「女性活躍推進カフェ」を開催し、ブログアップした今の時点の感慨です。またこれまでの経緯のふりかえりも交えながら―。


★これまでの取り組み〜スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回〜

★参加者への事前の意識づけ

★公正ファシリの努力

★ブログ文体のユニセックス化

★初の正田以外の人の主催の試み


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★これまでの取り組み、 スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回


 よのなかカフェでは、5年・41回にわたる歴史の中で、「女性活用」に関して繰り返し対話を重ねてきました。


「女性に『働いてほしい』(行政)されど事情は。。 女性活用カフェ開催しました!」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51673959.html

「責任と決断の根づく人びとが作る社会 よのなかカフェ『日本はスウェーデンを目指すべきか』開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51733243.html

「議論、透明性、そして信頼―よのなかカフェ「日本はスウェーデンを目指すべきか?福祉編」開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51766547.html


 このほか「男性」を問うたものとして、「男のプライド」というタイトルの回もありました。

「リツイート感謝。団塊の世代価値観を問う「男のプライド」よのなかカフェ」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51753490.html


 このたび2014年12月4日の「女性活躍推進カフェ」は、それらに比べても出席者の少ない、司会を入れて5名のカフェでした。

 
 わたしの体感値としては、「女性」に対する見方というのは安倍さんをべつとして「冷たく」「悲観的に」また「悪質に」なっているように思えます。

 安倍さんが先走りすぎて「浮いて」いるんでしょうか。現実がまったく追いついていない、むしろ足が止まっているような気がします。わるい前例がどんどん作られているような気がします。


 一過性の瞬間風速的なものでなければよいが、と思います。

 もちろん参加者からも出たように、「この問題は息長く取り組まなければ」というのは大いに同意するところです。人気がないテーマだからやらない、というのは間違いであろうとも。
 何しろ、「人類の半分」に関するテーマなのですから。


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★参加者への事前の意識づけ


 よのなかカフェでは日頃冒頭に簡単にルール説明をします。

「大いに話し大いに聴こう、90秒ルール、挙手して発言」

 ふだんはこれだけで済んでしまうのですが、今回は開催数日前に参加予定者にもう少し詳しい事前の意識づけをしました。
 それもNPOの会員が多いので「内輪」の口調でかなり厳しく―。

 いわく、一々立って発言しない。立つと時間のロスになる。かつ、立つと1人の人があれもこれもと何項目もしゃべってしまうことにつながる。90秒ルールで1回1項目。自分の発言に他人が反論や質問をできるよう、フェアプレイをすること。
 自分の言葉で話す。事実・感情・行動。
 よそから引っ張った知識情報については情報の信憑性がわかるよう「出典明記主義」。


 とりわけ、「男性、女性」の間で「フェアプレイ」の感覚が崩れやすく、それも男性側から崩しやすい。

 日本の男性の女性に対する「甘え」はかなり根深いものがあり、それについて数か月から数年に1回、かなりきつい形で釘を刺さないと正常化しません。

 その「釘をさす」行為をみて、「正田は人格の悪い女性だ」と思われるなら、それも致し方ない、多少痛みを与える形で言わないといけないしそれでやっと正常化する、とこれまでの経験で思います。


 今回はお客さんでありながら参加前にいきなり冷水を浴びせるようなことを言われましたが、当日はみなさんこれらのルールをよく守り、発言してくださいました。「強い」みなさんでした。


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★公正ファシリの努力


 このたびの「女性活躍推進カフェ」は正田がファシリを務めました。

 
 長いよのなかカフェの歴史でみると、ほかの人にファシリを任せた時期もあります。ところが、任せたその人のファシリに問題があった、とりわけ「男女間の公正」という観点でみて問題があった、というケースは多かったです。結果、また正田がやるように戻しました。


 これまで41回、述べでなく実人数で正田以外にファシリを務めたことのある人は男性4人、女性1人。このうち男性2人は残念ながら「問題あるファシリ」でした。男女に公正に発言機会を与える、ということができていなかったり、あるいはファシリとしては禁じ手の、「この問題について女性はいかがですか?」「○○さん、女性ですけどこれについていかがですか?」という、人ではなく属性で呼ぶということをやってしまいました。

―「女性」を期待して人に発言を求めると、人によっては「女性」イメージから逸脱したとんでもない骨太の考えをもっていることもあるので、ファシリの目論見が見事に外れるときがあります。逆に他人の期待に応えようとするタイプの女性だと、「女性」イメージに合わせようとして自分の言葉でなくなってしまうおそれがあります。―

 こうしたことについて厳しく釘をさしたあと、やめる人はやめてしまい、そこから学習した人はちゃんと問題のないファシリができました。
 こういうのはもうコーチングより「躾」とか「徒弟制」なのだと思います。
 講師業もそうですがファシリテーションもやりながら失敗して学ばないといけない。失敗したとき「自分は失敗した」と痛みを味わう強さのある人でないとやってはいけないのだろうと思います。


 「女性1人」は実はうちの不肖長女19歳(当時)でした。これはまあ心優しい参加者のお蔭でもあるのですが、ちゃんと公正なファシリができていました。

 ―いささかそこは自画自賛ぽいですが、日頃日常生活の中で厳しいおかんの立居振舞をみていると、「公正」とは何かということは自然と学べるのではないかと思うのです。それも含めあまりにも多くの暗黙知を学んでもらわないといけないので、「徒弟制」ということを最近言うようになっています。
 今後は、だれかにファシリを任せた場合はその直後に「反省会」をしよう、嫌なことでも失敗から学ぶ習慣をつけよう、と思ったことでした―

 
 
 今回のカフェで最年長・男性だった一郎さん(仮名)にその後、参加のご感想を伺いました。

「公正ファシリについての感想ですか?ぼくは自分の職場では、やっぱりあんな風に会議をしています。みんなよく積極的に意見を言ってくれてです」
「自分が『男性、最年長』なのに優遇して発言時間とか機会を割り振られなかったことについてどう思うかですか?いや、ぼくはそういうのは別に感じません。むしろ発言しすぎだったんじゃないかなあと帰りの電車の中で反省してましたから」
「これまでのよのなかカフェでは確かに、男性の発言マナーの問題はありましたね。高齢になってくると、話にストップがかからなくなるんです。そうならないように自分はしたい、と思いますけど」
「ぼく自身はどんな状態で臨んだか。リラックスしてました。心地良かったです(たぶん、お世辞で言われてるのではないだろう、というのはいっぱいご発言いただいてましたから^^)」


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★ブログ文体のユニセックス化


 1つ前のよのなかカフェ詳報記事で心がけたのは、「だ、である」と「です、ます」の文体の配置です。

 近著『行動承認』でも書いたように、「だ、である」は男性、「です、ます」は女性、というイメージがあります。もちろん女性も論文や記事では「だ、である」で書いたりしますけれど。

 今回のように男性女性入り混じった会話を再現するとき、ともすれば流れがちなのは、男性が「だ、である」で語り、女性が「です、ます」で語っているように文を作ってしまうことです。

 それをできるだけ排除することにしました。
 
 男性、女性とも丁寧語で「です、ます」を基調に。
 ときおり1人の人でも考え込みモードで話しているようなとき、「・・・と思う」というような「だ、である」文になることがありますが、それを男性に偏らないように気をつけました。男性でもたまに「だ、である」が入るし、女性にもたまに「だ、である」が入る、というように同じ比率で入るようにしました。

 そんなちまちました配慮をしているのですが、お気づきになりましたでしょうか。

 意図としては男性、女性で言葉の重みの印象が違わないようにする、ということです。


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★初の正田以外の人の主催の試み


 今回は、NPO法人企業内コーチ育成協会としても「よのなかカフェ」としても初めてのことがありました。

 「言いだしっぺ」が正田以外の人であり、その後も内部ではその人が主催者、という形にしたのです。
 外にはお名前を出しませんでしたが、内輪ではその人が開催案内のメールを出していました。議論のたたき台となるデータも準備してくれました。
 それが「恵理さん(仮名)」であります。

 よその団体では当たり前にそういうことがあるかもしれませんが、こんな簡単なことがこれまで出来なかった。
 「女性の正田さん」「コーチング」「承認」
 これらが、「やっぱりやめますー」と責任放棄するための言い訳に使われてしまうのです。
 とりわけ「コーチング」というのが、イコール「あなたはどうしたいですか?」と問いかけることだと理解され、次いで「自分がやりたいことをする。ちょっとでも疲れたりやる気が下がったらやらないでいい。」という誤解につながります。

 そういうことは、結局メンバーが幼児化、退化してしまうことにつながります。あるいは、「憩いの場」「癒しの場」と位置づけ、どんどん場の質が下がってしまいます。


 自分が言いだしたことの責任を最後まで全うする、ということの最初のお手本となっていただいたのが女性の恵理さんだった、というのも興味深いことでした。


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 これは1つ前の記事をまとめながら湧いた感慨なのですが、
「かわいそう」
という言葉が、錦の御旗なのだなあと。
 子供を預けてはかわいそう。それが女性の再就職を阻んだり、当の女性が家庭にとどまる言い訳になったりします。

 で、なんで「かわいそう」がこんなにパワーのある言葉なのだろうか?と考えてみたとき、
 
 ひとつの切り口として、「かわいそう」は「かわいい」と密接につながっている。

 順序からいうと、「かわいそう」が先に出来て、それが「かわいい」の語源になったらしい。哀れだ、不憫だ、という言葉からかわいいができた。「愛すべき」の意味の「可愛い」という表記になったのはそのあとらしいです。


 ということは、野垂れ死にした子供、飢え死にした子供の哀れな姿、憐れむ心、が先にあって、そこから「かわいいなあ」と今を愛おしむ言葉や概念ができたのでしょうか。


 どこまでもネガティブ日本人。


 そして、想像ですが可愛い赤ちゃんを目にし、その可愛さがいつまでもとどまりますように、という思いがわくとき、わたしたちは同時に「かわいそう」が出てくるのかもしれません。

 「可愛い」⇒「こんな可愛い子を自分で育てないなんて可哀想!」
 
 なんか、他国の人と違って自動的にそうつながっちゃうのかもしれません。
 
 まあこのへんは全部想像なのですけどね。

 そうすると、そのイメージがすぐつながっちゃうのを何とか切断しないといけないのかもしれません。

 保育所で幸せに育っている子供さんのイメージをどんどん宣伝するとか。

 ただ今どきの待機児童解消政策で大急ぎでつくった保育所での保育の不備などが明らかになると、とたんに「かわいそう」に逆戻りしちゃいますよね。


 このあたりは後出しジャンケンの余談でした。


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 よのなかカフェとは関係ないんですが、
 このたび『月刊人事マネジメント』2014年12月号(12月5日発行、1万部)に、近著『行動承認』を取り上げていただきました!

 
5月刊人事マネジメント


5月刊人事マネジメント (2)


 「あとがきのあとがき」という、著者自身が書くコラムのようなところです。

 11月の初め、まったく前触れなく編集部から「こういうコラムを執筆しませんか」というオファーのメールをいただきました。「企業の人事の人に語りかけるように」というオーダーでした。
 大変光栄なことでした。


 記事全文は、1か月ほど後にこのブログにも掲載可となるそうです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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