佐用町社会福祉協議会様で12月3日、1月14日と2回の全職員ワールドカフェを行いました。

 最若手のご担当者N原さんが当協会ホームページに目を留めてご依頼くださった、というご縁でした。
 準備物なども多い中、きめ細やかにご準備、アテンドいただきました。

 きのうは最後にN原さんへの感謝を言おうと思ったのに時間が押して言えませんでした。ごめんなさい。
 N原さん、ありがとうございました!皆様が今年また一歩新たな前進をされることをお祈りします。


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 ご請求書を作成した。


 「ご請求書作成」は苦手科目の1つ。前回もN原さんに数字の間違いを指摘された。
 自分を「性悪説」でみなければならない。

 ただここ数年、「苦手がますます苦手に」という傾向が強まっているように思う。「集客活動」などもその一つ。以前は百何十人規模のイベントをしたときもあったから。



 またしょもないことで自慢をひとつすると、正田は45歳ぐらいのとき脳MRIの詳しいやつをとって(このブログでは2008年の5月だったかに記事があります)、画像診断の先生から「年齢相応の老化のサインがほとんどない。非常に意志が強い。バランスよく多くの思考能力を使っている」とお褒めの言葉をいただいたのでした(先生「数字に弱い」ことは見抜けなかったな)


 今とったら、ちょっと老化のサインが出てるかもしれない。

 これもサンプル数がいっこしかないのでアレなのだが、「承認」実践者の側の方、つまりマネジャーの脳で「老化」についてどんなことが起こるか、ということもちょっと夢想する。老化スピードが低下するんじゃないかと正田は思っている。つまり、「承認」は自分以外のたくさんの人の強みを認めるので、自分に本来ない強みも駆使することになるだろうからだ。


 とはいえ「体力」はそんなことでは伸びないし「ナルシシズム」は伸ばしたくないものなんだけどね。


 「老化をストップさせる」だけじゃなく、近年「意志力」などでよく言われる「認知的負荷」「ワーキングメモリ」を鍛えることにもなるだろう、と思います。脳を注意ぶかく使う習慣がつきますからね。ひいては、判断力決断力向上など多くの喜ばしい結果をもたらす…


 実践者もそうだし「承認」対象者―会社だったら部下、学校やご家庭では子供さん―の側の脳発達はさらに顕著なのではないかと思う。そういうこと考えるとわたしは結構ワクワクするほうです。


 この画像診断の時点では先生が目視でやってましたが(だから「科学ではない」という批判もあったようですが)今は白質の密度を計測する技術があるそうです。


―「承認」と比較してよく「瞑想」に関する実験を取り上げます。「瞑想」実践者では恐れをつかさどる「扁桃体」の白質密度が低下する、つまりあまり恐れを感じなくなる(多分ゼロになるわけではなく、過剰な恐れがなくなり適度な感じ方になるのでしょうね)、とされています。恐れが低下するということはすなわち、「勇気」が相対的に上がるということ。「瞑想」と「承認」は恐らくよく似た効果があり「承認」のほうがはるかに速く大きな効果が出るのではないか(しかもドロップアウトが少なく)とわたしは思っているのですが、「承認」によって日本人が「勇気ある(蛮勇でなく)民族」になったら―時節柄変な方に想像されないことを祈りますが―喜ばしいと思いませんか?


 あ、だから正田はMRI経験者なんです、「若い女性」だから「ない」だろう、と思ったみたいだけど。
 「すごく負荷の高いものですからね」とか言われましたけどあのグワングワンいうドームでしょ?そんなに威張らんでも。



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 よくある誤解で、「競争心―他人に勝ちたい圧倒したい気持ち―」と「闘う」は同じかというと、別物です。よく「恩師はよく『闘う』人だった」とか、書きますけど。


 「競争心」のほうは、ゼロサムなんです。独り勝ちしたい。
 他人が勝つということは、自分が負ける。だから面白くない。WINWINということはあり得ない。
 また、他人が明らかに勝つとわかっている勝負からは「降りる」ということもします。手を貸さない。


 「闘う」というのは、使命感とか責任感からくるもので(ちなみにこの2つはどう区分したらいいのだろう、今のところわからない)ある目的―たぶん、ここでは周囲への共感に基づく、周囲からも共感される目的―のためにケンカすることも厭わない、ケンカは極端だけど少々の障害とか反論とかは気にしないで意志を貫く、という。


 これまで色々と「不毛な押し問答」をしてきて、ようやっと気づいたのは、先方は「正田さんに勝たすのは面白くない」と思っているということでした。
 やっぱり自分に「ない」思考回路のことは理解するのに時間がかかるなあ。

 つまり、先方は上記の「競争心」の思考回路でものを考えている。
 正田は、それはない。このブログを読んでいて「競争心」の人間なんじゃないの?と思われる向きもあるかもしれないが、まあ本人が言うことだから当てにならないがそうじゃないです。必要以上に人の痛みも喜びも見えてしまうだけです。
 でも先方は自分を物差しにしてものを考えますからね。「この女性は『勝ちたい』一心でものを考えている、そんなものに手を貸すわけにはいかない」と考える。


 これまでの経験で企業の窓口である「ご担当者」にも「これ」があるために講師に対するマウンティングが出た場合もあるし、報道機関、自治体、議員先生、あちこちで見る。

 当方は社会のたくさんの層の人たち、経営者・マネジャー層から最末端の非正規の人たちまで含めて幸せを願って物事をすすめているときに、先方ではその場の会話とか二者関係の間の「勝ち負け」の問題に話がすり替わっているのもみる。


「出版社の社長」も、そうなのだろうと思う。「あなたの言うことをきかなければぼくの、あるいはほかの著者の勝ち」という。


 追記 これも思いました。日常生活では、この人たちはお母さんとか奥さんに叱られ、「女性に負ける/敗北する」ことをよく経験しているのだろう。
 それへの報復を、社外から自分に頼み事をしてきた無名の女性・正田にして恨みを晴らす、ということをやっている匂いも、申し訳ないけれどぷんぷん感じてしまうのだ。
 そういうのはもう変えられないですね。



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 去年、ある人がわたしの側に立って発言してくれたが実りがなかった、という話を書いた。

 「海軍兵学校世代」の人でした。その世代の人に、まあ功成り名遂げた後の段階で持ち上げて言うのもあれですが時々「巨大な知性」の持ち主の人がいた。

ハゲタカファンドを株主総会の席で怒鳴りつけて追っ払う、という快挙ー比較的近年のエピソードーをやった人だった。
また、神戸で20年も続いているイベントの創始者であり今も精神的支柱でもある。

 もう、そういう知性の人が、(もちろん大学の先生を含め)絶滅したのかもしれないと思っていた。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp