来週から新著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』のプロモーションが本格化します。

 このブログで最近「わるいこと」を連続して書いてるから出版社さんヤキモキされてるだろうな〜と思いつつ、プロモ本番前に「わるいこと」をまとめて書いちゃおうと思います。何かの役に立つかもしれないですからね。



1.担当者が『先生』と呼べない心理と契約違反行為

2.提案ひっくり返すわるい上司と部下のプレゼンにひそむ問題

3.謝罪のわるい文例

4.福祉組織のおねだり体質とその後の友人たちとのやりとり

5.今年の某ベストセラーについての感慨


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1.担当者が『先生』と呼べない心理と契約違反行為


 これまで、わたしは人様がわたしに対して敬意のある言動をとるかとらないかに比較的無頓着だったほうでした。でも今年起きたいくつかの現象をみて、はっきり今月から態度表明することにしました。


 わたしに「研修・講演」を依頼される場合は、主催者様はトップから担当者まで、わたしのことを「正田先生」と呼んでください。

 でないと「研修失敗」にほぼ100%つながる、という結論になりました。エビデンス出てますから、研修成功したいなら成功させるための行動をとられたほうがいいです。


 「さんづけ」はやっぱり、講師に対する「不敬」なんです。とりわけ、リーダーの行動様式に関する重要な知見を教える仕事をしている人に対しては「先生」のほうが当然だと思います。

 わたしなどは20代のパーソナルトレーニングの先生のことも「E先生」と呼んでるので、わたしより四半世紀も若い担当者の人が、なんでわたしを「さんづけ」で呼べるのか、不思議です。自組織のわたしぐらいの年代の人には、「部長」とか「課長」と呼んでると思います。階級組織で生きてる人にとって、「さんづけ」は一般職の人に対する呼称で、わるくいうと「蔑称」になるだろう、と思います。


 担当者の「不敬」は、研修の場にも明らかなマイナス感情をもたらします。

 ただそれ以前の打ち合わせ段階で、「契約違反行為」に当たるだろう、という現象にもつながる、というのを、これも非常に高い確率、90%ぐらいの確率でみてきました。契約違反というのは要は「受講生数の水増し」です。


 わたしのように「宿題」に丁寧に返信する講師は、はっきり言って受講生数に応じて従量制で謝金も上がるのが正しいのではないか、と思いますが、今年に関しては打ち合わせ段階で「15~6人」と言ってたのが本番では「30人」とかそれ以上に膨れ上がる、という現象が続きました。呆れることに、競争入札で落札価格を確定したあとの某組織ですらそういうことをやり、「これ契約違反じゃないですか」と言うと「あっすみません」と謝っていたが、その担当者もチャラチャラ「さんづけ」で呼んでいました。だから、「さんづけ」ははっきり言って「甘え」であり、「だらしない態度」を招くんです。

 ―「受講生数の水増し」はほんと、冗談で済む問題ではなく、16人なら研修時間内にも1人1人としっかりアイコンタクトして言葉もやりとりして、心の絆をつくったことを実感して帰り、実践してもらい宿題、そしてコメントによってもう一度「承認の嬉しさ」を実感してもらう、といういいサイクルを作れるものが、30人だとそれを作りそこなう。
20人の受講生さんの向こうに200人の従業員さんがいるかもしれないのだけれど、その人たち全員が幸せになりそこなってしまうかもしれない。そして「承認研修は有効ではない」という間違った風評を残すかもしれない。良心の業者にとっては死活問題です。―


 で、「さんづけ」したい心理、というのはなんでかな、と思います。講師の方によって色々考え方があり、コーチングとかファシリテーション分野の人では「さんづけでいいです」という人もいますが、逆に担当者が勝手な思い込みで「さんづけ」で呼んだとき、「先生でお願いします」というのは結構な勇気が要る。だから「初期設定・先生」にしておいて、相手が「いやさんでお願いします」と言ったときに「さんづけ」にする、というのが波風立たないと思うのですが。


 そこであえて「さんづけ」したい心理を読み解くと、担当者としては「自分は購買側だ。恩を売ってやっているんだ。あなたは一介の業者だ」という立ち位置を「さんづけ」で繰り返し確認したい、いわば「マウンティング」をやっているのではないか、と思います。教育してもらう、指導してもらう、なんていう敬虔な気持ちははなからないんです。そんな気分が受講生にも伝染するってわからないのかな。

 
 プロの研修担当者なら、自分が「この人」と選んだ講師のことは「先生」と呼び、「私自身もこの先生からご指導を仰ぎたいと思っています」ということを受講生に態度で示すのが正しい、と思います。


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2.提案ひっくり返すわるい上司と部下のプレゼンにひそむ問題


 今年のパターンとして、「担当がわるい」ケースと、もうひとつ「担当が上司に提案上げてひっくり返される」というのが2例続きました。

 「ひっくり返される」っていうのは、研修の趣旨が変えられちゃうとか(でとうとう「降りた」ってなったとか)、おりこう研修とおバカ研修ふたつ提示したらこちらのお勧めするおりこう研修じゃなしにおバカ研修のほうを選んじゃったとか、研修時間数を値切り講師謝金も値切ってきたとか、そういうやつです。わざわざ時間をかけて打ち合わせたことが反故になり、ぐちゃぐちゃと言い訳の電話をかけてこられたいそうな時間のムダです。


 これは、底流にどういう心理が働いているか推測すると、まず恐らく上司が性差別男。部下を介してきく、女性の専門家の正田の言うことを、本来「日本に1人しかいない宮大工の言うことだからきくしかないよ」っていうような話なのに、天邪鬼の気分が働いて(たぶん毎日同じことを奥さんにやってるのだと思うけど)逆、逆を言いたくなるのです。

 かつ、部下のプレゼンも恐らくマズイのだろう、と思ったのは、その部下の担当者もやっぱりわたしを「正田さん」と馴れ馴れしく「さんづけ」で呼ぶ人間だからです。

 20代の人間が「さんづけ」で呼ぶ女性のことを上司が尊敬するわけがないではないですか。

「正田さんが言うにはこういうことで…」

「なにを生意気な、なんだその正田とかいうのはどこの馬の骨だ」

 大体こういう感じでしょう。
 

「正田先生が言われるにはこういうことで・・・」

 全然響き方が違いますよね。まあそれでも理解しないバカ上司はいると思いますが。


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3.謝罪のわるい文例


 これも、今年担当者とか仕事先の人から随分謝罪のメールをいただいたのです(まったく、何という年だろう)

 ところが、その文面がやっぱりまずい。「これこれ、犯人の書く謝罪文」って典型的な文面でした。

 去年『謝罪の王様』っていう映画をみて笑っていたけど、今年はあんまり笑いごとじゃなくなった。


 どういうのかというと、

「ご気分を害して、申し訳ありませんでした」

という文。これのどこがまずいのか、わかります?

 もともと事の経緯が、その人がある「まずいこと」をやり、それをわたしが指摘し、するとその人がふてくされたりしょもない弁解を延々としてそれをまたツッコまれたりして、その挙句が上記のような文面の謝罪文なのです。


 ここには、「自分がそもそもまずいことをした」という「自分が発端を作った行為責任」に一切言及していない。ただ「あなたが機嫌悪くなったようだから、一応あやまっときます」と言ってるんです。暗に「すぐ機嫌悪くなるあなた」を非難しているようにもとれます。


 仮に行為責任に言及するなら、

「私が軽率にも○○をしてしまい、その結果先生にご迷惑をおかけしました」

というような、前段が入るはずなのですが。最初の文は、責任の所在を相手になすりつけているわけです。


 こういうのは、やっぱり「自分の非を死んでも認めたくない」発達障害の傾向の強い人が書くメールです。そして、相手(この場合はわたし)を一層怒らせます。

 わたしの場合は、この人の人生に責任を負う立場ではないから、怒るというより「なんでこんなレベルの低い人間が仕事先で立ちふさがり、受講生を幸せにする仕事を邪魔するんだろう…」と情けなくなる、んですが。


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4.福祉組織のおねだり体質とその後の友人たちとのやりとり


