これはいまだ答えがない話ですが、

 大人向けの研修やセミナー、ワークショップで「責任感」をつくるのはほとんど無理、なのではないか、とわたしは思っています。


 よくある心理学系のセミナーで「表現力」は伸びます。人前で臆せず話し、高らかに謳いあげるように語ったり上手に話の辻褄を合わせたりします。


 それをもって、「セミナーで自己実現した」と思うむきもあるようです。
 しかし、ちょっと考えればわかるように、「表現力」とか「話す技術」は、「実行/行動」という、仕事の能力として最優先で大事なものとはまったく関係がありません。
 一見「自己実現」にみえても、それは「表現力」に偏った、つまりわたし流にいうと「キリギリス能力」だけに偏った成長/能力向上なのです。


 たとえば、何かのトラブルを目にしたとき

「今自分が行動しなければ何が起こってしまうか」
「お客様に、ひいては会社や同僚にひどいダメージを与えてしまうことになるのではないか」
「じゃあ、(疲れてるけど、めんどくさいけど)自分が行動しよう」

 そのように思う思考回路というのは、セミナーでつくれるわけではないのです。「苦痛だけど、でもやる」という思考回路。


 何がその原動力になるのでしょうね・・・、「愛」ともいえるし「体にズキンとくる感覚」ともいえるでしょうか、それはちょっと自分の感覚に頼りすぎてるかもしれないですが。


 また、

「自分が言ったことはやりとげる」

 それを、見栄つまりナルシシズムで動かされるのではなくそのとき言った相手への、あるいは自分自身への誠実さを原動力に行うか。


 あるいはまた、

「行為責任」

 ―これをやったのはあるいはやらなかったのは私だ、という感覚。

 まれな例として、アサーション/アサーティブネスのセミナーでは、「NOを言う技術」を教えるときに

「あのとき引き受けてしまったのは私の責任でもあるのですが」

ということに言及しなさいね、ということも言います。心理学のセミナーではほんとにまれに「責任」ということに言及します。
(ただ、実習の中で注意点としては与えますがそれほど重きを置いているともいえない)


 私見では心理学というのは、大筋こころを病んだ人を治す/癒すことを目的に発展してきた学問なので、「責任」というのはそこではそんなに重要ではなくて、むしろ「肩から責任を下ろして『らく』になりなさい」という文脈のほうが強いのではないかなあとわたしは思います。


 「責任」を教えるのは教育や倫理学の分野です。また、生まれつきの個体差もかなりあるようです。


 わたしの場合はなんだったのだろうか、目立ちたがりではなかったですが学級委員には、よくなりました。あとは高校までは、「社会人としての先生の立ち位置」というのはそんなに意識してなかったけれど、大学後半で師事した恩師は当時50前後でまだあっちこっちとよく「闘う」人でした。


 子供には、犬の散歩を輪番制でやらせて女の子2人は当然のようにやっていたが、男の子は比較的逃げ回ることが多かった。


 このブログでその過程をかなり詳しく書いていたのですが、男の子に関しては小学校5,6年のときの男の担任の先生が大変見込んでくださり彼に可能な範囲の仕事をどんどん与えてくださり、その当時は親からみてもかなり「責任感」が育っていた。ところが中学で心無い先生に遭い二度と責任ある役割を引き受けなくなってしまった―簡単に言うと「過剰期待」で潰された、ということです―


 たぶん男の子の思春期には先生との出会いがかなり大きくものを言うのではないかと思います。いいにつけ悪いにつけ。


 そのときの5−6年の担任の先生にはその後「教育者インタビュー」でも登場していただいていますが、その先生のノウハウというのは子供たちに仕事を与え、達成したら褒め、というのをこまめにされているのでした。「責任感」というのは、そういうふうにして子供時代を通じて育つもののようです。


 子供のころそういうプロセスを経ないで大人になった人に、とりわけ男子に、「責任感」を教えることはできるのだろうか―。

 少なくともセミナーでは無理だとわたしは思います。

 じゃあ「先生」の役割を果たせるのはだれなのかというと…。




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