『独裁力』というジャンルが出てきています。


『独裁力―ビジネスパーソンのための権力学入門』(木谷哲夫、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年4月20日)では、

組織の生き残りのためには、

○あるべき姿についてのビジョンだけでなく、
 それを実現するための独裁力が重要なことを理解する
○権力欲で動くのではなく、乾いた視点で、道具として権力を活用する
○「正しい独裁者」を見出し、その人の能力を最大限生かす仕組みをつくる
○権力者を有効にサポートするフォロワーシップを育成する

が、重要だとします。


 強大な権力をもった独裁者。現役の経営者の中で何人思い浮かぶでしょうか。(でも、何人かはいますよね。その人たちがいいか悪いか別にして)

 また、わが国でこうした強いリーダーが生まれにくい素地として、日本には4種類のイデオロギーがあるとします。
 それは、・「すりあわせ」至上主義 ・「強みを生かす」というお題目 ・組織文化のせいにする ・間違った権限委譲の信奉―でした。確かによくみるなあ。本書によれば、アメリカではもともとリーダーの独裁力が強すぎるためにそれを制限する仕組みをつくったのが、独裁力が強くない日本にそれを輸入してまじめに運用してしまったのだという。だから、独裁力を身に着けるためにはリーダーは理論武装しなくてはならない、とも。

 
 そして具体的にどうやって権力基盤を構築するか、動員力を発揮するかのノウハウ部分は本書に譲りましょう。知りたい方は購入してください。


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 さて、
 こうして「独裁力」についての学問的知見が出てきたのはわたし的には歓迎であります。

 それはお客様についてとわたしたちのNPOについてと両方あります。

 お客様について、これまでエグゼクティブ・コーチングでご支援してきたのは多くの場合「独裁者」でありました。その人たちが正しくあるように、かつ個別の場面で部下に上手く対応できるように、とご支援しおおむね上手くいっていたわけです。
 「独裁者」のもつ武器としての「承認」という側面もあったと思います。ここは誤解されやすいところですが「承認」は必ずしも「完全民主制」を意味してはいない。

 それぐらい、経験的に、正しい志や信念をもつリーダーの「突破力」というのはすぐれたもので、合議では出せない力が出せる。


 いっぽうでわたしたちのNPOについては、ご存知のように正田は体力もない、知力もさしてない取り柄のない人間でありますが、
 このブログでも悩ましく延々と書き続けているとおり、当協会の歴史の中では「独裁」にならざるを得なかった事情がありました。

 例えばのはなし、旧コーチング・リーダーズ・スクエア(CLS)時代に、他研修機関の考え方の講師を招いて勉強会をする。
 すると、その中には「他研修機関」のものなのかその講師の個性なのかわかりませんが、甘やかされて育った人特有の「自分甘やかし」のロジックが入っている。会社はマネージャーは個人に対してあれしてくれるべきだ、これしてくれるべきだ、というような。
 
 ―どうも、あるときから感じているのですが、こうした「コーチング」などの心理学的な手法に飛びつくひとや講師になるひとの中にみんなではありませんが相当数、「???」というひとがいるのです―

 わたしなどはそういうのは聞き流すのですが、勉強会参加者でそれまでわたしが信頼していたリーダーがその磁場に巻き込まれ影響されて、それまで言ったことがないような「自分甘やかし」のロジックを言い出す。

 おいおい家族持ちでマネージャーのあなたがそれ言ったら人生おかしなことになるだろ、というような。

 
 そうしたことを何回か経験して深刻に反省し、

「これは同じ『コーチング』という名のもとに全然違う考え方を導入してしまったから、一度わたしを通じて『コーチング』を信頼してくださった受講生さんが無批判に無防備に受け入れてしまう状態になってるんだ。つまりわたしが招いたことだ」

と考えるに至りました。


 要は、玉成混交である。マネージャー育成、というミッションに基づいてこちらで選別してあげなければならない。選別はプロの仕事で、素人さんにはそこまでの判断能力がない。往々にして「甘い」ことを言うほうがその場の受けは良い。


 こうした、「選別はこちらでします」という態度は、本書によるとスティーブ・ジョブズのIpod, Iphoneも同様のコンセプトのようです。お客様が安心して楽しめることを優先し選択肢を狭める、という。「わたしはジョブズだ」というんだろうか、なんと怖れ多い。
 でも、それはお客様の人生を大事に思う姿勢から出ているのだ、ということもわかっていただけますでしょうか。


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 本年のNPO会員名簿には、会員のみなさまから「一言メッセージ」を書いていただいたのですが、その中におふたりほど「正田さん/正田先生の考えのもとに集まられた皆さんとの交流を楽しみにしています」という言葉がありました。

 ご承知のように決して新興宗教のたぐいではない、会員さんも狂信的ではない、良識あるハイパフォーマーの方々です。


 それはわたしの中にある悩ましい思いに少し安堵感を与えてくれたのでした。

 すなわち、例えばかつてのわたしの母校の「国際関係論ゼミ」が別名「中嶋ゼミ」であったように、当協会も「NPO法人企業内コーチ育成協会」と、中立な名称ではあるけれど実質は「正田ゼミ」のような(ミンミンゼミじゃないですよ)ものである。そして、「正田さん/正田先生はおおむね間違ってないことを言ってるな」と思うひとがそこに入ってくれる。コーチングは好きだけど正田は嫌い、というひとは入らなくていい。そういうコンセンサスが成立しつつあるのだな、ということに。


 そのコメントを書かれた1人の方に会って、感謝を述べたあと、「私の中にあのように書かざるを得なくさせるようなものがあったのでしょうか?」と訊きました。そうではない、というお答えでした。どのみちこうした問答で本当の答えを言ってもらえるものなのかわかりませんが―、その方のキャラクターで、多分本当に「そうではない」なんだろうな、と思いました。

 
 昨年度からようやっと個々の集会の幹事さんを任命し、任せるようにした当協会です。冒頭の本で言う「民主独裁企業」への移行はなるでしょうか。

 


 参考記事:

 恩師の「お別れの会」と恩師のいさかいの記憶、そして遺してくれた言葉

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51859894.html
 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp