていく女性が大半だったですね。

―そうでしょうね…残念ですけどやっぱり結婚して抜けていかれて。

有光:そうそう、結婚されて人数も減っていきますしね。
 そのうち、いくら口で「この制度おかしい」「受けさせてくれ」と言っていても、これは人をその気にさすことというのは無理なのかなと、そこで考えて。次どうしよう、と。
 それはもう実際の行動と、「証し」みたいな形で、主任として女性が十分やれるんだということを実証するしかない、と思ったんです。言葉では人を動かせない。やっぱり人を動かすのは相手の心とか相手の目に伝える、このことしかない。
 それで、人事で厚生の仕事もしてましたから、社会保険労務士の資格にチャレンジしたり、それから当時はコンピュータでシャシャッと計算が出てくる時代ではありませんでしたから、お給料の計算なんかも電卓でダダダーっと計算して、そのスピードと正確さがもう圧倒的に、だれが見ても「すごい」って思えるようなスキルを身に着けて。
 要は、感じてもらう。それしかない。
 そういうチャレンジをして、そして改めて申し入れしたんですね。そしたら不思議なものですね、「せや、うん」って言って、それからですよ。試験を受けられるようになったのは。

―そうですか…!

有光:だから、女性が試験を受けて主任や係長になっていった最初のケースだったと思うんですけどね。

―壮絶っていいますか。

有光:だから今も、人をその気にさせたり、人に感動を与える、まあリーダーシップの基本もそうなんですけれども、やっぱり言葉よりもリーダーの態度とか姿勢とか、そういうことが人を動かすんだ、と。私あれでそう思いましたね。口だけでなんぼ言ってても、人をその気にさせたり、そう簡単にできるものではなくて。部下たちもリーダーの態度や行動をみて。口で「ああせえ、こうせえ」と言ってるのではなくて行動をみて動くものなんだと、私は体験から学んだと思うんです。

―よくそこで動かしましたねえ。山が動きましたねえ、大きな山が。

有光:やっぱり改革する、ものごとを変えていくっていうのは、なんかおかしいなあと感じたりする力は必要ですよね、ものごとを感じていく。でも感じても、大事なのはそれをどうしたら変えられるか、変え方を考える力が要るし、そしてもっとも大事なのは、実践する力。この3つの力がセットにならない限り、改革なんてできない。
「あれおかしい」とか、「あれは変えんとあかん」とか、色んなことを思うまではするんだけど、じゃどういう風にしていこうと(考える)。そしてどういう風にしていこうと思ったことを実際に実践する。この3セットの力が改革を可能にしていく、と思っています。
 それ以降の色んなこともそれを心掛けてきたけれど、なかなかね。挫折することは多かったけれども(笑)。

(「(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ」につづく)


有光毬子さんインタビュー前編
「志を曲げなかったわが人生」

(1)上司の言葉でライフプランを持てた私

(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ

(3)ロールモデル不在でなぜ頑張れたか

(4)男性と女性でつくる社会へ向けて



後編・「地域に『承認』を持ち込んでみた、『承認』について語った」




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