引き続き「キャッチコピー」が懸案で、うちのNPOの経理担当のYさんとお話しております。


「ねえ、カリスマって誰かに言われたらどう感じます?」

「私がですか!?」

「じゃなくて、だれかが『正田先生ってすっごいカリスマなのよ〜』って言った場合、まだ私に会う前だったらどう感じます?」

「そうですね、すごく頭のいい人、やり手って感じかな」

「ああ、やり手ですね。パキパキパキッと決めていく、みたいな感じですかね」


どうもそれだと本人とイメージ遠そう。

なにしろ「とろい」のも確かだし、研修では強引に持っていかれた、と受講生さんが感じないように気をつけてますからね。


「ほかに、TVとか見ていてすごい人を形容するのにどんな言葉を使ってますかね?」

「『エキスパート』っていうのはどうでしょう。おかしいですか?」

「うーん、その人個人がすごい優秀だ、っていうイメージになるかしら。私の場合人に何かを伝えた結果相手の人が素晴らしくなるんだけどそういうニュアンスが出ない気が」

「そしたら。。あ、最近生徒を合格させちゃうすごい家庭教師の人のことをやってましたけど、やっぱりその人のことは『カリスマ』って言ってました」

「ああ、そうですか。。やっぱり教育の場合はカリスマなのかなあ」


あんまり本気で「カリスマ」を自称しようと思っているわけではないんです。これまで12年間、この手のナルシスティックなコピーを一切使わず、実績一本槍で誠実に訴求してきました。よくまあそれでやれてた、と思いますが。

今、いろんな面で曲がり角にきていて、実績も訴求しきれないほど大きくなってしまったとき、新しい訴求方法を考えるのは必然的な流れなのだろうと思います。数字に反発するタイプの人にはイメージで訴える。それもこの教育で幸せな人を作るために必要な作業です。
…でも数字に反発するタイプの人って大体アレなんですけどね…


 TVやあちこちに「カリスマ」をはじめとする誇大広告ぎみの言葉があふれていて、「カリスマのインフレ」を起こしています。そういうとき大人しい言葉を使っていて損をしていないか?というのもあります…。


「…なんか思い出しました、料理番組で『何々の達人』たとえば『オムレツの達人』のシェフとかが出ていて作り方を教えてくれるんですけど、見てたら『達人』って呼ぶのは『この人の言うことはききましょうね、そのとおりやってみましょうね』っていう意味合いの符牒なんですよね。その場のルールみたいな。穏やかな口調で言ってるけどきこうね、て言う」


なので、研修の時には事務局の人に「先生」と呼んでもらうことに去年からこだわっている私であります。決して声の大きい、強引に持っていくほうのキャラではないのでなおのこと、「先生」と呼ぶことでその場のルールを作ってもらわないといけません。


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午後からある業界団体さんの総会と研修会にご厚意でまぎれこませていただきました。

オフレコのところがあるそうなのでかいつまんで言いますと、所轄庁からの指導がどんどん厳しくなってきている局面らしい。色々義務化されるらしい。

面白かったのが、座談会のあるスピーカーの人が

「今言われているのは、決して嫌なことを言われてるんじゃないんですよ。そもそもやらなあかんことを言われてるんや」

これは1つ前の記事の反発心で凝り固まったナメクジ君たちにもきかせたいなあ、と膝をうちました。

どこの世界にも、変革の必要性をすぐにわかって最新の情報をフォローしてパンパンパンと決断するタイプの人がいます。一方で旧態依然のぬるーい世界にいて反発心でしかきかない人がいます。

ー付記すると、「変革の必要性をわかる」ことにも「最新の情報をキャッチする」ことにも、「認める」ことは関わっているはずです。「認める」のできる人は変化への対応が速いでしょう。逆に「認めない」人がどれだけ非効率かというと。。(以下略)ー

あとのほうの人たちは黒船がこないと変わりたくないと思ってるし、黒船が来ても恨みがましくぶつぶつ言います。

いっしょやなあ。

このいわば茹でがえるさんたちに、節目節目でだれかが上記のようなことを言ってあげないといけないわけですね。
ここでは、変革を迫る所轄庁の側ではなく迫られている法人側の人が上記の言葉を言いました。

 茹でがえるさんのスピード感覚にあわせてずーっと待っていたららちあかないことが世の中ありますからね。こういう言葉で言うのも一種のコーチングかも、と思いました。

 「あなたはどうしたいですか?」でなんでも済ませられれば世話はないですよね。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会


PS 「イコールフッティング」って初めて聞く言葉でしたが「優遇撤廃」っていう意味らしいです。日本語で言おうよ〜