立教大学教授・河野哲也氏へのインタビュー 5回目です。

 
 数年来の正田の問題意識、「ナルシシズム」が今回の話題です。折りしも偽作曲家、論文捏造疑惑事件…とナルシシストたちがマスコミを賑わします。身近にいるナルシシストたちの困った行動とは、またそれに対する河野氏の答えとは。


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哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメント―男女、発達障害、対話、フロネシス」

(1)人はなぜ平等でなければならないのか


(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

 ■発達障害は全人口の9%
 ■休憩時間問題―ADHDの子は20分しか持たない


(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

 ■日本のルールは「男の甘え」
 ■政治は女性進出で「命」と向き合う政治に
 ■海外の学会は「子連れOK」


(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

 ■リーダーは教育者でなければならない
 ■「対人関係の問題は認知上の問題」(河野)
  「くっつきやすくはがれにくい問題ですね」(正田)
 ■学校が排除してきたから職場で戸惑う
 ■大企業から中小企業への流入
 ■自分の問題にどう向き合うか
 ■「できない」ことの自覚ができない壁


(5)ナルシシズムは悪なのか

 ■ナルシシズムは氏か育ちか
 ■女優さんと政治家はナルシシストの職業
 ■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき
 ■自分の弱点に気づく知性
 ■承認欲求に関わる環境要因
 ■「問題に気づく場」について


(6)ファシリテーターの心得と公共の場
 ■「マネージャーがファシリテーターであることが大事」(正田)
  「僕は『自分は間違っているかもしれない』と思って臨みます」(河野)
 ■”おじさま参加者”をどう扱うか
 ■評価されることのない、ものを言える場を
 ■最もガードが固いのは「お母さん」


(7)心の理論不在の場合の「心の疲れ」
 ■職場は「共通善」を追求する場


(8)背後にあるトップの問題とフロネシス

 ■オーナー企業の閉塞感
 ■組織は良くも悪くもトップ次第
 ■フロネシスをもつリーダーと承認教育


(ききて:正田佐与、撮影:山口裕史)


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(5)ナルシシズムは悪なのか
■ナルシシズムは氏か育ちか


正田:実はそこで、ナルシシズムに関するご質問になるんです。
 E・フロムは『悪について』の中でナルシシズムについて語っています。世の中には自己愛性人格障害という障害があります。またそれの強度なものと思われる、反社会性人格障害という障害があります。自己愛性人格障害は、最近のエポックメーキング的な著作『自己愛過剰社会』によればアメリカで16人に1人、20代で10人に1人の割合でみられ、急速に増加しているそうです。
 最近のわが国での偽作曲家事件、人気漫画家への脅迫状事件、尼崎の家族乗っ取り事件などは強烈なナルシシズムの人格を思わせます。マルハニチロの農薬混入事件もその気配があります。
 先生の『善悪は実在するか』では共感性、互酬性を倫理の基盤としていますが、一方で個別性個体性への理解、配慮もまたその倫理のための方法だというお考えもみられます。もしナルシシズムが遺伝形質としてあるものなら、生まれつきの個別性だから倫理的悪ではないということになってしまわないでしょうか。

河野:僕は基本的に、遺伝的に最初から悪である人はいないと思うんです。発達障害も、別に最初から対人関係が弱い、共感がないというよりも、認知上の問題で共感ができにくくなっているだけであって、それを上手くすれば。自閉症で人間に関心がない人はいないし。

正田:関心があるといっても自分にとってプラスの働きかけをするかどうかというそこにだけ関心が行ったりするのでは?

河野:多分、限られてきちゃったんだと思うんです。

正田:限られてきちゃった。

河野:はい、はい。ずっとそういう扱いを受けてきているので、そういう形の対人関係になってきちゃったんじゃないか。ずっと気がついてもらえなくて多分ずっと一方的に、拒否されることが多いとそうなっちゃう。だから二次障害だと思っているんです。障害が出てくることによって相手の反応が変わって、それによって二次的に障害が起きてくるんじゃないかと思ってるんです。
ナルシシズムも同じだと思うんです。ナルシシズムは誰にもあって、例えば偽作曲家の件でいうと、彼がああなったのはやはり理由があると思うんですよね。最初からそうではなくて、何らかの形で一歩足を踏み込んじゃうと自分では取り返しがつかず行ってしまう場合があると思うんですよね。だから本質的な悪とかがあるわけじゃなくて、そういう風になってしまう、送り込まれてしまう、そっちへ。という風に思います。

正田:どうなんでしょう、私ももとはそう考えていたんですけれども、やっぱり生まれつきのそういう傾向というのはあるようなんです。たとえば、ある人の息子さんは2歳か3歳のころ保育園の先生から「この子は私たちのキャパを超えてすごくいつもいつも褒めてもらわないと気が済まない子ですね」と言われた、という。その息子さんはもう大きくなって20歳ぐらいになって、結局ニートなんです。仕事に就いても続かないで辞めてしまって、を繰り返す。そういう例をみると、やっぱり生まれつき承認欲求が極端に強い人、永遠に満たされなくて定職にも就けない人というのは中にはいるのかな、と。また最近きいた話では親子2代でナルシシストの傾向の強い人というのがいて、近所から煙たがられているらしい。

河野:ああ、なるほど。確かにそういう傾向性の強い人というのはいるかもしれなくて、そういう人は周りの人が知らなかったんじゃないのかなと。やっぱり人に合わせてどうこうするというのをそこで作っていかなきゃいけない。人をどう扱うかというのは。
今までのやり方だと満たされないような承認欲求なのかもしれない、それは生まれつきなのかもしれない。

正田:人の生まれつきの個性と周囲の働きかけは相互作用すると思うんです。一般には生まれつきの個性を強化する方向に働きかけることが多い。承認欲求の極端に強い子に対しては、周囲はそれに負けて承認を与えることの方が多い、だけれどもそれは本人の「勘違い」を強化することになるかもしれないですよね。

河野:だけれども、それがすべて悪くいくかというとそうでもないんじゃないか。


■女優さんと政治家はナルシシストの職業

正田:
この問題については、人材育成業界の先輩で人の個性に詳しい方とこのところよく議論するんですけれども、ナルシシズムに関わる資質がある。ひょっとしたら承認欲求に関わる視床下部の線条体という部位が生まれつき大きい人というのがいるのかもしれません。そのナルシシズムが高い人でさらに他の資質との組み合わせによっては、常にほめられていないと気が済まない。自己顕示欲がすごく強くて、注目されていないと気が済まない。厳しいことを言われたときに反発して物凄い形で仕返しをしたりする。内省はしない。そういう人格の人は残念ながらいるようだと。
 コーチングでも一般に「強みは伸ばしましょう」という建前になっているんだけれども、ナルシシズムの資質だけは非常に伸ばしにくいのだそうです。例外的に、例えば芸術的才能に恵まれていて、なおかついい師匠に会ったらそこで開花する可能性がある。

河野:かもしれません。芸能人でそういうタイプの人はいるかもしれません。
ある女優さんが私の家の近くに住んでいますけど、かなりそれに近いですよ。

正田:あ、そうですか。ほう。どうですか。

河野:やっぱりナルシスティックだし、常に女優なんです。常に見て欲しいし、そのオーラがあるわけですよ。「見て欲しいオーラ」というのがあって(笑)普通の人と違うんですよ。

正田:はいはい。見て欲しいオーラですか…。私にはないものですねえ(苦笑)

河野:その女優さんの場合はまさにナルシスティックな人で、常にほめてほしいし常に見て欲しいし。ほめるに値することをやるし。それがまさに、「女優」という感じ。そういう人は、自分の本来持っているものと天職が合ったんでしょうね。ただそれは演技のほうの才能もないといけない(笑)ただそういう人はもしかしたら演技のほうの才能があるかもしれませんよね。

