キヤノンの御手洗冨士夫・現名誉会長の有名な言葉で、「公正と平等」というのがある。

 同氏によれば、「アメリカは公正を重んじ、日本は平等を重んじる」。


 公正というのは、よりよいもの、大きいもの、優れたものが高く評価されること。オリンピックでより速い者、優れた演技をした者が表彰されるのと同じ理屈だ。
 それに対して平等というのは、中身に関わらず同じ扱いをすること。


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 「研修の副作用」という言葉は、今よりも2008年ごろにこのブログでよく書いていて、いささか「はしたない」話題なのでできればあまり取り上げたくない。でも、繰り返しクギを刺さないと身内でも間違いが出るし、ましてその他の人は恐ろしくこの問題に無頓着だ。


 以前1−2回話題にしたことがあると思うエピソード。

 コーチングのある流派で、質問者が相手の「感情」をぐりぐりいじる、というのがある。「あなたはそれについてどう感じていますか?」「どんな気持ちですか?」という問いをたたみかけて繰り返して、さいご相手を泣かしてしまうところまでやる。泣くと多少カタルシスになり、今どきの研究によるとストレスホルモンを体外に出してすっきりした気分になる。

 そういうのは了解を得たうえで個人契約のコーチングでだけやるものと思っていたら、職場の上司部下間でそれをやれ、と勧めるその流派出身の講師がいらっしゃる。


 わたしは一番最初、旧CLS(任意団体コーチングリーダーズスクエア、現NPOの前身)に出入りしていた女性管理職からそれをきいた。彼女はラインマネジャーで、わたしをその会社の研修担当(女性、独身)に売り込んでくれたのだが担当者のお気に召さず、結局その会社の研修として採用されたのはその「泣かすコーチング」の講師だった。


「わたしたち、研修以外に個人コーチングを受けて泣かされるの、その人に」
 女性管理職は涙をためて言った。
「ああ、また、と思うんだけど、手の内はわかっているけど毎回泣かされてしまうの」


 うーんなんでそんなヨロメキ調のものをそもそも「コーチング」っていうかなあ。わが社は禿頭の武田建のおっさんの方式だから。


 そして、「当社方式」のもとで凛としたかっこいい女性だった彼女はわたしからみて情緒不安定になり、さいごは問題行動を起こして団体を去っていった。


 心理学的にディープなものであればあるほど良いと思う感性というのがあるようだ。ストレングスファインダーでいうと「○○○○」の一部の人かな。先日「ニンフォマニアック」という映画も観たけれど、人の個性オタクのわたしはこの映画も「○○○○」の人の物語として観てしまった。よりきつい刺激、きわどい刺激を求めてしまう感性。わたし、それはないんです。あ、あとこのタイプの人に「SM趣味」もよくあります。
 残念ながら研修の購買を決める立場の人と新聞記者にそのタイプの感性の人が多い。


 「承認」はドラスティックな効果が出る割には、心理学的にはごく「浅い」ことをやっている。だから心理学の基礎訓練を受けていない大方のマネジャーが実践しても害がほとんどない。



 その次にきいたのは、某公的機関が主催した介護職向けコーチングセミナーにその同じ系統のコーチングの別の講師が起用され、あれれ、と思った。ただわたしがどうこう言うことではないので静観していた。

 すると2年ほど後、ある介護職の人からきいたのが、その講師がそのセミナーをきっかけにある施設―わたしのすぐ近所のところだ―の施設長に気に入られどっぷりその施設に研修とコンサルティングで入り、例の「泣かすコーチング」をやりそこの管理職にも部下に対してそれをやるよう勧め、どうなったかというと離職者続出だというのだ。

 わるいことにご近所なので利用者側からも話を聴くことがある。やはり人の入れ替わりが激しく、若くて頼りない職員ばかりだという。


 そういう結果になるのはみる人がみれば火をみるより明らかなんだけど。素人には判別がつかない。そして公的機関の人にも。
 そこで働いていた人にとってはなんと晴天の霹靂の、研修副作用による被害だろう。自分の職場で感情のプライバシーが守られず泣かされ、離職せざるを得ないというのはなんと罪深いことをしているのだろう。


 そういう状況に憤りを感じるのはわたしが怒りっぽい性格だからだろうか。
 いや、わたしはこういうことに腹を立てる自分がそんなに嫌いじゃない。


 わたしは腹を立てたり「危機だ」と思うと、むしろ感情が無くなって、「対策」を考える癖がある。そういうとき人からみると結構凄味のある顔をしているのかもしれない。


 自分のできることでいえば、このところ「コーチング」という言葉を表向き言わなくなってきているし、こんどは団体名から「コーチ」という言葉を外すことも考えている。



 なまじ医薬翻訳者出身なので「副作用」「有害事象」「長期毒性(慢性毒性)」ということに神経をとがらすほうである。前にも書いたように当協会方式で「12年1位マネジャー」が出るのは、効果発現メカニズム自体も正しいが一方で慎重に副作用を見極めて潰す作業をしているお蔭もあると思う。「うちの業界」には、不思議とそういう感覚をもっている人が少ない。

 でも、医薬品に限らず「ものづくり」をしていたら普通に存在する思考法なのだ。

 研修業界には「思いつきの言い散らかし」もすごく多い、あとでちょっと考えると辻褄が合わない、というような。顔色ひとつ変えず自分でも信じていないことを断定口調で言えるのが「いい研修講師」の指標のようだ
 ―ただしラインマネジャーはそういう人の匂いはすぐ勘づくし忌避する、知らぬは担当者ばかりなり、である―



 先日このブログに悪口雑言書いていたさなか、東京でお会いしたある真摯なマネジャーさんに言われたこと。

「先生の(すみません、ブログで強要しているものだからこの人もつきあって「先生」と呼んでくれている)書かれていることは、実際にあるんだと思いますよ。だれかが言わないと気づかない。そういう勘違いをしてしまうものなんだと思う。本当のことを書くからかえって信頼されるのではないでしょうか」


 …わたしはちょっと天狗になって自分を甘やかすようになっているのかもしれない…



 ADHD的知性の人だと、ものごとの優劣の区別がつかずすべて同じレベルの情報記号として飛び込んでくる、という記述も一部の本にあるが、はて。

 今年は新聞記者等で「あなたとほかと同じでしょ?どこが違うんですか」という薄ら笑い交じりの言葉に何度も出会った。エビデンスを提示するたびに。どんなにエビデンスを提示しても、女性が提示するものは真実ではないと認識する。いわばわたしを嘘つき、法螺ふきと言っているようなものだ。立派な性差別である。

 行動承認で「あなたはずば抜けたエビデンスを作ってきた。圧倒的に質の高い仕事をする、力量のあるマネジメント教育者だ」と(エビデンスに基づいて)正しく言える人はいないなあ。


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「アンガーマネジメント」という概念を、問題に対して「いいじゃないかそれぐらいハッハッハ」という形で使う人にも会う。問題を「あえて認識しない」というやり方、要はええかっこしい。たぶん営業では顧客の激怒に、ものづくりでは不良につながるだろう。顧客や製品に直接タッチしない部署ならそれでもいいだろうね、というしかない。そういう副作用があるだろうな。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp