「私たちは生物学的な存在であり、私たちのいっさいは生物学的なプロセスから現れ出てくる。生物学的作用は、自然選択を通して、適応性のある行動に報い、それを奨励する。」


 先日このブログで「わが社の教育は生物学」のような記事を書きましたが(「『化ける』教育、生物学が教養なわけ―『池上彰の教養のススメ』」)

 そこにちょうどこんなフレーズに出会いました。

『経済は「競争」では繁栄しない―信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学』(ポール・ザック、ダイヤモンド社、2013年8月)という本です。出版すぐに読まなかったのは痛恨の極み。


 ここでは、オキシトシンという物質がわたしたち人間の信頼や共感をつかさどり、それが道徳的なふるまいや良い人間関係や経済的繁栄にまでつながることを述べています。


 某団体の教育に新たな理論的支柱が加わったかな、というお話ですね。ただものの性質上、大人が読むとついにやりとしてしまう箇所が随所にあります。著者ポール・ザックは神経経済学者で、オキシトシン研究の大家。TEDでの魅力的な講演再生回数は20000回を超えたとか。


 印象的だったところをご紹介しましょう。


●オキシトシンは、信頼の合図を示されたときと、かつては「同情」と呼ばれ、今では「共感」と呼ばれるものを何かに(例えば可哀想な子どもの映像に)引き起こされたときのどちらか、あるいは両方の場合、どっと分泌される。オキシトシンが急増すると、人はいつもより優しく、寛大で、協力的で、思いやりのある行動をとる。

●オキシトシンの報いは、健康や幸せの増進、そして信じがたいかもしれないが、経済の繁栄まで多岐にわたる。

●社会が成功を収めるか、貧しいままでいるかを決めるもっとも重要な要因は、天然資源の有無、教育や医療の優劣、あるいは国民の勤労意欲の程度でさえないことを実証した。経済的な結果を決めるうえでいちばん重要なのは、じつは信頼性、つまり道徳的な要件なのだ。

●オキシトシンの作用は相手を盲信してしまうことではない。適切な刺激が与えられれば相手を信頼して絆を形成するが、その刺激が消えてしまえば、慎重な状態にさっさと戻る。オキシトシンは、そのような微妙なバランスをとるのを可能にする、反応のすばやい分子だ。


●オキシトシンは母親の母性行動を引き出す。オキシトシンが働くと、苦痛を感じることも気が散ることも減り、母親の務めを果たし続ける。

●しかしそういう母親にオキシトシンの作用を阻害する薬を与えると、自分の子どもでもまったく顧みずに死なせてしまう。悲しいことに、これと同じ現象が人間にも見られる。コカインを吸う母親や、ひどい虐待を受けているため、ストレスホルモンによってオキシトシンの働きが妨げられている女性の場合がそうだ。

●プレーリーハタネズミでは、オスの脳の報酬領域に並ぶオキシトシン受容体の数が多いので、オスは一生群れで暮らし、一雌一雄制を守る。近縁種のアメリカハタネズミのオスは群れを嫌い、メスに不誠実。

―動物にも「おしどり夫婦」になるものとそうでないものがいるんですね。

●オキシトシンの分泌はほかの二つの神経伝達物質「ドーパミン」と「セロトニン」の分泌を誘発する。セロトニンには、不安を減らして気分を良くする効果がある。ドーパミンは目標志向行動や衝動、強化学習にかかわっている。ドーパミンによって、生物は報酬が得られるように動機づけられ、そういう行動を続けることが快感になるのだ。

―これは示唆的ですね。当ブログに繰り返し出てくる、「目標設定と達成は大事だが、ほとんどはその前提として何かが大事。それがないと目標設定まで行き着かない」というのに通じます。オキシトシンとセロトニンとドーパミン、似たようなもののように思っていますがオキシトシンが「親玉」のようです
―本書ではオキシトシンが分泌されたときに信頼や共感と同時に現れるとされる「問題解決能力」については説明していませんが、それはセロトニンとドーパミンの分泌によって説明がつくかもしれません。セロトニンによって行動することに対する恐れの感覚が取り除かれ、またドーパミンによって行動の結果与えられる報酬への期待も高まるだろうからです


●ハグやマッサージはオキシトシンを高めるのに効果的。

―マッサージはいいけどハグはわが国文化では、うーん、どうかな(^^;


●同情心はオキシトシンを上昇させる。病気の子どもについての胸の痛むような詳細が描かれたクリップを見た人たちは、オキシトシンのレベルが基準値から47%も上がった。


●ミラーニューロンは他人の行為を見ているとき同じ行為をするニューロンが発火する。特定の種類の情報については、脳は私たち自身とまわりの人たちとの間にある障壁をあっさり取り壊すので、私たちはまわりの人たちを自分自身と同じぐらい大切に扱いたくなる。


●私たちが目にする状況や学ぶ状況のせいで、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもする」とき、それは一つには、人の快感や苦痛をまるで自分自身のものであるかのように、文字通り経験しているからなのだ。


●共感の4要素。
 1つ目は共有感情で、他者の感覚や行動をなぞる現象や共経験をひと言で言えば、この共有感情ということになるだろう。
 2つ目は自己とは別個の存在として他者を認識することで、これは「心の理論」と呼ばれる認知的能力だ。この能力は、人間では2歳ごろに現れはじめる。私たちは鏡に映った自分を認識しはじめるのと同じころ、母親は自分のたんなる延長ではないということを知り、ほかの人たちは自分のものとは別個の思考や感情を持っているということを理解しはじめる。
―うん、大事ですね、「女の人に甘えない」ということは(きっぱり)
 3つ目は、他人は自分とは違うにもかかわらず、他人の身になる心的柔軟性だ。
 4つ目は、適切な反応を示すのに必要な情動的自己規制で、これは前頭前皮質が発揮する、「実行機能」と呼ばれる特別な能力に依存している。
―先日このブログで「ワーキングメモリ」をとりあげましたね


●「HOME」回路。Human Oxytocin Mediated Empathy(ヒトオキシトシン媒介共感)回路。オキシトシンは、自らが分泌させる二つの快楽神経化学物質セロトニンとドーパミンとあいまって「HOME」回路を作動させる。ドーパミンは相手が感謝の笑みを見せるような「他人に優しい行動」を強化し、セロトニンは気分を高揚させてくれる。このHOME回路があるからこそ、私たちは(少なくともたいていの場合)道徳的な行動を繰り返すのだ。

●人間はさまざまな影響にさらされているので、よくも悪くもなりうるが、安定した安全な状況では、オキシトシンのおかげでたいてい善良だ。オキシトシンは共感を生み出し、共感が原動力となって私たちは道徳的な行動をとり、道徳的行動が信頼を招き、信頼がさらにオキシトシンの分泌を促しオキシトシンがいっそうの共感を生み出す。これこそ、私たちが「善循環」と呼ぶ行動のフィードバック・ループだ。


●ストレス・レベルが高いとオキシトシンの分泌が妨げられる。他人の苦悩を目にすると、私たちは注意を惹かれ、相手の経験していることの一部を経験する。それがオキシトシンの分泌につながりうるが、自分自身の苦悩が特定の閾値を超えているとそうはならない。

●私たちは子どもやかわいい動物は進んで助ける。一つには、何が原因で困っていようと、彼らのせいではないのがわかっているからだ。相手がホームレスの大人や薬物常用者となると、私たちはそこまで情け深く寛容にはなりづらい。

―後半は人によって異論もあるかもしれませんが―、「子ども」ではなくて「若者」ではどうなん?とか「スマホに取り込まれた若者だとどうなん?」とか、色々バリエーションがあり得ます 


●スポーツやゴシップ話は信頼を強める。男性はスポーツの話題を好むが、これも目的は人間的な絆を強めることだ。

●カウンセラーは、クライアントの姿勢を真似ると、そのときのカウンセリングをクライアントが高く評価することが多いのを知っている。身体的な人まねがたくさん見られるクラスは、学生自身も互いの親密さを高く評価するという観察結果がある。


●コーチやCEOなら誰もが目指しているもの、すなわち、全員が同じ目標に狙いを絞って同じことを同じやり方で考えている状態を達成するために、認知的な側面が情動的な側面と手を結べる。心理学者はこれを「共認知」と呼ぶ。それは、誰かの仕草や動きが何を意味し、何がその目的で、現在・過去・未来のほかの行為や出来事とどう関係しているのか、瞬時に悟る能力だ。

―そんなことできるのかと思うかもしれませんけれども最近のこのブログにもそういう状態の職場が出てきましたね


●男性ホルモンのテストステロンはオキシトシンと拮抗する(逆方向の)役割を果たす。テストステロンは好色さや暴力性と結びついているが、もうひとつ、違反者を罰したいという衝動と結びついているらしい。テストステロンレベルが上がったときのほうが、他人を罰する可能性が2倍も高かった。


●テストステロンのジェルを塗った被験者は、最後通牒ゲームでプラシーボを塗ったときと比べ27%気前が悪くなっていた。テストステロンはオキシトシンが受容体に結びつくのを妨げ、それが「善循環」にブレーキをかける。


●信頼されていないことでひどく腹を立てた男性は、ジヒドロテストステロン(DHT)が急増していた。DHTはテストステロンのいわば「ハイオクタン版」で、攻撃性と関連した脳の古い領域を刺激する。脳に与える効果という点で、DHTはテストステロンの5倍ある。そして、攻撃性を解き放つだけではなく、ドーパミンを増やす。すると、攻撃性に快感を覚える。

―サディズムはこうして生まれるのか。怖いですね。DHTが分泌されやすい人はサディストになりやすいのかな?


●テストステロンとドーパミンの組みあわせは反HOMEであり、「優しくしない」ことを強化する完全なシステムなのだった。私はテストステロンとドーパミンのこの脳回路を、”Testosterone Ordaimed Punishment (テストステロンに命じられた処罰)”の頭文字をとって「TOP」と呼んでいる。偶然ながら、TOPは自分が社会階層の「トップ」にいると考えている男性によってしばしば使われる。


●「公共財ゲーム」を使った実験では、厳罰主義のクラブBは最終的に大金を稼ぎ、やりたい放題のクラブAの資産はゼロになった。善に報いるだけでなく悪を制裁することによって向社会的行動を奨励する制度が最高の見返りをもたらすことがはっきりした。

―秩序は性善説だけでは維持できない、という例ですね。


●女性のほうがリスク回避傾向が高い。女性のほうが男性より多額の生命保険をかけ、安全な運転をし退職後のための資金を用心深く投資する。

―わたし自身は残念ながらこれと一致しないですが、少し前の「女性役員が会社を滅ぼす」という報道を考えあわせるとおもしろいかもしれませんね。男性がヒロイズムでばかげた投資をすることがあるかもしれないし、女性はリスクを避けすぎるかもしれない


●女子学生のサッカー選手は、強敵との試合前にテストステロン・レベルが上がり、勝った後も高いレベルが何時間も続いたという調査結果がある。


●多少の競争は好成績につながりうる。適度の競争の適度のストレスは、じつは私たちのためになる。集中力が増し、記憶力と認知的能力が高まり、明確な目標が定まる。ほどほどのストレスはオキシトシンの分泌も促し、そのおかげで私たちは自分の社会的資源を利用するように動機づけられる。


●頻繁に大勝ちすると、その人はテストステロン漬けになり、それが害を招きかねない。長いあいだ、いつもかならず競争に勝っていると、テストステロン特有の醜悪で典型的な男性的行動が強化されることがある。

―ですって、○○さん^^


●人はトップに立つと、嫌な人間に変わるらしいのだ。組織を調べてみると、罰当たりな言葉を吐いたり、不謹慎に戯れたり、とげとげしくからかったりという、ひどく無礼で不適切な行動は、役員室で不釣り合いなまでに多く見られる。高い社会的地位を獲得すると、孤独になるだけでなく、道徳的にも危うくなるらしい。

●権力の座にある人は、視線を合わせることがずっと少ない。少なくとも力のない人(女性の場合が多い)が話しているときは、そうだ。


●オキシトシンと共感が減ると、他人はよそ者や敵となり、さらに劣等者や悪魔に変わる。テストステロンに力を発揮させ、共感を減らし、罰したいという欲求を募らせるには、自らの集団の存続に対する外部の脅威をでっちあげればいいのだ。


●内集団と外集団の区別のせいで、共感が抑えられ、非常によくない事態になる場合があるのは、一つには、私たちが群衆に従うとドーパミンのシステムが作動して、集団浅慮や服従が快くなるからだ。高いテストステロン・レベル、権威への服従、集団の圧力、人間性を喪失させる抽象概念といった要因が合わさると、1930年代・40年代のナチスの狂気や、19世紀のコンゴにおけるベルギー人の蛮行などにつながる。ベルギー人たちは、ゴムのプランテーションの収穫が少ないと、罰として労働者の子どもたちの手足を切り落とした。


●男性のテストステロンは30歳ごろから自然に減りはじめ、男性は歳をとるにつれて攻撃性が薄れ、共感的になるので、女性の閉経期に相当する男性の更年期に入ると、罪を犯す可能性が年齢とともに減っていく。だんせいは30歳ごろに前頭前皮質の配線がようやく完了し、脳の実行機能が向上して、衝動を抑えるのがうまくなり、慎重さが増す。


●男性が一人の女性とだけの関係を確立したときにも、テストステロンの効果は弱まり、その女性とのあいだに子どもができると、テストステロン・レベルはさらに下がる。


●より多くの共感を持った男性を子どもの養育にもっとかかわらせることには、ほかにも利点がある。子どもがすっかり共感的な人間になるのにはオキシトシン受容体が必要で、それを発達させるのに欠かせない、愛情に満ちた注意の量を男性が増やせるからだ。


●その逆も起こりうる。機能不全に陥った親は、共感能力が乏しい傾向にあり、その結果、子どもはストレスを抱え、傷つく。そして、十分なオキシトシン受容体を持たずに育って共感能力が乏しい大人となり、新たな悪循環が始まるのだ。

―よくわかります。働いている人でも共感能力が一定レベル以下の低い人は、わたしは「問題解決能力が低い人」とみなして相談ごとをもちかけない傾向にあります。遺伝だろうか家庭環境だろうか、と思います 一定レベル以上共感能力の高い人はたぶん一定以上の家庭教育を受けてきているのでしょうが、今から育つ大人の中に果たしてどれほどそういうひとがいるのだろうか・・・


●テストステロンのほか、虐待などのトラウマを抱えた人もオキシトシンが分泌されず、人を信頼する行動を起こしたり信頼に応える行動を起こしたりすることができない。

●「無条件非返礼主義者」というタイプの人が5%ほどいて、この人たちはなんと過剰なオキシトシンが検出された。日頃から過剰なオキシトシンが分泌され、刺激を与えられても新たなオキシトシンが分泌されない。HOME回路は総体的なオキシトシンのレベルに反応するのではなく、直近のレベルの急上昇に反応するのだ。オキシトシンによって脳が活性化しないので、共感や互恵関係が生まれない。この状態を「オキシトシン欠乏障害(ODD)」と呼ぶ。なぜなら、彼らはオキシトシンを分泌すべきときにまったく分泌しないからだ。


―おもしろい知見。見るからに福々しい人格円満そうな人が、気の毒な人の話になんら同情心を起こさなかったりすることがありますね。一見人格のよい人の奇妙な鈍感さを説明できるのでうれしくなりました


●ストレスには慢性と急性の2種類があり、どちらもHOMEシステムを妨げる。急性のストレスは「エピネフリン」というホルモン(別名「アドレナリン」)の分泌を促し、このホルモンが闘争・逃走反応の準備を整えさせる。エピネフリンは心拍数と血圧を上げ、呼吸を速める。このホルモンのレベルが高まると、嘔吐や失禁を引き起こすことさえある。慢性のストレスでは、コルチゾールが分泌される。行動を起こすようまず一撃を与えるのがエピネフリンなら、次に登場するコルチゾールは、上昇した心拍数と血圧と速くなった呼吸をそのままに保つ。現代によく見られる軽度でかつ持続的な不安によってこの適応の機能が作動した場合、高い心拍数、高血圧、高グルコースなどの反応が継続したままになり、じつにさまざまなかたちで有害に働く。具体的には、心臓病や糖尿病を招くだけでなく道徳的な行動にも障害を起こす。

●エピネフリンとコルチゾールのどちらのレベルが高まっても、オキシトシンの分泌が抑えられ「善循環」が阻まれて共感が弱まり、他者への積極的な気遣いなどどこかに飛んでいってしまう。


●過度のストレスを受けてコルチゾールが多量に分泌されると、もっと有害な結果にもつながる。長期的な「共感疲労」になりかねないのだ。


●コルチゾールの致命的な影響力を解き放つのは、不満が募ったり社会的に下位に置かれたりすることによって生じる、内にこもった怒りであることが判明している。「タイプA人格」の人はそれに比べると幸福度が高い。

●健康と幸福にとって最悪なのは、責任が重く権限が小さい職であることがわかった。これらの中間層の職では、強いストレスがかかったときに分泌されるコルチゾールの供給スイッチがしばしばオンのままになる。

―介護や医療の人たちはこれに当たるでしょう。また中間管理職の人もそうかな・・・


●社会的に低い地位にいるという屈辱と、現実の経済的な不安定状態とが合わさると、苦境に立たされているという感覚によって、オキシトシンの働きを妨げるジヒドロテストステロン(DHT)が一気に分泌されることもある。最近の政治論議が二極に分裂しがちなのも、一つにはこのせいだろう。怒りと、共感の欠如のせいで、じつに安直に相手を責めたり非難したりそいうネガティブなループが生み出される。

―ヘイト・スピーチをする主もニートとかワーキングプアの人だとききました・・・


●オキシトシン欠乏障害(ODD)の特徴の一つは、恋愛関係を維持できないこと。


●自閉症の人は最後通牒ゲームをやってもらうと、28%の提案額がゼロだった。対照群で同じ選択をした人は、3%だけだった。さらに、自閉症の人は低い提案額を受け入れる傾向がある。

●自閉症の治療法でオキシトシン注入は効果が薄い。オキシトシン受容体の数を増やすというアプローチは有効そうであり、齧歯類では有効性が立証され、人間での臨床試験に入る段階になっている。


●社会不安障害もオキシトシンのアンバランスが関係しているかもしれない。この患者もオキシトシンの基準値がはるかに高く、彼らの体もすでにオキシトシンであふれていたので、刺激に対してオキシトシンの急増という反応ができなかったのだ。


●気分安定薬「リチウム」によってもオキシトシンが増加するようだ。2009年に日本の研究者たちが報告したところによると、飲み水にリチウムが自然に含まれている地域では、自殺率が低い
という。

●MDMA(通称「エクスタシー」)というドラッグがオキシトシンの分泌を引き起こすことがわかった。このドラッグ使用者がみんな大好きという感覚を持つのはおそらくこのためだろう。残念ながらMDMAは、ほんの少し服用しただけでも脳に恒久的なダメージを与えるようで、それが鬱や不安、認知障害につながる。

―某アーチストもMDMAをやっていましたっけ・・・


●オキシトシン欠乏障害の極端なものが、精神病質者だ。精神病質者には認知のレベルでは驚くべき社会的能力があるが、問題は、とにかく自己本位で他人のことなどおかまいなしである点だ。共感が欠けているので彼らは他人を物として扱い、それでも認知的技能のおかげでまんまとやりおおせている。


●信仰によって思考が歪められると、ちょうど経済学あるいは優生学によって思考が歪められたときのように、モラル分子が機能を果たせなくなる。モラル分子の仕事は、私たちを「善く」するというよりむしろ、私たちがもっとも適応性のあるかたちで身近な環境と調和を保てるようにすることだ。それはたいてい、向社会的にふるまうことを意味する。
 とても信心深い人は、他人の中に善を見たり、他人の要求に合わせたりしようと一生懸命になるあまり、自分が相手をしている人がよからぬことをたくらんでいるのを警告するサインをときおり見落としてしまう。これでは適応性があるとはいえない。

―ここも非常に示唆的な内容。正田は「承認」をいう一方必要なばあいは叱責もOKと言っているし、できるだけ「リジッドな運用」に陥らないよう注意喚起しています。リジッドだと結局それは何か重大な情報の見落としを産むから。
 またスタンダードなコースの教育のかたわら、「判断をゆがめるものとの闘い」シリーズをやって、人々のバイアス、ヒューリスティックス、ステロタイプをできるだけ排除するよう努めています。
 いつも悩ましいのは、当協会方式の教育と何らかの他社方式が干渉しあうことで、狙いどおりの成果を産まないことがあるのです。他社方式やネット上の情報などでも、何かリジッドなものと混ざったときは良くない結果となります。信仰もひょっとしたらそのひとつです けっして宗教を批判してるんじゃないですよ


●ダンスはオキシトシンを増やすのに役立つ。2時間のダンス後にオキシトシンが平均11%増えていた。またダンスの前後に被験者に社会的な位置関係図をみせ、自分が該当すると思われる箇所に×印をつけてもらったところ、オキシトシンの分泌量が多い人ほど、グループ全体の中心に近い位置に×をつけた。ダンスのあと、他者への親近感は平均で10%増した。

―この効用は予想どおり。というかNHKはここ数年これを企んでいるのじゃないかと思うぐらい、近所の人や職場の人同士で踊る番組をやっていますよね


●瞑想はオキシトシンを増やせるか。教会での瞑想前後では、グループのほぼ半分の人に極端な増加が、残る半分の人に極端な減少がみられた。黙想しながら座っていると、近しさが増したように感じられる人もいれば、退屈という注意力散漫状態に陥る人もいるようだ。少なくともストレスホルモンを誘発する副腎皮質刺激ホルモンが全体としては7.3%減少した。参加者は黙想のあと、仲間の会員に対して前より平均で7%親密に感じ、平均で4%「何か自分より大きなもの」に近づいたと報告した。

―これも結構予想どおり。このところブログで瞑想の効用を紹介することが多いですが、かなり好みが分かれるのではないかと思います。向いてる人は向いてるし、わたしは何回かトライしましたが挫折したくちです。さまざまな瞑想実験で報告される効用というのは、ひょっとしてオキシトシンが分泌される効用と言い換えられるのかな?


●宗教的な儀式に出るとポジティブな結果が体に現れる。オキシトシンの分泌によってセロトニンの分泌が促されて、不安が和らぎ、気が静まり、ドーパミンのせいで「やみつき」になる。つまり、繰り返しそうしたくなる。


●宗教的儀式は共同参加によりオキシトシン分泌を促す。しかしそれは強い内集団バイアスを産みかねない。
士官候補生と福音主義者にそれぞれ信頼ゲームをやってもらったところ、強い内集団バイアスを見せた。


●自分の属する集団のメンバーだけを愛すると、経済的ペナルティーを科されることになる。福音主義者は部外者を信頼する度合いがかなり低かったので、信頼ゲームのあと持ち帰った金額はROTCの士官候補生たちよりも9%少なかった。


●どんなかたちであろうと、見られているという自覚を持たせておいた方が、人は善い行動をすることが研究からわかっている。


●じつはキリスト教は、何十という多様なアプローチをとりながらボトムアップ型の道徳的な力として始まった。のちに権威主義的な人々が勝利し、階層的なローマ・カトリック教会に変身した。それでも、ボトムアップ型という考え方は、キリスト教が打ち出したもっとも重要な新機軸として残った。キリスト教は、どんなに卑しく、どんなに権力者や富裕層から侮蔑されている人も差別することなく、万人に神の愛を差し伸べた。

―ボトムアップ型。やれやれ・・・、
ちょっと話題をすりかえますが正田が若者や女性、弱者のために発言すると、こんどは「人権派ですか」「左翼ですか」というひとがいます。いや、最近の国際調査で「子どもの貧困」でランキング低いでしょー。弱者をかわいそうだと思う自然な気持ちが湧くのは、要するにオキシトシンの作用なんだと思うけれど、それに変なレッテルを貼るほうが変なイデオロギーですよ かわいそうと思うほうが人間らしいんですよ もう団塊イデオロギー引きずっちゃダメっすよ さっきも言ったでしょ、リジッドだと適応できないよって
この際だから言いますが あたしの恩師は安保から転向した右翼の論客だったし、文革や紅衛兵のばかばかしさはさんざんならってきたんで、イデオロギーの文脈にはまらない路線選択は慎重にしてきましたからね 効果が高いのがおもしろくないと本当に変な悪口考え出す人がいるよね


●自分のことを信心深いと思っているこれらの人々は、人生の満足度や精神的な健全性でも最高値を記録した万事を最善の結果につなげるのに決定的に重要な要因は、イエスからジョン・レノンに至るまで、さまざまな教祖が強調している。必要なのは「愛」だけなのだ。


●「リキッドトラスト(オキシトシンスプレーをうたう商品。正田も通販で買ったことがある)」はでたらめ。オキシトシンは処方薬なので市販薬では売れない。


●寛容さと信頼は、平均収入とほぼ足並みをそろえて増していく。


●取引が引き起こす「善循環」は、人に代わって利益が関心の的になったときにはいつも先細りになりかねない。「プライミング」(暗示)の実験で、お金を一瞬見せられお金について考えるよう仕向けられたグループは、他人を助けたり、他人に助けを求めたりする度合いが低く、一人で物事をこなす可能性が高まった。また、面接のために椅子を並べるように頼まれると、お金について考えるようにプライミングされたグループは、他人とのあいだに物理的に大きな距離を置いた。


●「意識の高い資本主義(conscious capitalism)」を実践する企業はこの10年で1026%の収益率を記録している。(「ビジョナリー・カンパニー」の収益率は331%)
 彼らは、最初に答えるべき疑問は「あなたの目的は何か?」であるという前提で始める。すると自分が実業界に身を置いている唯一の理由はお金儲けであるという前提の妥当性を問うことができる。


●意識の高い資本主義はこれは「サーバント・リーダー」モデルと共通点が多い。これは経営者は目的達成のためのただの手段としてだけではなく、目的そのものとして部下を見なくてはいけないという考え方だ。リーダーは人間対人間のレベルで従業員と接すれば、HOMEシステムを利用できる。このシステムでは、恐れや強制ではなく人間の絆が、効果的な協力と、全力で取り組む高い生産性の原動力となる。


●繁栄は、トップダウン型の過剰な統制によっても、共感の不在によっても損なわれかねない。共感の不在は勝者総取りの状況につながり、それが信頼や、信頼がもたらすそのほかの向社会的行動を衰えさせる。生き延びることで頭がいっぱいのときには、オキシトシンの分泌が妨げられるだけでなく、消費意欲が下がり、それがしばしば景気後退への第一歩になってきた。

―わが国まで最近まで続いたデフレはまさしくこれでしたよねー。しかし景気が多少良くなってもあまり幸せそうじゃないのは何故・・・


●信頼は、そしてひいては繁栄の度合いは、収入の大きな格差が人々のあいだに壁を作るときにはかならず下降線をたどる。民族や宗教、言語の違いも、そうした壁にしてしまった場合には、同じことが起こる。貧しさも信頼を強力に抑え込む。33か国の6800人を対象とした最近の研究で、脅威にさらされている社会も寛容さが減ることがわかった。

●ソーシャルメディアの繁栄は福音となるか?問題はまず、フィルターにかけられないいい加減な情報で世の中を埋め尽くしかねない。

―しかし情報のプロたちも決して見識ある存在といえないのだが・・・、うちの会員さんがたのほうがよっぽど情報感覚とか重要な情報を見抜く能力高いよ、と本気で思っています


●次が「自己陶酔のサイロ問題」だ。見るもの聞くもののほぼいっさいを自分向きに仕立てることができてしまうので、オンラインでの経験とラジオやテレビを通しての経験のすべてから、自分の視野をほんとうに広げるものや、好みや偏見に疑問を呈するものが排除されかねない。

―確かにひとりひとりの視野が狭くなってるとおもいますね


●電子的なコミュニケーションは心理学者が「一本鎖相互作用」と呼ぶものにあたる。つまり、表情やボディランゲージのような社会的な手がかりから得られる、ニュアンスの込められたやりとりが欠けているのだ。年少の「デジタルネイティブ」たちはすでに、そうした社会的な手がかりを読み取るのに苦労していると心配する神経科学者もいる。

ーおつしゃるとおり。スマホ持った若い子達の周囲への配慮のなさは目を覆うばかりですし、スマホを手に持っていない場面でも、あれ、この子身体感度低いな、と思うことがあります


●親が携帯型の電子機器に没頭すると子どもにどんな影響が出るかを探った研究がある。彼女が面接した何百人もの子どもは、親が自分よりも電子機器に多くの注意を向けているときに気持ちを傷つけられた経験を、口をそろえて語っている。いつもこんなふうに親の気がそれていたら、今日の子どもたちは、オキシトシンの受容体を上手く発達させられるだろうか?いずれ答えが出るだろう。

―これは本当に深刻な問題。大量の信頼や共感に欠けた子ども、ひいては若者が生み出されるかもしれない。それでなくてもわたしの同世代の親たちでも、「本当に子どもたちが社会に出てうまくやっていくことをイメージして子育てしているのだろうか?」と首を傾げたくなることが多かった


●短期的には移民は信頼を減らすが、このマイナス面は移民たちが同化するにつれて解消する。問題は、あまりに激しい敵意に直面した移民が分離したままになる点にある。

―うちの近所にも2年後に来はるんです・・・


●人々が違いにどう反応するかは、人口の変化の規模と速さでほぼ決まる。隔たりを乗り越えるには、童心に返り、人種や民族の違いについてのネガティブな考え方に邪魔されない、ボトムアップ型の対人関係を築きあげることが必要だ。

―おっしゃるとおりです
 ちなみに受講生さん、会員さんのところでは性差別、人種差別が解消されたり緩和されることが多いです
 本書の説明をかりると、オキシトシンが増えればセロトニンも増えるそうですが セロトニンが足りない状態だと差別をしやすいことがわかっているので、因果関係はあるでしょう
 ポジティブ心理学で説明したりもしますが あれもひょっとしたら全部オキシトシンで説明つくのかもしれない


●子どもが教育の成果を最大限に発揮できるかどうかを決める最大の要因は、ボトムアップ型かどうか、つまり、家庭が安定していて愛情に満ちているかどうかであることがわかっている。

―2つ前の記事にもありましたがご家庭だいじですね。親御さんが幸せでないといけませんね


●共感を強めることについて言えば、私たちの人間らしさを増すうえで、2000年前からとても成功している伝統がある。それは、人文科学を質の高いかたちで経験することだ。人文科学とは、文学、外国語、哲学、音楽、芸術といった学問で、かつてはどんな教養人にとってもいわば共通通貨だったものだ。


●アメリカ海兵隊の大佐と海軍の大佐が2011年にまとめた報告では、「もはやアメリカには軍事力主体で世界と渡り合う余裕はなく、世界で支配的な地位を維持するには、教育システムと社会政策の力に頼るしかない」と主張した。それによれば私たちの最優先事項は「アメリカの若者の継続的な成長をまかなうための、知的資本と、教育・健康・社会福祉事業の持続可能な社会基盤」であるべきだという。そして国防総省は、この分析に沿った予算配分を始め、社会的資本や道徳的資本の神経科学研究に資金援助している。

―国防総省がそういうほうの予算を組むってすごいですね
いやー、日本にも必要ですよね。とりあえず40人学級なんとかして。あとわたしらにも研究資金ちょうだい


●オキシトシンの分泌やテストステロン、社会レベルでのストレスと結びついている可能性のある85の変数を調べたところ、これらの変数のうちでもっとも強い相関が見つかったのは、幸せと信頼だった。この緊密な相関は、国家の所得レベルとは無関係に成立しつづけた。豊かであろうが貧しかろうが、信頼に満ちた社会に暮らしていると人は間違いなく幸せになるのだ。

―信頼しあっていると幸せ、連動するということですね。まあこのブログを長年読まれている方々にとっても、予想どおりでしょう


●ギリシア語の「エウダイモニア」という単語は「栄える」という意味があり、私たちが探している望ましいもの(幸福)は、欲求のたんに一時的な、あるいは表面的な充足ではなく、幸せがみなぎった状態で、生理的作用全般に影響を与え、免疫系も改善し、長く健康な人生や包括的な繁栄の増進につながりうる。エウダイモニアは、西洋文化の土台を築いた哲学者たちによって定義された「よき生活」なのだ。


●ポジティブ心理学者マーティン・セリグマンは、エウダイモニアは「ポジティブな情動」「没頭」「関係性」「意味」「達成」の5つからなると言っている。


●アリストテレスは、自分の倫理体系をそっくりエウダイモニアの上に築きあげ、徳を目指して努力するのは、道徳にかなえば幸せになれるからだと述べている。


●生殖ホルモンのオキシトシンは私たちを道徳的にしてくれる。そこで、神は愛である、あるいはひょっとしたら愛は神であるという、とてもキリスト教めいた考えに逆戻りすることになる。だが、「エロス(性愛)」は愛の一種類にすぎず、オキシトシンはすべての愛を網羅する。「フィリア」として知られる他者への愛や、「ストルゲー」という家族の愛、「アガペー」という自己超越の感覚(踊りや瞑想や魔法のあいだに得られる感覚)を通して私たちが求める神の愛もオキシトシンは感じさせてくれる。




―引用は以上であります。ああ疲れた。

 「私たちは生物学的な存在である」このフレーズにわたしは魅了されるのですが、一時期医薬翻訳者だったせいもあり、コーチングに初めて出会った当時から生物学的・生理学的な納得感というのを大事にしてすすんできた気がします。

 もっというと物事を「分子レベルで理解したい」という衝動は結構古くからあり、料理で「調味料は『さしすせそ』の順で入れるのよ」と教わっても、「なんでさしすせそなん?分子レベルで何が起こるからなん?」と首をかしげる女でした。料理教室にはとうとう行きませんでしたが行ったら嫌われたとおもいます。


 まあ、おおむね当協会の選択してきた路線は間違っていないでしょう。


 従来からイデオロギーとは距離を置いてきましたが宗教スレスレのことをしている自覚はあり、「承認カルト」などと自分を揶揄しております。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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