正田:そうですよね。

河野:まあずべての人がそういう風にするというのは難しいかもしれない。そういう人たちってプライドが高いので他人の影響で自分を変えないので、確かに教育には乗りにくいかもしれませんよね。
それでも、必ずしもそれが悪くなっちゃうかというとそうでもない気がする。
ぼくの親戚でもそういう人はいるけれども、押し出しが強いですよね。よくありますよ。場を圧する力。もしかして政治家に向いているかもしれない。

正田:おっしゃる通り、政治家って多分ナルシシズムがすごく高い人ばっかりなんだろうなって(笑)あれだけポスターに向かってニカッと笑って、その顔をずっと維持したまま有権者と握手して回る、そして「私はこんなすばらしいことをします」と言い続ける…。

河野:そうそう。いかに政策が良くて頭が良くて人の役に立ったとしても、自己顕示欲がなければ政治家になれないと思うんですよね。

正田:そうですねえ…。

河野:なったとしても、目立たない(笑)いい人ではあるけれど、目立たない。
だからとてつもない自己顕示欲と自己愛というのが、やっぱり政治家には必要なのかもしれません。
ただ政治家ってそれだけでもやっぱりダメで、自分はそういう人間なんだけど人の役に立つぐらいに思わないと。それはそれで居場所があると思うんですけど。
リーダーってある程度そういうところがないといけないのかもしれませんね。ただあまり極端だと、人のことを考えないようではいけませんけれど、バランスの問題でしょうけれど。


■性欲、権力欲、自己顕示欲、嘘つき

正田:
その極端なほうの例で言いますと、私の知っている中小企業の経営者で、ナルシシズムのものすごく高い、そして仕事面でもすごく有能なんですけど、女性に汚くてですね(笑)、会社の女性に軒並み手をつけちゃって奥さんにもばれて、その女性たちを退職させるような羽目になってしまう。

河野:あー。それはよろしくないですね(笑)

正田:承認欲求の最たるものは恋愛、(異性愛者ならば)異性からの愛だという、それは「承認論」の提唱者の同志社の太田肇先生(教授)も言ってるんです。その経営者自身、「自分の性的魅力をいつも確かめてないと気が済まない」ということを言ってるんですけど(笑)、際限なくそれを満たそうとしてしまうんですね。

河野:どうなんでしょうね、そういうのって脳の問題というか心の問題なのかもしれないんですけれど、どうしたらそういうのって満足するんでしょうかね、永遠に満足しないんですかね。

正田:あとはですね、あまり芸術的才能と縁のないところ、日常的なところでのナルシシストの症状でいうと、「職場で変な噂を流す」っていうのはよくやるみたいなんです。リーダーからよくそういう相談を受けます。

河野:変な噂っていうのはそれで注目されるし人をコントロールできるんで、権力欲が強い、権力欲の表れだと思うんですよね。

正田:権力欲というか、自己顕示欲というか。

河野:でもそれは良くないことなんで、倫理的な問題ですからね、それはわかってもらうしかないですね。

正田:そうですね…。それで結局リストラのリストの1番上に載っちゃうんです。

河野:なりますよね。それはどう考えても悪いことをしてるんでリストラのリストに上がるのは当然のことなんだけど、本人がそれを解ってないのが不幸ですよね。
どうして自覚させるかですよね。

正田:どうやって自覚するんでしょうね…。現実にナルシシストについて職場で扱いが難しいのは、注意されるとキレる、逆恨みする、だけでなくひどい形で仕返しする、それこそ注意した相手について変な噂を流すとか、それが怖いので周囲が注意しなくなっちゃう、問題行動を大目にみるようになっちゃう。それでその職場の善悪の基準全体がおかしくなってしまう。それが目に余るのでそれもあってリストラのリスト最上位になってしまうのだろうと思うんです。

河野:自覚させるというところが非常にむずかしいわけですね。


■自分の弱点に気づく知性

河野:
ただ、先ほどのその女優さんというのは、自分がそう(ナルシシスト)であることは解ってますよね。

正田:あ、そうなんですか。

河野:当然そう。そういう職業なんですよね。
ただ、謙虚なところもあって、僕の知り合いのブティックでいつも服を買うんですよね。「私服装のセンスがすごく悪いから、女優のくせに。だから服は全部あなたが選んでね」。こういう傲慢な感じでくるんだそうです(笑)

正田:そうなんですか(笑)

河野:それって面白い話ですよね。まさに女優としての張りはあるんだけど、自分は美的なセンスは、服装のセンスは全然ないんだということはよく解ってて、だから信頼できるお店に全部任せるスタンスで、「いい服選んでよね!」とこう強気な感じでくる。「はい」って売るんだ、というんですけれども(笑)
まあそれは、自分の強みと弱みが解ってらっしゃるからいいんだろうと思うんですよね。自分のナルシスティックなところというのは逆に女優としては張りであるし、カリスマ性というかオーラになっているんだけれども、「服はダメなんで」っていう。ちゃんとそういうのが解っていて。
だからこそ、ああなるほどこういう人たちはちゃんと生き残っていけるんだなと。結構言えばだれでも知ってる女優さんですよ。

正田:え!知りたい知りたい(笑)

河野:年配の方ですよ。まあナルシシストの人はそうなるといいですよね。

正田:そうですね。

河野:だから自分の弱点というのは消せないかもしれないんだけれど、でも強みでもあるんで、それをちゃんと活かせるように自己認識ができるといいですよね。
どうしたらそういうのを解るんですかね。

正田:どうですかね、ナルシスティックな部分と、クレバー…知性の部分と両立していればいいんでしょうけど。
その女優さんの場合だと恐らく、スターシステムの高みを目指すとか、常にトップステージを維持していないといけないという目標、かつ自分の強みとリンクした目標が確固としてあるんだと思います。それだとその目標に向かうために障害になる弱みを認識して潰す、という発想ができるかもしれないですね。だから目標達成に必要な表現力とかの能力があって、知性もあって、という。

河野:知性が低くてナルシスティックだとダメなんでしょうかね、やっぱり(笑)

正田:やっぱり結構そういう人の話はききますねえ。

河野:そうですか。どうしたら聴いてくれるんでしょうかねえ。発達障害の場合と違って似た人同士で集めて学ぶというのは難しいかもしれないですね。プライドが高くて学習能力がないようでは(笑)

正田: そうなんです、ナルシシズムというのは決定的な学習能力の弱さにつながってしまうかもしれないんです。自分の不足を認識してくそっと思って、周りのレベルに届かないのは何故?というプロセスが働かないですよね。

河野:ええ。そうですよね、そのプライドの高さが「くそっ」ていうのにつながっていい回転になるといいですけどね。そうじゃなくて、守っちゃったり排除したりするようだとダメですよね。

正田:ですね。
 先ほどの先輩によると、ナルシシズムをもっていてかつほかの能力があまり高くない人ですと、例えば学校で「この問題わかる人!」というと、本当は「ハーイ」と手を挙げたいのに、でも手を挙げて答えが間違っていたらと思うといつまでも手を挙げれない。みんなの前で間違うという屈辱を味わうのは耐えられない。そのうちにほかの人がハーイと手を挙げて正しい答えをして拍手をもらったりすると、くやしくてその手を挙げた人を憎んじゃったりする。そういうネガティブ感情の塊になってしまう。ナルシシストの方って。

河野:それだけやっぱり肯定感がないんでしょうね。なんで人ができることが自分ができないことを比較するのかなあと僕なんかは思うけど。やっぱりいつも比較されているんでしょうか。


■承認欲求に関わる環境要因

河野:
承認欲求が強いということは、人から優れていると認めてほしいんでしょうかそれともただ単に人に受け入れられたいんでしょうか。仲間になりたいんでしょうか。

正田:TA(交流分析)のストロークという考え方を使うと、悪いストロークを出すのも承認欲求の表れだ、と言いますよね。他人からのストロークが欲しい一心で悪いこともしちゃう。

河野:認められたいってどういう気分なのかなあと思うんですよね。優れていると認められたいというのはどういう気持ちなのか、って。そうすると丁寧に扱ってくれるわけですか。

正田:うーん。

河野:いや、優れていると言われて何が嬉しいのかなと最近思って。

正田:そうですか。先生ファシリテーションお上手ですねって言われて嬉しくないですか(笑)

河野:そんなに上手いと思ってないし。今は上手くいったけど次上手くいくかどうかは解らないし。

正田:あ、そうですか(笑)

河野:さっきの「クールな能力評価」みたいなもので、喜んでもあまり役に立たないじゃないですか。

正田:それは、先生やっぱり健全な方だと思います。承認欲求が極端に強くないということは。
技量が優れているかどうかは別に、例えば大学教授であられたり著書を出版されたり、あるいはファシリテーターとして人前に出るということでも、普通以上に承認欲求が満たされていらっしゃると思いますよ。

河野:認められたいというのは何かに帰属したいということなのか仲間として認められたいということなのか。あとは優位に立ちたいということなのか。

正田:仲間と認められたいというのは健全な承認欲求の範囲だと思うんです。むしろそれくらいはみんなに持っていてほしい。ただ近年はスマホの普及もあって若い人に「空気を読む」というのが蔓延して、「仲間と認められたい」が高じて「仲間から排除されるのが怖い」という、後ろ向きの承認欲求が目立つようになっていますが。

河野:そうですね。
 多分、上位にいなければ仲間でいられない、と思っているのかなあ。

正田:スクールカーストの問題とかはまさにそうですね。
 自己顕示欲に関しては、ナルシシストにとっては他人が注目されたら自分は注目されない、幸せがトレードオフなんですよ。

河野:ああなるほど。ゼロサムなんですね。なぜそうなんですかね。

正田:わかりません。

河野:そこの発想おもしろいじゃないですか。誰かが注目されたら誰かが注目されなくなるというのは。こう、奪うものなんですね、きっとね。愛の総量みたいなものがあって、奪うものなんですよ。そういう経験をどこかでしているかもわからない。
 先天的なものって「変わらない」という意味だけであって、どういう行動パターンなのかというのはまた考えなきゃいけないですよね。脳がこうだからというのは後付けの話にすぎないので、それはそうなんだではなくて、それを変える手段というのはきっとあると思うんですよ。

正田:そうですね。
 あ、考えてみたら団塊の世代にはナルシシズムの強い人が多いですね。ベビーブームで一学級が50人も60人もいて教室からあふれ出すようにして授業していた、学校時代も就職してからもひときわ数が多かった中で注目されるために血道を上げてきた、その闘いの勝者として勝ち残った人たちはナルシシズムの匂いをぷんぷんさせ、少し下の世代を威嚇して委縮させ思考能力を奪ってきましたし定年後も現役世代に影響力を持ちたがる人たちが多い。介護職の人たちは、団塊の世代が要介護者になることに戦々恐々としていますけれども。
ということは世代的な特徴があるということは、ある環境の下で育つとそうなりやすいということですよね。

河野:そうですね。承認欲求は誰にでもあって、かつそれの強い気質をもった人というのはいるかもしれないけれど、度を超えるというのは多分、社会的な要因じゃないかなと。
統合失調症みたいに、器質性の病と言われていたものが最近環境要因が大きいことがわかってきたので、やっぱり環境要因が大きいんじゃないかなと思うんです。

正田:ああ、そうですか。統合失調症が。

河野:統合失調症ってしかも、社会的な病のような気がしています。ある社会では出ないんじゃないか。今の統合失調症は昔と違ってきてそれほど重症ではない。50年代にヨーロッパで撮った統合失調症の映像をみると一発で「これは統合失調症ですね」とわかるくらいはっきりしている。今はあまりそんなにわかりやすく出てこないんです。軽くなってる。軽くなってるけれども、それほど重症じゃない。
だから、統合失調症になる気質というのはどこかにあり続けてるんですけれども、表出の仕方は随分社会によって変わってくるだろうと思うんです。

正田:一昨年インタビューした遺伝子学者の方によると、統合失調症になりやすい遺伝子はあるんだそうですけれどもそれがオンになるか、それとも一生スイッチが入らないで生きられるかは食べ物が関係するんだという研究が最近まとまったということでしたね。ただそれだけではないだろうと思います。やはり食べ物以外に社会関係、人間関係が影響するのだろうと思います。

河野:同じようにナルシシズムも誰もが持っているし強い人もいるかもしれないけれども、それがどんな形で出てくるかというのはやっぱり社会的な要因で、こじれてしまったらなかなか人間って歳を取ると変わりにくくなるかもしれない。
さっきの女優さんみたいにうまくそれを自分で統御して、自分の職業にプラスにしている人もいます。
まあこちらの『当事者研究』にあるように、今の状態からどうするかが問題なんであって、原因を問うても仕方がない気がしますね。

正田:はい。

河野:まあそういうのは、自分で問題を認識することがないと、不幸ですよね。周りの対処の仕方があると思うんだけれども、自分はこうこうで、と思っちゃってるんだということを知る必要がありますよね。

正田:そうですよね。
 ナルシシズム形成に教育の影響も結構大きくて、わたしどもが猛省しないといけないところです。
コーチングも心理学の端くれをやっていますけれども、世間一般にある心理学セミナーの類に好んで通う人にもナルシシストの人はよくみられます。「ありのままの自分を受け入れましょう」「強みを活かしましょう」「自分の本質を感じましょう」といった言辞が、ナルシシストの人には甘美に響いてしまうので、わたしどもそこには非常に注意を払っています。心理学セミナーに行った人がナルシシストの顔になって帰ってくることは多いです。当協会から他流派に流れてしまう人にはそのパターンが多いです(苦笑)
 だからわが社、厳しいですよ。「承認」のトレーニングはある意味、他人の美点に目を留めよ、外界の素朴な観察者であれ、ということを強く言っているので、リーダーがナルシシズム、自分の美点にばかり関心がいくということにはなりにくいプログラムではありますね。



■「問題に気づく場」について


河野:
ナルシシズムにしても発達障害にしても、問題のある人は見ているとある程度わかるので。対処の仕方をある程度人によって変えられますよね。
 だからやっぱり周りも認識しているかどうかが大きい気がしますね。ぴんとくるかという。
 大学にいるとそういう子を沢山みるので、ぴんときますけれどね。

正田:ああそうですか。沢山ご覧になっているから。

河野:センサーを働かせる機会が多かったので段々わかってきた感じですね。
 大学だと学生相談があって、そこでは勉強の相談ももちろんあります。「授業が難しくてついていけません」とか「どういう風に履修したらいいでしょうか」というのも。あとは生活上の相談ですが、大体二分されていて、経済的な問題か、障害あるいは精神疾患なんです。まあ本当の体の病気の場合もありますけれどね。大体病気か、金銭問題かの2パターンです。金銭問題のほうはお金のことを考えるという対処になります。
 病気の場合は来ただけでOKなんです。自分で何か問題があると思ってきているので。で対処のしようもあるんですけど。そうじゃない場合は大変ですよね。

正田:そうですよね。先生、例えば研究室に来られる学生さんで、本人は自覚してないけどこういう問題がありそうだと思われたときってどうなさってますか。

河野:特別なことはしませんね。ただ、こういうの(当事者研究など)を扱うことが多いので、本人たちが段々気がついてきますけれどね。

正田:ああそうかそうか、先生の研究室の場合は研究対象がこうでいらっしゃるから。

河野:ある場合は、ですね。軽ければ、僕も自閉症の当事者研究などをみて、ああわかる、ということが結構あるわけで、逆に「全然これわからない」という人は何らかのセンサーが鈍いんじゃないかと思います。人間の何かの普遍的な傾向というのが強く出たのが自閉症という病気だと思うので、これ(当事者研究など)読んでも全然自分と関係ないという人はちょっと鈍い。もしかして色んなことに気がついてないんじゃないかと。

正田:そうですね。
 以前、職場で「発達障碍者いじめ」というケースに遭って、あわてて綾屋紗月さんの本を紹介したり色んなことをやったんですが、みているとやっぱりそれをやるいじめ主のほうも、「いじめっ子傾向」というんですか、ある意味他人の痛みに気がつかないとか他人の問題に腹がたつことを抑えられないとかいう、障害と言えるかもしれないものを持っているわけですね。

河野:結構同種だったりするし、本人が問題を抱えている場合もある。多いですね。
自分のそれに気がつきたくないんですよね。

正田:ああ、おっしゃる通りですね。

河野:それを、本人にも気がつかせるといい。「なぜこの人のこれを問題だと思うんですか?」って、哲学対話で洗い出すことができると思うんです。
「どうしてこうなんですか」「どうしてこうだと思ったんですか」訊いていくと自分の問題にも気がつくと思うんです。

正田:去年河野先生主催の哲学対話のシンポジウムに行かしていただいて、まだ全部消化しきれてないんですけれども、何とかコーチングの中にも取り入れられないかなあと思いながら。

河野:はい。1人1人のことをよく聴く、よく理解するためにはすごく役に立つと思います。心理学のカウンセリングではないので、今与えられた状態をそのまま受け入れたうえでどうするか。
「あなたこういう病気です」ではなくて、まさに自己診断の病名をつけるのが一番大切なんです。この「べてるの家」に先々週も行ってきたんですけれども、そこで一番大切なのは、自分で自己診断をつけること。「統合失調症です」じゃなくて、自分で「何とか何とかタイプの病気です」と、自分で問題を自己診断することが大切。それが第一歩なんですよね。
 だからそこを何とか、対話で見つけるということができるんじゃないですかね…。
 何のいい悪いの価値判断もない、腹を割った話し合いができるといいんじゃないですかね。職場での問題というのを単に話し合うと。そんなことをやってみてもいいかなあと思うんですよね。沢山出てくると思うんですよね。

正田:出ると思います。

河野:それをフラットに上下なくちゃんと話し合える場。
 うちの学生で就職が最初難しくて4年やって今度編入で入ってきた、編入は3年へ編入する。そうすると3年から入るともう、哲学対話しかやらない。すると今度の就職のときすごく楽になった。

正田:ほう、ほう。

河野:なぜかというと、自分が何を求めているかが解りやすくなったし、相手のことも解りやすくなったし、表現、自己開示もしやすくなったので、すごく就職も簡単だったと。昔就職活動やって苦しんだのと比べてずっと楽になったと。やっぱり効果はあるなと思うんです。

正田:そうですか、それはすごいです。


(6)ファシリテーターの心得と公共の場 に続く



哲学者・河野哲也氏インタビュー「生命尊重のマネジメントとは―男女、発達障害、対話、フロネシス」




(1)人はなぜ平等でなければならないのか

(2)もっともポピュラーな障害―発達障害との共生(1)

(3)「男の甘え」から「生命尊重の社会」へ―男女共同参画

(4)できないことの自覚から始まる―発達障害との共生(2)

(5)ナルシシズムは悪なのか

(6)ファシリテーターの心得と公共の場

(7)「心の理論」不在の場合の「心の疲れ」

(8)背後にあるトップの問題とフロネシス(終)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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