このブログでは去年の暮れに「某魔性の女性研究者」についての見解をいちどまとめておいた。その直後に年末の回顧番組やコーナーが花盛りで「あれはなんだったのか」とまた嬉しそうに彼女の容姿をなめるように映した映像が出て。は〜。

 このブログでの辛辣な記事をこころよく思わなかった読者のかたもいらっしゃったようで、そのせいで嫌われたカナという対応にも出会う。
 でも、人材コンサルタントの端くれ(笑)としては、やはりああいう見解をきっちりまとめて発表もしておいたほうがいいように思う。


 「女性活用」―近年は「女性活躍推進」とよりウソくさい言葉に言い換えられている―をまじめに考えれば考えるほど、「魔性の女タイプ」って現実にいるよね、という話になり、恐らく何十人に1人かで出現するそういうタイプの女性を職場でどう扱えばいいのか、という話になる。
過去に「何が何でも女性活用」をした先に何が起こるのか、みたいなことを書いたときイメージしたのはこういうことだったかもしれません。公正な基準がなかった場合には「実力より愛嬌」ってことにすぐなると思う。


 ―ちなみに先日化粧品売り場に行ったら「魔性の盛りまつげ」という商品があって笑いました―


 で具体的な研修企画の段階になると、必ず「女性パワーアップ研修」をしよう、という話が出る。女性たちは同性で寄り集まるとすごい勢いで話してフラストレーションを発散させるので、そういう企画をするとああいいことした、モチベーションアップした、みたいな気分になる。「無難な企画」というか。


 しかし、とわたしは思う。
 ―このブログでは去年秋、「女性意識改革研修」のオファーをお断りしてしまったお話も書いた―

 仮に「うちの隣の島の研究機関」で「女性パワーアップ研修」と称して女同士でおしゃべりする研修を企画したら、どんなことが起きただろう。
 「魔性の彼女」に対してそれ以外の女性研究者は非常に厳しい視線を向けていたという話だけれど。
 女性同士で、相互学習機能を発揮しただろうか。どう思いますか。


 わたしが予測するのは、

1)「彼女」がほかの女性からつるし上げられる(でも正義はほかの女性にあると思う)

2)「彼女」が1)の事態を予測して欠席し、ほかの女性同士でぶつくさぶつくさいう。「大体男たちがだらしないわよね」と。こちらのほうがありそうだな。


 どちらにしても、あまり建設的な図ではないと思う。

まあ「魔性の女性」がいなかったとしてもですね、これまで2回ぐらい女性コミュニティの講師をしてますが(少ないでしょ)思ったのは、今ひとつ「女子会」とのけじめがつかないということです。「ああおしゃべりするって楽しいわねえ」というレベルの満足で終わっちゃう、だったら講師あたしじゃなくてもいいじゃん、というのも正直思いました。
あたしはやっぱりごついおっさん集団に研修してるのが面白い。(変な趣味だ)

 ではどうしたらいいのか、というお話だけれど、

「結局、『一言居士』と言われてもそこは『承認』なんです」

とわたしは言う。

 著書の中でもいくつかのエピソードに女性活用の場面が出てきて、それぞれ業績向上にも大きく寄与する。


 「上司(多くの場合男性)が『行動承認』中心の『承認』をおこなうことによって、女性たちも『けれんみなく頑張る』ようになるんです。『けれんみなく』というところが大事です。

 魔性の女性研究者、あのひとがなんであんなモンスターになってしまったのか。わたしは上司の責任だと思います。芽が小さいうちに摘むべきだった」



 「承認」しか知らんのか、と石を投げられるかもしれないが、結果としては現実にそうなっている。「承認」を実践した上司のもとで、ややひねくれていた女性が変わった、素直に頑張るようになった。すごいパワーを出し業績を出した。

 それは人の働きを日々、「行動」という最小単位に還元して観察し隔てなく評価する上司の姿勢から、そうなる。


 「この教育」不在のところでは、上司がやっぱり微妙なスケベ心で女性たちを見、たぶん肌の白さとか小首を傾げて話す表情とかに見とれるのだろう。それは上司の心の隙でもあるし、「視線」を体育会的に鍛えるトレーニングを受けてないからでもある。


 「魔性の女性」の存在を許しておくと、やはり社内の気風、とりわけ女性たちのモチベーションには真剣に影響する。なのでこのブログでは「人材のプロ」として態度表明することを許していただきたい。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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