きょうとても嬉しかったこと。

 きのうアップした発達障害者の当事者の会の代表、広野ゆいさんへのインタビュー記事を、フェイスブックのお友達がシェアしてくださり、そのまたお友達が再シェアしてくださっていた。

 最初のお友達からはわたしの「発達系」に関するここ1−2年の地道な取り組みが内容の濃いインタビューにつながったと、とても嬉しい賛辞をいただいた。(わたしも、実はこのインタビュー記事は内心「会心の出来」だったので嬉しかった)


 もうひとりのお友達で出版社の女性社長さんが、ご自身のタイムラインで「よい本を読みましたので紹介します」と、『行動承認』の本を取り上げてくださった。他社からの出版物なのに。

 自分他人を乗り越えて率直にいいものをいいと言ってくださる、それは単なる「承認」だけではなくナルシシズムを乗り越える高次の作業であろうと思います。ひときわ偉大な「承認」をいただいたなあ、と思います。


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 人前で話すことは麻薬だ。

 このブログでは過去に何度かそういう話を取り上げたと思う。人びとの視線がマイクを持った自分に集中することが、いつか肉体的快感になりやめられなくなる。


 この話は初めて書くと思うが、過去、それで痛い目に遭った。

 ある女性コーチの方と一緒に研修をした。販売業の業界団体さんからわたしに来たご依頼で、管理職と一般職とりまぜた講習会なので、販売業出身でわたしよりもう少し販売スキルに詳しい人とペアで研修するとよりわかりやすいのではないか、と思ったのだ。2時間の研修のうち前半90分は彼女で販売の仕事に密着した話、おわりの30分はわたしから管理職向けに「承認」の話、という取り決めだった。


 ふたをあけてみると、彼女が予定以上にあれもこれもと話してしまい、90分をはるかにオーバー。わたしの残り時間はわずか10分になり、仕方なくごくあっさりと「承認」の定義のような話をして終わった。


 そして彼女は首尾よく自分を魅力的な先生と印象づけ、講習会の終了後その業界団体の重鎮の経営者さんをウルウルとうるんだ目で見上げ、首尾よくその会社の研修をゲットした。


 そうしたときの彼女の顔の色ツヤや目の輝きをみると、人前で話すときというのは、快楽物質ドーパミンがバンバン出ている、というのがわかる。性欲に溺れるのと同じ状態である。


 わたしは長話をして自分ひとりが時間をとって友人を裏切る人にはなりたくないなあ。いいです、ツヤツヤしたお肌をしてなくても。冷静で思いやり深く、謙虚で思慮深い人でありたいと思います。クールなもんで。


 研修講師の仕事をしていて「人前で話すこと」の麻薬的魅力に抗い続けるのはむずかしい。もしわたしがそのことに成功しているとしたら、それはつねに「承認する主体」であり続けることで、外界を好奇心旺盛に観察し続け、自分以外の他人の素晴らしさを感じ続けることで成り立っているだろう、と思います。


 
 「人々の視線が自分に集中すること」に夢中になりはじめると、気がつくのは、「相手に伝える」ということがなおざりになる。

 よく「表現と伝達は違う。マネジャーの仕事も研修講師の仕事も、表現することではなく伝達すること」だということも言う。その2つはどう違うのかというと、「表現」は相手に伝わっても伝わらなくてもいいのだ。ワーッと訳わからない雄たけびを上げたり、よくワークショップ参加者がやるように「花火!」と言ってぴょんと飛んだり、表現したいようにすればいいのである。それは「送り手中心」の表現、ともいえる。

 「伝達」はそうではない、受け手の受け取り方に絶えず注意力を向け、いかに効果的に伝えるか工夫を凝らす。戦略的な伝達、という言い方もできる。長い話より短い話、要点を先に言ったり、強調したいところで声を大きくメリハリのある発音をしたりして、受け手の記憶に残るようにする。


 人々の視線が自分に集中することを「楽しい」と感じはじめると、とにかく自分の話す時間を長引かせる。相手にとってどうでもいいことを話す、ねっとり情感豊かに、スピードがどんどんゆっくりになり、しかし受け手が疲れきっているのもおかまいなしに感情の押し売りをする、平坦でポイントのわからない話し方になり重要性にお構いなくあれもこれも付け加えるという話し方になる。


 「人前で話すこと」の快感に溺れてしまうようだったら、話し手としてまだ未熟だなあ。でもマネジャーの仕事ってしょっちゅう人前で話すはずなんやけど。


 だから、「社内講師をするようになるとマネジャーとしての力が落ちるかもしれないよ」ということをちょこちょこ書くんです。
 最近しばらくこの話題を書かなかったけれど周期的に必要ですね。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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