有光さん3
 コープこうべ顧問・兵庫県経営者協会副会長の有光毬子さん(69)のインタビュー2回目です。

 ここでは、「結婚して子も産んでかつ仕事も続けたい。そして商品にも触りたい」という有光さんの念願がついに叶えられる日がやってきました。しかし、それを実現させた有光さんの強烈な頑張りがまた凄まじく…。

 何が”奇跡”を生んだのでしょうか。



有光毬子さんインタビュー・前編
「志を曲げなかったわが人生」


(1)上司の言葉でライフプランを持てた私

■大きかった「上司の言葉」
■2つの壁「昇任試験」と「職域」
■人を動かすためには何が必要か


(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ

■商品に触れるために持ち帰り仕事
■通信教育で日本生協連会長賞を受賞
■ついに女性初のバイヤーへ

(3)ロールモデル不在でなぜ頑張れたか

■心の支えになった「演歌」があった
■何度も伝えること、聴くこと
 ―大切な「コミュニケーション」―
■「不公平だと思いませんでしたか?」(正田)
 「今は最高の体験をさせてもらったと思っています」(有光)


(4)男性と女性でつくる社会へ向けて

■男性上司や同僚との関係は
■心無い噂と夫の理解
■「これまではこれでやってきたから」
 ―意思決定機構に入って感じた男女の価値観の違い―
■後輩の頑張りが嬉しい


(ききて・正田)


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(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ

■商品に触れるために持ち帰り仕事



―いやいや。2500人の規模の会社を若い女性1人で変えていくってものすごいことです。

有光:確かに、最初愚痴言ってるときは仲間何名もでやってたんですけど、なかなかね。1人1人も自分の生活があったり結婚して欠けていったりしていくと、結局は最後までやろうと思ったら1人でするしかない時期もありました。
 もう1つの女性の職種が限られてる問題。女性って最初そこに配属されるとずっとそこにいるパターンだったんです。確かに同じ仕事に習熟させておいたほうが効率もいいというような考えもあったのかもしれない。
 私も、今の仕事が嫌だとかいうことではないけれど、やっぱり商品を扱う仕事がしたいという思いがものすごく強くなりました。

―それは何かきっかけがあったんですか。

有光:それはね、私もよくお給料を封筒に入れて現場、お店とかに行ってたんですよ。当時は給料振込ではなかったので。そうしてみていたら、やっぱり店舗で商品を販売したり陳列したりする活き活きした姿にものすごく惹かれてたし、でまあ生協も色んな活動があるけれども、やっぱり事業としてのベースは商品の販売だったので、商品にかかわることの魅力度というのが高くて。
 そして、女性がもっといろんな職種に活躍できるように、チャレンジできるように、そんな道を切り開きたいという思いもあったんですけれども、これもなかなかチャンスがなくて、「どうしようどうしよう」と考えた挙句、人事異動を申し出たんですよ(笑)

―ははー。それが主任になられてから何年目のときですか。

有光:もうだいぶん経ってましたね。
その前に、女性も初めて試験を受けれるようになって、受けて受かりました。そして主任になって、人事でずっと仕事をしていたんですが、それから何年か経ってそういう思いになったんだと思います。はっきりとは憶えてないけどね。主任になってからもまだ人事の仕事をずっとしてました。
 主任になってから結婚して子供もできましたから、「女性も違う職種に」というのはちょっと期間が空きましたね。
 で、「女性が色んな職種に就けるようにしたい」って申し出て、「私は商品にかかわる仕事がしたい」「現場に出たい」と言ったんだけど、伝わらなかったのか、辞令は出たんです。現場への。でも結局はそこの事務主任。お店の事務の仕事やったんですよ(笑)

―直接商品には触れなかったわけですね。

有光:触れなかったんです。ウーンと思って、「どうしよう」と。いつも「どうしたらええんだ」と考えるんですけどね。
 これは今やったら労基法違反で摘発されるかもしれないけれど(笑)お店の事務の仕事っていうのは帳簿をつけたり、農産水産って言って商品分野の売り上げとか帳票をつけたり。そういう仕事ですから、はっきり言って家へ持って帰ってもできるんですよ。
 だから家でできるものは全部家に持って帰ってやっていました。

―え〜、お子さんもいらっしゃるのに。

有光:だからあの頃はほんまに、4−5時間も寝てなかったんちがうかなあ(笑)
 それで勤務時間は、事務担当にもう1人女性がいましたからその子に電話番などをしてもらって、私は店内に出て、そして男性の商品担当の主任とか係長さんに商品のことを一生懸命教えてもらって陳列したり、並べ方を教えてもらったり、そんなことばっかり店舗でしてたんですよ。

―すごいですねえ。

有光:うん、ほんとに。


■通信教育で日本生協連会長賞を受賞

―そのガッツはどこから来るんですか。

有光:だけど一方では結婚して子供を産んで、そして現場に出してくれって出て、ちょうどその時期に今度は係長の試験が受けれる時期がきたんです。けれどあの頃は子どもがまだ小さくて、そして係長とかでポストが上がっていくと、その責任感と子どもの教育と板ばさみで。

―気になりますよね、どうしてもお子さんのことは。

有光:うん、気になって。係長試験をどうしようかって考えた挙句、諦めたんです。というか中断したんです。試験を受けなかった。
 それはあの頃三つ子の魂百までとかいろんな情報も入って、ものすごい悩みがあって、受けるのを断念してたんです。

―そのときお子さんはおいくつぐらいやったですか。

有光:幼稚園ぐらい。保育所に預けるぐらいのときです。
 だけども、大事だとそこで思ったのは、試験は受けないけれどもやっぱり自分の存在感みたいなものを組織の中ではきちっと認めてもらっとらんとダメになってしまうという思いが強くありました。
 それでどうしようと思った結果、全国に生活協同組合って沢山あるんですけれども、そこを束ねている日本生協連というのがあって、そこが全国の生協向けに通信教育してるんです。マネジメントとか財務的なことやリーダーシップ、マーケティングのこと。色んなことを通信教育で勉強する。それを初級中級上級と、それを受けて、これで絶対いい成績をとって、頑張ってるという存在感をきちっと残しとかないといけない。それがひとつの私のチャレンジだったんですよね。

―ははあ、ここにもチャレンジのターゲットがあった。

有光:そうそう。「もう試験も受けないわ」という忘れられた存在になったら、もうダメになるという思いがあって、何とかそれをしとかないといけないと。
 それで頑張って日本生協連会長賞を受賞できました。
 それをしつつ、今お話ししたように仕事を家に持って帰って商品の仕事をやって。
 そうするうちに子供がちょうど小学校へ入る時期がきて、「これで大丈夫かな」と思って初めて係長の試験を受けることになりました。だから何年か試験を受けないブランクがあったんですよ。

―はあ…。何年ぐらい諦めはったんですか。

有光:4年か5年ぐらい諦めてるんじゃないですかね。


■ついに女性初のバイヤーへ

―私ね、有光さんすごい方やなって思うのは、僭越な表現をしますけれども、そういう電卓を速く叩くとか、通信教育で頑張っていい成績をとるとか、ターゲットがあったときにものすごくそこに集中して頑張りはりますよね。でもこういうタイプの方には、得てして人間的な幅が広くない方っていらっしゃるんですよ。今までお会いした方にもいらっしゃいましたけど、でも有光さんはそうじゃなくてすごく人としても懐の深い方で、一方でそういうターゲットが目の前にあった時にはものすごく集中力を発揮される。その両面をお持ちになっているのがすごいなー、と。

有光:いやいや人としてのあれとかはないですけれど、こうと決めたら、何とかそれを成功させたいという思いは強く持ってるタイプなのかなと思いますね。
 そしてその時代、今でもそれが大きな問題なんですけれども、やっぱり時間。仕事する時間というので、急な残業やら一杯あって、時間に対する価値というのが企業ではものすごく強い。だから、女性だから結婚してるから子どもがいるからといって、なかなかそういうことにタイムリーに対応できなければ、これは「やっぱり女性はな」とか「やっぱり子供ができたらな」と評価される時代やったんですね。
 この時間軸の問題を何とかうまくやってキャリアアップしていかないといけない。そういう思いから、「どうしよう」と考えたのが、これはすごく両親を犠牲にしてしまいましてね。
 私の両親は田舎でちょっとした商売をして人を何名か雇ってたんですよ。

―そうですか、経営者さんでいらしたんですね。

有光:経営者なんてそんな、内職の延長みたいな。でも4人か5人ぐらい(従業員が)来ておられましたわ。それを1年ぐらいかかったかな、説得して辞めさせて、「私のところへ同居してくれ」って(笑)田舎から呼び寄せて。そして時間ということにあまり男性とギャップが生じないように。それはね、手を打ったんですよ。

―すごいです。田舎どちらやったんですか。

有光:篠山からさらに奥に丹波の柏原(かいばら)というところがあるでしょう、そこです。JRで1時間半ほどのところの。
 1年ぐらいかかりましたかねえ、辞めてもらうのにずっと説得して。

―あのあたりの方は、やっぱり柏原も城下町ですけど、私城下町の方ってすきなんです、ちょっと武士道精神のようなものが残っているところがありますでしょう。

有光:あるでしょう(笑)うん、うん。
 で、そんなことをしながら、係長試験にチャレンジをしたんですよ。そしたらこれ幸い、1回で合格しましてね。でもそのとき憶えているのは合格したことのうれしさ以上に、合格と同時に出た辞令が、この本部に戻って商品部っていう、商品の仕入れをしたり企画をしたりする、ここのバイヤーの辞令が出たんですよ。

―バイヤーですか、かっこいい。

有光:うん、だから係長に受かって係長になった喜びより、「ああこれで商品に携わる仕事に就ける」という、「認めてくれたんだ」と、これがすごく嬉しかったんです。

―ああ、念願かないましたねえ。

有光:そうなんです。
 本当に、仕事を持って帰って無茶なことをして、でもやっぱりみんな見てるんでしょうねえ。そういう思いが伝わったのか、そんな辞令が出ました。
 だから大きくは、男女共同参画の自分が勤めている間にはそれを大きなテーマで自分がやってきたけれど、私自身は女性も試験が受けれるようにそういう制度の改革と、もう1つは女性が色んな職種に就けれるように、大きくはこの2つの課題へ。
 まあ、簡単にペラペラっとしゃべってるけど(笑)そんなことが自分の本当にいい体験だった、と思いますね。

(「(3)ロールモデル不在でなぜ頑張れたか」につづく)


有光毬子さんインタビュー前編
「志を曲げなかったわが人生」

(1)上司の言葉でライフプランを持てた私

(2)商品に触りたい!職域拡大へのチャレンジ

(3)ロールモデル不在でなぜ頑張れたか

(4)男性と女性でつくる社会へ向けて


後編・「地域に『承認』を持ち込んでみた、『承認』について語った」






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