以前朝ドラの「ちりとてちん」愛でこのブログにも記事を書きました


「徒然亭若狭のそだて方」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51307775.html#more


(でもこのドラマの脚本はすごく良かったんだけど、この藤本有紀さんという人そのあと「平清盛」の脚本も担当したんですよねー。何だったんでしょうねあれ。それは余談)



ここにあるように、噺家さんの「年季奉公」では3年間、無給で師匠の家の家事をこなしながら人の心を学ぶのだそうです。

でもなんでそんなことが必要なんだろ?って思いませんか?

最近になってわたしが思うことがあります。それは、

人前で話をして食っていきたい、なんていうことを考える人というのは、大抵傲慢不遜な性格なんです。私もその例にもれないでしょう。

それは、過去12年この業界の人と一緒に仕事をして、あるいは堅気の人だけど人に教える仕事をしたいと言ってきた人をみてきて思います。

あくまでうちにくる人は、ですけど、一生懸命背伸びをして師匠(この場合はわたし)よりすごいんだということを見せようとして、やっぱり馬脚をあらわす。というパターンが多い。
40代ぐらいになった人がメンツが潰れると、ダメージが大きいですね。メンツは、低めに維持したほうがいいと思います。
あなたはあなたで価値ある人生をこれまで送って来たと思うけど、でも「1位マネージャー」を作ったことはないでしょ。少し黙って師匠がどうやってるのかみといたらどうですか。と、思う。


で、「年季奉公」という発想が出てきます。その業界で食っていきたい以上は絶対通らないといけない。師匠との間の縦の師弟関係。


実際にやろうとまでは正直思いませんけれど、

「他人のために徹した存在になる」

ということを教え込みたいな、と思うことはあります。

あなたがしゃべるのは、あなたの素晴らしさをひけらかすためではなくて、100%相手のための存在になりきるんだよ。

結局いつも「人に教えるということ」で言ってるのと一緒ですね。


そしていつも困るのが、「マネージャー育成」という仕事のリアリティのなさであります。目の前の彼らを喜ばせるというよりは、彼ら彼女らが職場に帰ったあとうまくいく、というところに想像力を働かせないといけないので。その想像力こそが当協会の強みであり、そして伝えるのが難しいものであります。
多くの場面で人様とは意見が別れるのですが、なぜそうでないといけないのか語るのは難しいのです。


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「代表的日本人」の中の二宮尊徳のエピソードだったと思いますが、

尊徳翁が名声高くなり門前に人が溢れるようになったころ、遠方から汚いなりで来て弟子入りしたいと何日も座り込みをした若者がおりました。

あまりしつこいので尊徳が家の中に招じ入れ、「では台所番をせよ」と言いました。


若者が師匠にお膳を運んでくると、尊徳翁はお膳をじろりと見て

みると沢庵がちゃんと下まで切れておらず、端を持つと全部つながって持ち上がってしまう。

それを青年の手に載せて


「これを持って帰りなさい」

やっとのことで入門できた青年はあっさり破門になってしまったという。


これなどわたしも耳が痛い話で、しょっちゅうそれに近いチョンボをしていそうですが、

このエピソードを引いて尊徳は傲慢で芝居がかってていけすかん、という人もいるそうです。


わたしが思うに、尊徳はコンサル会社の社長として、そこに就職したがる人と欲しい人材のミスマッチをよく知っていたんじゃないかと思います。

よその藩の財政に関わって良くするという仕事は、ひとたび名声がたつと、

「オレも天下に関わりリスペクトされる仕事がしたい」

という不遜な若者を惹きつける。

でもそういう志を持った人が、「人様のため」に徹して報われない地味な仕事を何年もやり続けることができるとは限りません。
むしろ地味な仕事が嫌いなナルシシストかもしれないというのが大いにあり得ます。自分の地元の野良仕事を放り出してくるというのは。


ナルシシストに対する「叱り方」としてみると、この話は割合おもしろいです。



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今日、一つささやかな仕事を終えました。

福島の原発事故でも、大津波を予見した人はいたのです。

予見できることに警鐘を鳴らすこと。ささやかにできること。


いつか自分に「あなたは力の限りできることをやった」と、行動承認の形で言ってあげたいと思います。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会