 2つ前と4つ前の記事に書いた「福祉組織」の件では、尊敬する友人たちにご心配をお掛けしてしまったようで、何人かの方からメールをいただきました。


 福祉ではない分野で地域振興のお仕事をされている方から。


 「福祉の組織」とは私たちも過去にはもめたことがあります。
「なぜ我々の権利を特別扱いしないんだ」という論法ですね。
私は真っ向から戦います。そして「平等に戦いましょう」と教えてあげたいと思っています。
ま、それは今度。



 えへへ、なあんだ戦っていいんだ(^O^)vこらこら。

 最初すごく好意的にみてあげてたのに、一連の経緯ですうっと気持ちが冷めました。彼ら彼女らは、悩みとか問題解決のために妥当な額の対策費を予算計上するということを、普通の社会人と同様に学ばなければいけない。人のご厚意に甘えるべきではない。


 当協会会員の優秀な介護マネジャーから。


正田先生
介護の承認王子としては、このところのブログ記事、胸が痛いです。
ただ、そういう現実があるのもまた事実であると思います。


 わたしも結構「引きずった」ので、「福祉の人」という言い方で関係ない人の気持ちまで傷つけてしまったことのフォローが十分できていなかった。ごめんなさい。許してね。


 彼は、強い人だから業界のダメなほうの人たちをみて、「他山の石」としてくれる人なんです。


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5.今年の某ベストセラーについての感慨


 今のうちにこういうのも書いておこう。

 あえてタイトルは出さないけど今年ベストセラーになった、ある心理学本を最近やっとキンドル版で買いました。

 なんで今まで読まなかったかというと、この分野の心理学は去年学校の先生の友人の勧めでちょっと読んだことがあり、そのときの印象で「承認コーチングと似たことを言っていてある程度の役には立つけれど、承認コーチングの方が現場にとってはるかに優秀なツールだ」と思っていたから、それほど食指が動かなかったのです。

 で今になって読んだ感想は…、


 まあどうしても中盤の「承認欲求」を否定しているくだりに目がいくのですが、

 これは、2011年暮れにこのブログでケチョンケチョンにけなした『報酬主義をこえて』と同じ論法ですね。

 「承認欲求」は自立してない人のものだ、という論法は、アメリカ心理学の一部に脈々とあります。ただ、そちら側にはまったくエビデンスがありません。単なる「信仰」のレベルに過ぎない考え方です。その気になれば、大井玄氏の「アトム型自己観」と「つながりの自己観」の考え方とかいくらでも出せるけど。あとアスペルガーの人は自分の体内感覚を言語化できないので、「承認されて嬉しい」という感情が本当はあっても認識したり表現したりできません(本当は何度も書くようにすごく『認められたい』んです)かつ、学者やコンサルタントにアスペルガーは多いですから、彼らの言うモチベーション論はあんまり信じちゃいけません。



 このベストセラー本も、「哲人」という設定の人が延々と説教をしている構成なのですが、

(最初みたとき、「なんだこれツチヤケンジ氏のギャグか」と思いましたが)
 
まったくエビデンスが入ってない、妄想吹いてる域を出ない、というのは一目見るとわかります。下手するとアサハラショーコーの味わいに近いような。この本にはまる人は、ちょっと危ない人なんじゃないですかね。でも今の20代〜40歳ぐらいの人はもうオウムとか知らないんでしょう。

『報酬主義をこえて』もいかにもアスペルガーの人が書いたっぽい高慢で嫌な人格の匂いのする本だったが、こんどの本も(そもそも「哲人」を自称するところが笑)高慢、それに加えて妄想的な本です。これ本人の人格がもともとそうなんだろうかそれともマーケティングの産物だろうか。


 おわり。「報酬主義をこえて」みたいな目にあわなくて、まだ良かったですね。わたしも少し大人になったんです。でも亡くなった恩師は50ぐらいのころまだよく戦ってましたからね。



今年は、某「ほめる研修」とこの某「ベストセラー本」と、二つの「宗教戦争」を戦ってきたのだ。疲れたわけだ。頑張ったぞ、あたし。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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