きのうのブログ記事「『けしからん!』では済まない現実」は、フェイスブックの数年来の信頼できるビジネスパーソンのお友達が「シェア」してくださいました。またきのうの記事にも登場されたお友達「池永さん」から、真摯なコメントをいただきました。


池永さんのご了解をいただき、コメントのやりとりをここに転載させていただきます。
悪意のひとは、「ほめてもらったのを得意げに載せやがって」と、思うかもしれません。(まあそのタイプの人は読まないでください)できればNPOの会員さんは、読んでいただきたいな。

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池永さん:おはようございます。
「論語読みの論語知らず」の私には過分なお言葉を頂き恐縮です。
本日のブログもヘーゲルの「承認をめぐる闘争」を想起させる示唆に富んだ興味深いものでした。
いつもありがとうございます。


正田:ありがとうございます。引用させていただきました。
ヘーゲルそんなこと言ってたんですか?恥ずかし…
(あわててアマゾンにとんでいきました)


池永さん:初期ヘーゲルの思考モデルで、ジョン・ロックの思想にも通じるもので、
人間は(承認を求めての命懸けの闘争)を行うと述べています。

小林秀雄も「人は社会に正しく負けなければならない。つまり承認を得なければならないので有る」との主旨の事を彼一流の表現で述べています。
ヘーゲルのそれに纏わるものとしてテイラーの「承認の政治」の解説の一部を引用すれば、
承認の政治・概要「集団やそのなかに生きる個人が自らの文化やアイデンティティの適切な承認を求めて行う主張・運動や、それをめぐる論争・交渉のこと。」
あくまでこれはヘーゲルの主張のごく一片の解説で有って、彼の哲学は断章取義できるものでは有りませんが。

それよりも私が感心させられたのは、正田さんがヘーゲルのこの思考モデルを意識せず、つまり巧まずして相通じる主張をされた事です。
それは正田さんの問題意識の高さ、見識の確かさを証明して余りある事と感銘を受けました。


正田:池永さん、ありがとうございます!
今年は、ひょっとして頂いたこのテーマを中心に学んでいくことになるかもしれません
お恥ずかしいことに、承認の概念の起源はマズローまでしかたどれていませんでした。しかし以前より承認は心理学より哲学・倫理学の世界のもののように感じていました。そう思って先日は哲学者と対談をしたのですが、先方からはそういう話は出ませんでした。
21世紀日本のマネジメント思想・社会思想として完成度の高いものにしていきたいというのが今のわたしのささやかな願望です。
池永さんからのご示唆、大変ありがたかったです。自分がまだ全然未熟だと気付かされました。


池永さん:私の拙いコメントが何らかのお役に立ったとすれば幸いです。
正田さんの「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を実践される相手を立てる謙虚な御姿勢には敬服するばかりです。
日本のマネジメント思想に対する理解度の低さは先進国の中でも際立っておりますので、正田さんのお取り組みはこれからの日本に欠くべからざるものと愚虜致します。

蛇足ながら概読されていたらご容赦頂きたいのですが、そのお取り組みに資するものとして「同感」という言葉の語源となったアダム・スミスの「道徳感情論」もお薦めです。


正田:池永さん、ご紹介ありがとうございます!
今、「道徳感情論」も注文してみました。つい昨年文庫版が新しく出ているのですね。
池永さんを信頼して、少し大風呂敷を広げたいと思います。
先人たちの思考の跡に敬意を表したどることも十分に行いたいのですが、わたしたちは成人が「承認」に習熟し確信ある担い手となったときに、実際にどれほど大きな好ましい変化が起こるかについて、統計や業績上昇の記録を積み重ねてきています。その作業は、恐らく人類史上でも前人未到のものであると思います。リアルタイムに目の前でそれが起きている、ということも、信じていただきたいのです。これは、わたしたち自身が信じてやり続けなければならないことなので―。


池永さん:勿論です。「温故知新」物事の足腰、土台となる先人の教えは徒や疎かにはできませんが、リアルタイムでそれが役立つ事、未来に資する現在の取り組みが何よりも大切で有ることは言を俟ちません。
だからこそ正田さんのお取り組みが我が国に欠くべからざるものと確信しております。


正田:池永さん、身に余るお言葉をありがとうございます。
自分を見失わないよう、精進したいと存じます。
また、このたびのやりとりをブログでご紹介させていただいても
構いませんでしょうか?


池永さん:以前も申しました様に私は思った事しか申し上げません。
もしかしたら気分を害される事も有るかも知れませんが、必ずや意の有るところを汲んで頂けると信じております。
それが君子の交わりで有り、美辞麗句を並べるよりは遥かに有意義な人間関係を構築できるものと愚虜しております。

元よりメッセージと違いコメントはオフィシャルなものですから拙コメントで宜しければ如何様にもお使い下さい。
ただ、時間的制約や文字数の関係上、言葉足らずな部分や意を尽くしきれていない部分も有り、他の方々の鑑賞に耐えるかどうかは疑問ですが、普段は正田さんの読解力に信倚して投稿している事も予めご理解を頂いた上で、拙コメントがお役に立つ様でしたら喜んで。


以上


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 池永さん、ありがとうございます!2日続けて引用させていただきました(^^)/


 ・・・なお正田の教養不足で池永さんコメント部分の「裏取り」は完全にはできておりません なので「自己責任」でお読みください。


 アマゾンをみるとヘーゲルのほか、哲学者の片山善博氏(すいません、このひとは元鳥取県知事とは別の人でした)も『差異と承認―共生理念の構築を目指して』を書いていますし政治哲学、法思想としても「承認」があるようだ。うわーうっかりしてた。こっちがおるすになっていた。

 一方には『承認をめぐる病』のような、心理学者が病的に描きだす「承認」「承認欲求」もあるが(確かにそういう世界もあるのだろうが)もっと高次の文脈の「承認」があるのです。そしてわたしたちがやってきたことも、そちらのほうだったろう、と思います。


 ただ、わたしたちほど徹底的に「実践者」のスタンスをとり、そのスタンスで何が起こるか?をみてきたひとはいないだろうと思います。


 実践の世界の人正田はふだん平易な言葉でしか話さないので、このたびは池永さんがわたしの言葉を「思想」の言葉に翻訳してくださったようです。ありがたいことです。


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 去年、わたしたちの主催事業に地域の公的経営支援機関さんが一斉に「後援名義」をつけてくれたのに、メディアは頑として反応しなかった。おかげで大コケして面目まるつぶれになったし、あまりにも「書かない」と、うちが反社会勢力と関わりがあるんじゃないか?特定政治、宗教団体と関わりがあるんじゃないか?と邪推されるんじゃないかと心配にもなった。先日は見かねて財界の大御所も動いてくださるみたいなことになった。


 今の心境は、むしろ書いてもらわんでいいよ、大人の仕事の値打ちが下がる、という心境です。

(どうせ大人の仕事のことなんて社会の仕組みなんてわからないんだから。いや、ほんとにそういう問題なんだなって今回わかりました。ただもうオボちゃん報道終わって、大人の女の人に迷惑かけないで、っていうのは思います。「混同」が引き続きものすごいダメージです。)


 書かれる書かれないにかかわらず、昨年うちは金メダル級のお仕事を8こもやりました。それは12年前からそれ級のお仕事をしてきたのが、蓄積が実って去年開花したものです。真っ当に正直にやり続け、この社会に今でも残る(希少価値になりつつある)真っ当な感覚の人たちの心に響いてきました。

 さあ、今からはそれはどう変わるでしょうか・・・。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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