さて、一つ前の記事で「オキシトシン」についての詳細な知見が出、

 わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?『経済は「競争」では繁栄しない』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51889965.html

 当協会の教育の根拠もあれ1つで十分なのではないのか、と思えそうですけれども、

 やっぱりいくつか補足があり「あれがすべて」ではないだろう、と思いました。まだ何か言いたいのか。

 今の時点で思いつくものを書いておきます。


●オキシトシン=思いやり(共感)=承認  

 さてこの図式は正しいでしょうか?

 これについては、昨年5月に「礼、敬、仁、承認―人の心の初期設定は」という記事を書いております。

 まあ日本人とかアジア人に限らないのですけれども、思いやりとか共感は得てして「上から下へ」発揮され、相手を弱者とみなすところに立脚している、「上から目線」であることを免れないのです。同情すべき可哀想な人をみるとどっと分泌される性質をもつというオキシトシンですが、下手をすると、「可哀想な人っていう目線でみている私っていい人」というナルシシズムに陥りかねません。

(1つ前の記事で「弱者を可哀想って言って何が悪い」みたいなことも書いてますけれど、まああれは方便です;;あきらかな社会的格差を是正するときはそういう考え方も必要、みたいなものです)

 すると、「上から」にならないようにもう1つ味つけをしないといけない、それが当協会が昨年から理念にも盛り込んだところの「敬意(リスペクト)」です。
 上記の記事にも書いたように、わたしたちはリスペクトをもって人に相対することによって初めて「対等」になれます。
 子どものころは圧倒的に力強い大人を「見上げて」いた、それが40代50代になるにつれ「上から」で目線が固定してしまうようになる。それを、自分の意志の力で思い切ってグイと目線の角度を上げてリスペクトする、それでやっと若い人と話すのにもちょうどいい角度がつくれる、というお話です。

 そのリスペクトを維持するのはおそらくオキシトシンだけではできないだろうな、と思います。自然に任せるだけでなく、意志の力が要り、教育の力が要るだろうと思います。

 ここでまた補足すると、「正田さん」のことをオキシトシンの化身だ、と思っている方もときどきいらっしゃり、そういう方はわたしに会うとオキシトシンをどっとその方自身が反射的に分泌されるのがわかるんですけれども、・・・(以下略)

 リスペクトが何故必要なのか、決して正田に対してだけではなくだれに対してもなんですけど、その必要性がここでしっかりわかっていないと、

「一生懸命やっている」
「頑張っている」
「熱心にやっている」

的な「上から」のほめ言葉になってしまうと思います。


●そしてオキシトシンのやさしさだけで理想郷がつくれるわけではありません。これは1つ前の記事にも出てきたことですが目立たなかったかもしれないので―

「やさしさ」だけで秩序維持ができるかというと、やはりフリーライダーや逸脱者はいるのです。そして適切な制裁のある世界のほうが繁栄するようなのです。というわけでリーダー、マネジャーはオキシトシンとテストステロンを適切な比でもっておく必要があります。ただ従来考えられていたよりもオキシトシンはたっぷり必要、というだけです。こういうのはうちの会員さんがたはよくご存知と思います。

 なんでしょうね、よのなかの「だって叱ることも必要でしょう!」って、ググッと膝をのりだして言うリーダーの方々は、よほどひどい逸脱行為にあってトラウマになっているのでしょうか―、



●このところ神経化学物質のリーダーシップに与える影響の知見がどんどん出てきているようで、1つ前の記事以外にも参考になるサイトがありました


優れたリーダーになるために知っておきたい、ヒトと組織の4つの行動原理
http://logmi.jp/5502

ここにはエンドルフィン、ドーパミン、セロトニン、オキシトシンの4つを取り上げ、うち前の2つを「自己中化学物質」とよんだりしています(苦笑)

これはナルシシズムに凝っている正田にもおもしろい。



●「自分の話をする」ことと快楽物質ドーパミンに関するサイトがありました。

 おしゃべりが楽しいのには理由があった!!人は自分のことを話しているとき、セックスと似た快感を得ていると判明

http://irorio.jp/asteroid-b-612/20130719/69602/

 やっぱりだ。このブログには折に触れ「一方的に自分の話をする人」が出てきますが、(これまで最高記録は5時間も延々と、というのがあった)

 そういうしまりのない人にならないよう気をつけましょう。


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 以前インタビューでご登場いただいたコープこうべ顧問の有光毬子さんとお会いしたところ、

「正田さん、あれパクりたいわ」

「え?パクる?なんですか」

「このあいだのメルマガにあった『幸せって何?』あれ、地域でやってみたいと思って」

 さすがです。そこに目をつけられましたか。

「是非おやりになってください。あれはだれでも主催できるんです」

 昨年から地域のラジオ体操に面白味を見いだされ、本腰を入れてやりだされるとあっという間に100人もの参加者になった、という有光さんです。また「承認」もそこに導入されて人の間の会話が活発になり、人びとが元気になることも実感されているとのこと。

 聡明な、実行力あり、そして学習能力の高い方です。

 ほかの人がやったことに「いいな」と思い(「くそっ」と思わず)、「パクらせてね」と言える感性、すてきですね。「大きい」方ですね。

 おとしよりの世界で、いやそうとは限らないのかな、地域で「幸せって何?」

 人はご自分の幸せについて語り尽くすともっと大きな幸せに気持ちが向かう。さあどんなことが起きるでしょう…。
 流行るといいなあ、それ。


「ほんとにおやりになったら、是非教えてくださいね」

「ええ、ご報告するわ」

と、優れた人生の先輩との触れ合いに心がホカホカしたのでした。

「この歳になって幸せな人生やったなあ、としみじみ思えるんですよ」

 いや全然終わってないやおまへんか。


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 といいながらまたえらい人に「それは違います!!」と言ってしまいました。

「違います。上の人が意識を変える、その方が近道なんです」

 残念ながら、たったこれだけのことを一生に近い時間をかけても学べない人がいる。ある世代のエリート男性はそうなのだろうか・・・、

 
 儒教のお勉強コミュニティをみていても高齢者層だ、かれらは企業の現役社長ではなく会長に退いたくらいの年齢になって初めて「上の者が学ぶことが大事だ」と悟る。それまではテストステロン一本槍でやってきていると思う。


 うちの受講生さん、会員さんはかれらが70くらいになって初めて知ること、あるいは一生知らないで終わることを、30代40代で学んでいる。



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 といいながらこのところ諸先輩方の温かい思いやりに言葉に出来ないくらい感謝しております。
 
 ご信頼を裏切らぬよう努めます。
 
 
 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp>